関 建築+まち 研究室

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■まちづくり随筆記・・・これまでに書いてきたまちづくりに関する随筆等を紹介しています

■新着情報
 2011・5・17  まちづくり随想記-美しい街なみは私たちの手で!-善光寺周辺地域まちづくり協議会からのお願い-  を追加しました

美しい街なみは私たちの手で! -善光寺周辺地域まちづくり協議会からのお願い-

■街なみ環境整備事業の目的と成果
 「街なみ環境整備事業」が、長野市で最初にこの善光寺周辺地域に導入されてから、早くも十年が経ちました。この事業は、住民と行政が一体となって、街なみ(景観)を具体的に向上させていくというもので、全国各地でも導入されています。私たちは、事業導入直後から「善光寺周辺地域まちづくり協議会」を組織し、積極的に事業を推進してきました。
 例えば、上空を覆っていた電線が地中埋設されてすっきりしたり、民間の建物の修景改修等についても一定の条件を満たせば行政から助成を受けられたり、というようなことがこの事業の導入によって可能になり、住民にとっては頼もしい事業です。私たちの地域においても、駒返橋南の通りが電線地中化・石畳化されて見違えるように生まれかわりましたし、仲見世をはじめ数多くの建物が助成を受けて門前の街なみにふさわしく改修されました。
 皆様方には、部会の設立・協定の締結・修景実施等に渡ってお手数をかけてきましたが、ご理解とご協力の甲斐あって、総体的に立派な成果を残すことができました。行政からの助成は期限満了のため終了しましたが、今後も釈迦堂通り・西院通り・仁王門北通りの電線地中化と石畳化の事業は継続されます。仲見世を中心に、歩いて楽しめる街なみが整備される日を思うと期待が膨らみます。
■これからのまちづくり=事前届を続けましょう
 行政と共に進めてきた街なみ環境整備事業は一段落しましたが、地域住民によるまちづくりや景観整備には終わりがありません。
 行政の支援によって所定の成果を挙げたとは言え、私たちの地域には、少し磨きをかければさらに良くなる建物がたくさんあります。つまり、もっと美しい街なみを形成していくことができる可能性を秘めているのです。事業が終了したとたんに、街なみを意識しない勝手な建物が建ってしまうようなら、今までの活動は水の泡になってしまいますし、地域全体が崩れてしまいます。私たちの意識が試されていると言っても過言ではありません。
 これからは、自助努力の時代に切り替わります。つまり、私たちが自らの手でまちづくり、街なみ整備を継続していかなくてはならないのです。協定があるところにおいては、協定の継続手続きをお願いします。協定がないところでも、整備促進区域となっている元善町、大門町上、大門町南、東之門町、横町、東町、上西之門町、西之門町、若松町、西町上、西町南の皆様におかれましては、従前通り事前に改修計画を協議会にご相談下さいますようお願いしたいと思います。相談は随時受け付けていきたいと思います。この手続きは、住民一人ひとりが街なみ形成にいっしょに参加していくことを目的とするものです。素晴らしい街なみを次世代に引き継いでいくことは私たちの重要な責任だと思いますので、ごめんどうでも是非ご理解をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

善光寺周辺地域まちづくり協議会:「鐘聲」2011年5月11日掲載

大門町南地区の景観形成重点地区指定に想う

 善光寺門前町の変遷の姿を残す長野市大門町南地区において、景観形成重点地区の指定が実現した。この地区にとって繁栄は過去のものとなってしまったが、それゆえにその街なみは文化であり財産となっている。そうした街なみを活かしたまちづくりのために活動する住民を側面から支援してきた者として、懸案がようやく実現したことに感慨を深くしている。また彼らの街なみ景観に対する見識と英断にも敬意を表したい。
 門前地区を含む中心市街地は、町の核として活かされるべく都市計画によって建蔽率や容積率が高く設定されているため、高層建築を建てることが可能なエリアであるが、一方で歴史的ゾーンといえども経済優先の開発的行為などによって街なみが台無しになる可能性に常にさらされている。景観とはそれほどにデリケートで脆いものでもある。今回の指定によって地区内の建物の高さや形態が抑制され、善光寺を望む参道の景観を保持していくための“盾”の効果が期待される。日照権や眺望権などの私的な権利に基づいた調整しかできなかった時代のことを思えば隔世の感がある。こうした規制的手法は土地の資産価値を制約すると考えられがちのようであるが、最近では景観の整った町のほうが高い評価を得られるケースも出てきた。これからは景観法に基づく景観計画などの誘導的手法も積極的に導入されていくことになるだろう。
 景観を保持するためには住民の意識や努力が最も重要だと思われるが、加えて建築関係業者、行政、市民等の幅広い理解がなければならない。今や景観を護るための制度やシステムは不可欠であるが、最終的には一人ひとりの英知にかかっているのだろうとも思う。
 (まちづくり専攻建築士:関 邦則)

㈱長野経済新聞社:「長野経済新聞」2007年1月15日掲載

「目立つ」から“好感度”へ

 近代化以前の日本の建築は、木を組むというシンプルな構法によって培われてきました。城郭・寺院でも民家でも、基本的に同じ素材や技術でつくられたものですから、どことなく揃って見えるのは当然だと言えます。イタリアやギリシア等でも石や土でつくられた小集落を見ることができますが、ここでも同じことが言えると思います。風土に根ざした技術が、共同体としての意識を育み、景観においても「秩序」をつくりだしてきたのです。
 しかし、国威発揚路線に沿った経済成長優先政策が動き出すと、社会は大量消費奨励・開発志向となり、むき出しの競争意識に覆われました。狂騒する社会の中でかつての共同体意識や秩序感覚は薄れ、ライバルに勝つために「目立つ」ことが最重要課題になりました。なりふり構わぬ行動は、目論見通りの繁栄を達成してきたと言ってよいでしょう。
 ですが、「目立つ」ことがもたらしたものは、それだけだったのでしょうか?競い合った結果、不揃いな街なみが残されました。失った貴重なものは戻ってきませんでした。私たちがそのことに気付いたのは、バブル経済が崩壊したときだったでしょうか。そしてその頃から環境や福祉やまちづくり(景観)の時代が始まったのです。
 私たちは「街なみ環境整備事業」への取組みを機に、これまで何気なく見ていた(あるいはなんとも思っていなかった?)身の回りの景観について、ちょっと意識して眺め始めています。「景観の時代」は、私たち自身の身近なテーマになってきています。
 近代建築のデザインは単体としての建築の用と美を追求してきたのですが、単体の建物の姿を景観と言ってはいません。個々の建物が美しいということと、いくつかの建物が並んだ姿が美しいということとは別の判断になります。複数の建物が並んでいて美しいと評価されるためには、そのなかに共通したデザイン要素が見られることが必要です。各地に残っている歴史的な街なみを訪ねてみると、同じ勾配の屋根・同じ色の壁・同じ意匠の格子などを見ることができます。美しい景観つまり“好感度”の高い景観には異質なものが混じっていないのです。「目立つ」ことを目指してきた価値観からすれば、目立たないことは無価値であると思われるかもしれません。しかし今は個々の建物が「目立つ」ことよりも、全体が醸し出す“好感度”がまち全体に対するイメージを左右しているのです。
 伊勢神宮の前のおはらい町にある有名な和菓子店はビル形式で突出していた本社を惜しげもなく撤去して、瓦屋根の店舗に建て替えてしまいました。それによって通り全体のイメージはがらりと変わり、周辺の店舗や住宅の建替にも大きな影響を与えています。
 横浜市では世界的に有名なファーストフードチェーン店の看板が、世界共通色である赤から白に変えられたこともありました。自動販売機の函体の色が、赤や黄からベージュやグレーに変えられた事例も各地でたくさん見られます。
 矛盾した言い方になってしまいますが、一つひとつが目立たないことによって全体が目立つ、あるいは“好感度”がアップするという事態に切り替わっていくのです。

善光寺周辺地域まちづくり協議会:「鐘聲」2005年3月31日掲載

住民力

 時間を見つけてはあちこちの街なみを訪ねてみています。私が歩くのは幹線道路や繁華街ではなく、どちらかと言えばその脇にひっそりと残された静かな古い街なみです。昔の面影がすっかりなくなってしまったところや、昔日の繁栄を偲ばせる立派な街なみが残っていても人の気配を感じられないようなところもあって寂しい思いをすることもありますが、まちづくりや街なみ整備に一生懸命取り組んでいるところもたくさん見られます。
 まちづくりや街なみ保全運動が盛んな都市に行ってまず感じるのは、住民(民間)自身の力です。歩いているだけで住民の地道な努力やエネルギーがひしひしと伝わってくるとでも言えばよいでしょうか。住民が生計をたてていくためには、文化とか街なみといったようなきれい事ばかり言っていられないなりふり構わない情況が潜んでいたりする場合もあるのかもしれませんが、共同体として培われてきた人間関係のなかで価値観を共有し歩調を合わせる努力を重ねることによって街なみの保持・形成に取り組んでいることは敬服に値することです。私たちはそうした住民力の結果を楽しませてもらっているのです。
 高山、古川、八尾といった町においても住民の努力を見ることができました。表面的には華やかなお祭りなどをハイライトとした観光都市に見えるかもしれませんが、住宅や商店などにおける街なみの保持や整備面の気使いや成果も確認できたように思います。
 京都に行って幹線道路をはずれた市街地の通りを歩いてみると、歴史を感じさせる古い町家が連なっていて、いわゆる“京都らしさ”を醸しだしています。そうした町家が取り壊されて高層マンションに建て変えられてしまったところもたくさん見られるのが現実ですが、その一方で寒くて不便と言われている町家を壊さずにその独特な空間構成や和のテイストを活かしながらおしゃれなイタリアンレストランやヘアサロンなどに改修して利用しているケースも増えています。文化的な側面から街なみ保全をとらえる立場に立てばこうした再生手法には違和感があるかもしれませんが、街なみ保全とビジネスを兼ねたミスマッチ風だけれども魅力あふれる斬新な着想が面的な広がりを見せて、古い街なみを見事に生き返らせています。地元住民だけでなく観光客もこうしたショップなどを探し当てて楽しんでいます。自然発生的に生まれた民間による小さなアクションは今では町家ブームとも呼ばれる情況を生み出すに至っており、幹線道路沿線の地価が下落しているのに対して町家周辺の地価は上昇しているという驚くべき事態すら見られるのです。
 道路などの公共スペース整備などは行政事業として進められるものですが、まちを具体的に動かしていくのはやはり住民の力なのだと思います。住民力とは、意欲・構想力・決断力・行動力・協調性などの総体です。住民一人ひとりが主役となって力を出し合っていくことによって始めてまちづくりが推進されていくのだと思います。

善光寺周辺地域まちづくり協議会:「鐘聲」2005年1月  日掲載

熱く語られたふるさとの未来に対する思い

総会パネルディスカッション報告

テーマ:長野市の歴史と文化を考える -今、長野市の未来に何をするか-
パネラー:小林一郎  歴史の町長野を紡ぐ会 代表
      小野 学  北野建設㈱ スキー部監督
      関 邦則  ㈲関建築+まち研究室 代表取締役(本文筆者)
コーディネーター:野村文孝  野村建設㈱ 取締役社長
 毎年同窓会総会が開催されるたびに、第一線で活躍中の著名な先輩方が講師となって有意義な講演をされるのを拝聴して敬服していました。今年は私たちの学年に当番が巡ってきたので、例年とはまったく違う体験をすることになりました。
■オフステージ
 準備はクラス幹事が会して開かれている定例ミーティング(実は単なる飲み会)から始められました。総会当日の基本的なタイムスケジュールは決まっていますから、そのコンテンツつまり講演会の講師とテーマを決めればあっさり準備完了になるはずでした。しかし、私たちの学年では自分たちが青春時代を過ごした長野市の“未来づくり”について“複数の現地講師”が語りあうことにしようということになりました。つまり例年と趣向を変えて、いわゆるパネルディスカッション形式として、パネラーがそれぞれの活動を通して考えたり感じたりしてきたことをベースに発言していくということにしたのです。
 選抜されたパネラーは、
小林一郎 :父子二代に渡って郷土史研究や社会教育的な実践活動に取り組んでいる
小野 学 :NAGANOオリンピックスキージャンプチームの監督を務めた
関 邦則 :善光寺門前地区でまちづくりボランティア活動をしている
またコーディネーターは、
野村文孝 :まちづくりから伝統的技術の育成継承まで幅広く関心を持っている
となりました。
 このメンバーは、それぞれ違った職業分野で活躍していますが、長野市に居を構え職業以外のテーマをもってライフワーク的な活動に取り組んでいるという点において共通していると言えます。実用的な理論やタイムリーな話題を提示できるという編成ではなかったかもしれませんが、パネルディスカッション自体の狙いが会場の聴衆といっしょに考えるという点にあることを考えれば、総会のステージにはふさわしい顔ぶれになったのではないかと思います。
 ディスカッションの内容進行については当然ながらパネラーとコーディネーターにゆだねられました。しかし実際には多忙を極めるメンバーがそろって打合せをできる機会はほとんどありませんでした。単独でも十分な話題を抱えているメンバーが限られた時間配分の中で交互に意見を述べていくのは、実は大変なことです。最もやきもきしたのはコーディネーターだったと思いますが、適切なシナリオを作成してくれました。
■オンステージ
 総会議事が無事終了すると、いよいよパネルディスカッションが始まりました。まずは各パネラーからそれぞれの履歴や実績を紹介していきました。
小林は、高校の教員(国語科)をする傍らたゆみなく郷土史に関わってきました。父上の設立した「長野郷土史研究会」を継承し、史跡巡りや研究会などを実施しています。とくに「善光寺如来縁起」などについて夫人とともに「絵解き」をするというユニークな活動を続けています。平成14年には「歴史の町長野を紡ぐ会」を設立し、自らその会長として住民を対象にしたイベントなどを精力的に実施しています。
 小野は、山ノ内町の出身で、スキージャンプ競技選手として全日本選手権優勝などの輝かしい成績を残してきました。その後は地元企業のスキー部監督・全日本チームコーチなどとしてトップアスリートを育成しています。平成10年に開催されたNAGANO冬季オリンピックにおいて郷里にもたらされた感動の金メダルを私たちは今も忘れることができません。現在でも世界各地を股にかけて飛び回る多忙な日々を送っています。
 関は、大学院時代に都市計画を学び大阪で建築事務所に就職したものの、訳あって郷里に戻り、父の経営していた建築事務所を継承しています。母校長野高校の校舎改築に際して建築設計関連の同窓生の一人として終始関わったことをきっかけに、次第にまちづくりに関わるようになっていきました。今日まで10年以上に渡って、ボランティアとして中央通りや善光寺門前地区のまちづくりや景観整備のアドバイスなどを続けています。
 地元長野市の現状を一人の住民という立場で受け止めながら、それぞれの問題意識に基づいて具体的なアクションを起こしていることが理解されたことと思います。
 メインの話題はパネルディスカッションのテーマを受けて、“長野市がどのような街になれば良いか”ということでした。それぞれの具体的なアクションを通して実感していることについて述べていきました。
 小林は、善光寺信仰の上に築かれた長野市の歴史は独特且つ奥が深いものなので、他にないユニークな都市になることができるということをアピールしました。長野市民一人ひとりがもっとよく自分自身の住んでいる場所のことを知り、それぞれがその歴史や文化を語れるようになってほしいという発言は、郷土への熱い思いを感じさせるものでした。
 小野は、冬季オリンピックという世界規模のイベントの成功によって見事に国際都市の仲間入りを果たした長野市は、スキー・スケートなどのスポーツ振興を通して国際スポーツ都市としての明確なアイデンティティを保持していくことによって新しい歴史と文化の育成や蓄積を実現し得るということをアピールしました。
 関は、パソコンで作成したスライド映像を使って、景観整備やまちづくりに対する持論を展開しました。まちづくりの究極の目的が、住民である私たち自身あるいは子供たちがこの都市で充実した人生を送れるようにしていくことであると考えれば、私たち自身がまちづくりや身の回りの環境に関心をもっていくことと長野市の財産である歴史や文化を継承して活かしていくことが重要だということを訴えました。
 各自が提起した長野市の未来へのヒントは、表面的にはなんの相互関連性もないように見えたり聞こえたりしたかもしれません。しかし、郷里を愛しているからこその思い入れや期待感と地道なライフワークの中に、同じ方向を向いたベクトルが潜んでいるということも察知していただいたのではないかと思います。
■まとめ
 わが国は明治時代以降、近代化とか都市再開発とか日本列島改造という大義名分のもとにそれまでの歴史や文化を切り捨ててきました。それが国家的経済発展や豊かさをもたらしたことも事実なのでしょうが、そうしたスクラップアンドビルド方式の開発事業も最早過去のこととなりました。地方の時代というコピーも久しい響きになってしまいましたが、昨今のまちづくりにおいては地域固有の歴史や文化が中心軸になっています。私たちは、このパネルディスカッションを通じて、“地方”とか“文化”という表現に内包されている分厚いストックをこれからのまちづくりの中にきちんと位置づけていかなければならないという理解を共有できたのだと思います。長野市が長野市であるために、自然・街なみ・慣習・芸能・食物などのさまざまなジャンルの文化を見直し、尚且つ新しい風を送りながら育成していくということが、私たちに与えられた課題だと思います。
 長野市が周辺の町や村と合併して新たな時代を迎える時も目前に迫っています。高齢化もさらに加速していくと言われています。そのように社会現象は変貌していきますが、都市を考える際には自分という存在と結び付けて考えることも大切です。自分自身が居心地がよいと思う都市のことから考え始めれば、まちづくりも楽しくなるはずです。暮らしやすい都市のことを思い描くということは、自分自身の人生観や社会観を振りかえることにつながってきます。まちづくりは他人のためにすることではなく、自分自身のためにすることと言ってよいでしょう。
 このパネルディスカッションの目的は、これまで暮らしてきた或いはこれからも暮らしていくであろう長野市の未来への期待を語ることでした。限られた時間のなかで日頃感じている思い入れやもどかしさの全てを語り尽くすことはできませんでした。しかし、住民の立場にある者が自身の活動に基づいてふるさとの未来を語り合うという企画はありそうでなかったもので、貴重な機会であったと受け止めています。お聞きいただいた一人ひとりが改めて未来へ思いを巡らせてくださればうれしく思います。
 このパネルディスカッションの実現のためには、大勢の皆さんのご理解とご協力がありました。誌上にて大変失礼ながら謝意を表し、報告とさせていただきます。

長野高等学校同窓会:「日新鐘」2004年12月25日掲載

秋の長野とまちづくりボランティア

■風便り(秋の長野)
 はじめまして! 長野から風の便りを送ります。
私は武基雄研究室で修士を修了し、大阪で村野藤吾に学びました。その後、父の病を機に故郷に戻り約24年が経ちました。今日はほんの少しだけ長野の紹介を、、。
 長野県の代表的なイメージと言えばさわやかな自然風景かもしれませんね。青く澄んだ高原の夏もすばらしいのですが、喧騒の去った秋の山や小さな湖などもお勧めです。四季折々の風景や美術館などを訪ねてあちこちドライブするのが私にとって休日の楽しみになっています。最近は高速道路や新幹線が整備されたおかげで、簡単にアクセスすることができるようになりました。気軽に入れる温泉もたくさんありますし、今頃は新そばやりんご・ぶどうなどのフルーツを存分に味わうこともできます。
 また長野県には古い街なみもあちこちに残っています。観光客で溢れる有名な宿場町もありますが、中山道や北国街道にひっそりと取り残された街なみを最近はデジタルカメラ片手にゆっくり歩いてみたりしています。
 なんだかオジサンの観光ガイド風になってしまいましたが、スローな時間の流れを体で実感できる長野県。とても大切な場所のように感じている今日この頃です。
■近々の状況(まちづくりボランティア)
 長野市は1998年冬季オリンピック開催で世界的に有名になりましたが、そもそも善光寺を中心にできた都市です。
私は仕事の傍ら、善光寺門前地区において住民と共にまちづくりや景観整備に取り組んできました。この“まちづくりボランティア”は12年以上続いています。こんなことばかりしていると事務所をやっていくことはできないのですが、実際には仕事より多くの時間を割いているんじゃないかと思います。
 私たちが学んできた都市計画や都市デザインのスタディは近代都市のシンボルとしての大都市をモデルにしていたので、伝統的な歴史文化の色濃いローカルな環境におけるまちづくりについては、木造伝統建築や職人技等について学ぶのと同じように体験的に学んでいくしかないように思います。長い歳月かけて醸成されてきたアイデンティティのなかでのまちづくりは、近代的な計画手法とはまったく異なっています。地方都市においては、“地方”という言葉に凝縮された前近(現)代的な状況は設計や計画にあたってのスパイス的な要素ではなく、計画や設計の大前提となるものです。前近(現)代的な状況のなかに築き上げられているクォリティを保持しなければアイデンティティは消えてしまいますから、歴史や文化を熟知した上でのまちづくりのアイディアが必要だと思います。
 地方都市の現実的なまちづくりとしては、経済成長にあわせて中途半端に近代化されてしまった街なみを景観的な視点からリフォームするようなケースが多いのだろうと思います。善光寺門前においても景観整備が中心的課題です。ひとたび設計者の立場に戻れば、建築と景観の“ずれ”に悩むことも多いのですが、この種のまちづくりにおいては「変わらないように変える」とでもいうのが極意なのかもしれません。
 実際のまちづくりは絵に描いたようにとんとん拍子に進んでいくものではありません。行政の事業計画などについても住民は各々の立場で理解しますから至極簡単なことでも延々と時間がかかりますし、とても地道で泥くさいものです。まちづくりの主役である住民とともに悩み考えながら行政とのあいだに立つ調整役がどうしても必要だと痛感しています。まだまだまちづくりから足を洗うわけにはいきそうもありませんね。
 最近は、街なみ整備のヒントを見つけたくて、全国各地の街なみを訪ねまわっています。味わいのある街なみがまだたくさん残っていることに改めて感嘆しています。順次パワーポイントでまとめているところです。いつか私のHPに掲載できるかもしれません。

早稲田大学稲門建築会:「メールマガジン」2004年11月掲載

いま京都のまちで起こっていること

 京都を訪れる観光客数は他都市のそれとはそもそも比べものにならないが、それでも年々減少していたのだという。それが上昇に転じたきっかけは、皮肉なことにあのアメリカで起こったテロ事件だった。国外旅行を計画していた観光客の多くが、不測のテロ事件を避けて国内旅行に切り替えたのが原因であった。その後のSARS流行もテロ事件と同じ影響をもたらし、京都を訪れる観光客は復活してきた。昨年から京都を扱ったガイドムックが続々と出版されているのを見ても、最近の京都人気を理解することができる。京都観光といえば、風情ある寺院を巡りながら歴史の縮図を眺め四季折々の自然や風雅な行事を堪能するというのが定番パターンだと思われるが、新しいガイドムックの内容はもっぱらグルメとショッピングになっている。観光客の関心は確実に変わってきている。
 京都に限ったことではないが、最近の観光客は“○○饅頭”とか“○○せんべい”といったありきたりの名物土産を買わなくなっている。そうしたものには飽き飽きしているのだと思う。地元の人たちに支持されているものをチェックして、わざわざそこまで訪ねていって本物を買い求めて帰る。私自身にしても“いづう”の鮨や“叶匠壽庵”の和菓子や“一保堂”のお茶を買うことはあっても“八ツ橋”を大量に買うことはないし、漬物も街なかの家庭的な店で買い求める。ファックスやインターネットで追加注文する人も多いらしい。観光客相手の名物料理にも関心はうすれ、同じ程度の料金を払うならその土地らしい雰囲気に浸りながらこだわりの一品を食べることができる店を探す。祇園の料亭もランチで賑わう時代である。最近の観光客は、受身ではなく自ら発見することを楽しんでいる。
 こうしたトレンドに応えるかのように、いま京都のまちでは、京都らしさと店の個性をミックスして新しい魅力をアピールしようというショップがどんどん生れている。
■生まれ変わる町屋
 京都には約28,000軒の町屋があるといわれている。長い歴史を経てきた町屋であるが、最近では売却されて高層マンションなどに建替えられてしまうことも多い。そうした動向に対して、なんとか京都らしい街なみを保持していこうと考えているNPO組織“京町屋再生研究会”や“京町屋作事組”といったようなグループがいる。一方、古い建物を利用して商売したらおもしろいかもしれないと考える人たちがいる。結果的に供給と需要が一致して、町屋を住居からショップに再生転用するケースが増えてきた。京都の町屋には独特の空間構成があることはよく知られているが、そうした町屋の外観や骨組をできるだけそのままにして内部を新しい用途や機能やイメージに改造していく。あるがままでよいと考えれば多くの投資をする必要はない。美容院や花屋に生まれ変わった町屋が話題を集めたこともあるが、イタリアンレストラン・フレンチレストランなどに模様替えした町屋も多い。もとが住宅なので客席数はけっして多くない。路地の奥にあったり看板のない店があったりするところがいかにも京都らしい。やや年齢の高い女性たちを中心に、リーズナブルな価格で食べられるランチが圧倒的に人気を呼んでいる。そもそも地元の人たちの利用を期待したもののようだが、先に述べたように観光客は地元の人たちのお気に入りの店を敏感に追跡してくる。いまや「町屋でごはん」が女性たちの合言葉となって、同名の本がベストセラーになっている。和風の町屋が洋風のレストランやカフェになっているのは一見ミスマッチな取り合わせかもしれないが、町屋でお箸を使って食べるフレンチ料理はカジュアルで親しみやすい雰囲気でもある。町屋を保存するだけではその意義が限定されてしまうが、利活用が伴うとまちが生き返るということを実感することができる。
 こうした状況はやや目につきにくいところで起きている。幹線道路は大資本系列の巨大なビルやホテルなどに建てかえられているので、町屋は碁盤目の京都のまちの狭い道に面して残っている。だから京都のまちの新しい動きを体験するには歩いてみないとならない。幹線道路の地価が下がっているのに対して、こうしたショップがたくさんできている中京区三条通り付近の地価はむしろ上昇しているというのである。私たちは、古い建物を取り壊して再開発事業などを導入して巨大な建物につくり変えることによって土地の価値が上がると思い込まされてきたのかもしれない。再開発事業は継続的に資本投下されることが前提になっており、経済が崩れてしまうとまったくうまくいかない。古い建物の持ち味や街なみを生かしたまちづくりをすすめることによって土地の価値が上がるという現象は思いもよらなかったことであり興味深い。
■新しいエンターテインメントスペース
 また、テナントミックスによる新しいタイプのエンターテインメントスペースも登場している。まちなかでは経済効率が優先されるので、通常はできるだけ大きなビルを建てて多くのテナントに入居してもらうというパターンが一般的だが、いま京都では効率よりも京都らしいテイストをアピールした独創的な空間構成から成るショッピングスペースが展開されている。
 鴨川脇の京阪三条駅には、昨夏「KYOUEN」がオープンした。ここは京阪三条駅の地上部分で、“庭園のあるレストランとインテリア”という新感覚のテーマが設定されている。禅寺の庭園を思わせる中庭を取り囲む回廊型のショップ配置で、建築は平屋一部二階建という規模になっている。和風デザインにこだわらないローコスト建築であるが、テーマになっている中庭にはかなりコストがかけられている。東京代官山で大人気のイタリアンレストラン“リストランテカノビアーノ”京都店や、若い人に人気のあるインテリアショップ“IDEE”などの有力なテナントが並んでいる。
 烏丸御池には、約3年前にオープンした“新風館”がある。ここは大正15年に電話オペレーションセンターとして完成したタイル張の建物であるが、その後使わなくなっていた建物を残して3層の立体的な回廊に囲まれた中庭をつくり、建築家リチャード・ロジャースのデザインをミックスしてレトロフューチャーを感じさせる雰囲気につくり変えた。“BEAMS”をはじめとしたライフスタイル提案型のテナントが並んでいるので若い人たちが集まってくる。NTTはテナント収益を期待しているわけではなく、情報発信をしていくことによってこの場所の価値を上げることを意図しているということであった。
 また、清水寺の参道である産寧坂の途中には古い料亭の立派な庭を開放した和風のテナントミックススペース“青龍苑”が誕生している。ここでは京都の老舗として有名な“イノダコーヒー”や工芸品の“くろちく”などのショップが集められている。一般的に寺院の参道といえば、土産店が軒を連ねているというイメージであるが、最近はやや年齢の高い女性たちに好まれそうなクラフトショップやレストランなどが続々とオープしている。ここ数年の清水寺参道付近の変化は著しく、数ある観光スポットの中でも清水寺は一人勝ち状態だという。
 それぞれのスペースのスタイルは違っていても、これらのスペースには情報発信力のある専門店が顔をそろえている。一定のコンセプトをもってセレクトされたテナントは、高感度なモノを売っていたりトータルなライフスタイルを提案していたりする。京都という歴史的な都市のなかで、地元住民とか観光客といった既成概念分類にとらわれない新しいエンターテインメントが根付き始めているように思う。
■都市マーケティング
 京都といえども明治時代以降は他都市と同様に過去と断絶した都市づくりを進めてきたが、それでも私たちの京都に対する基本的なイメージは、「古」と「和」に集約できるだろう。いま、そのまちで近代化とは違った感覚のまちづくりが進められている。「古」と「和」のイメージの延長線上に位置づけられる「古さと新しさ」や「和と洋」を違和感なく共存させる感性と手法による新しいまちづくりととらえることができると思う。
 ここの挙げた事例は、どれも商業活動の一環として実現していることであって、個々に見ていけばあえてまちづくりと言うのはふさわしくないのかもしれない。しかしここには「まち」をつくっていく本来の自然な姿がある。まちをつくるということは、恣意的な計画や企画によってまちを方向付けていくことではなく、日常的な生活や経済行為をベースとした都市活動そのものなのだろうと思う。私たちは、建築や景観というハード面の専門家としてまちづくりを語り取り組んでいると自認しているが、商業というソフト面からもまちをとらえ、トータルなマーケティング感覚をもってまちづくりを展望していかなければならない。そういう意味において京都のいまの状況というのは注目すべきものになっているし、今後の指針にもなるものではないかと思う。

大門蔵部:「活動報告書」2004年3月31日掲載

古い町家を活かした新しい京都

 京都観光といえば、風情溢れる寺院などを巡り四季折々の自然や風雅な行事を堪能するというのが定番だが、最近の観光客はショッピングやグルメのためにまちなかを歩き回っている。そこには、町家を利用した魅力的な店やレストランが続々と誕生している。
 京都のまちなかには約28,000軒の町家があるといわれている。京町家は、間口が狭く奥行が深い地割に対してトオリニワと室(へや)を配した独特の建築様式として知られている。京都の歴史とともにその特徴を築いてきた町家であるが、昭和10年頃以降は新築されなくなったらしい。その間取りを見ると、決して住みやすいとは言えないのではないかと思われるが、それでも京都人たちは知恵を尽くして住み継いできた。
 しかし最近では、売却されて高層マンションなどに建替えられてしまうケースも増えてきた。そうした動向に対して、京都らしい街なみを少しでも保持していこうと考える市民や専門家のグループが出てきた。1992年に結成された“京町家再生研究会”の活動は行政をも動かし、今日の京町家再生への大きな牽引力になったという。一方、空家になった京町家を利用して商売を始めたらおもしろいかもしれないと考える人たちがいる。京町家のオーナーもそうしたことに対して理解を示し、結果的に供給と需要(あるいはハードとソフト)が一致して、京町家をショップにコンバージョンするケースが増えてきた。
 ※コンバージョン(conversion)とは、用途転換のこと。元の用途を別の用途に切り替えるために行う部分更新技術。
 京町家には構造面でも大きな特徴がある。京町家再生を実践するための専門職人集団である“京町家作事組”によれば、京町家の構造は“木造伝統軸組構法”とされ、現在公認の木造在来軸組構法と区別されている。京町家は細い柱と梁による架構で、地震に対して柔かい構造となっている。筋交によって固められ耐震性を期待された在来構法とは大きく違うというわけである。実際になかに入ってみると、トオリニワのような吹抜の背の高い空間でも桁や胴差はなく細い柱と梁があるのみである。文化財などの木造建築は法律の枠外で保持されるが、一般木造建築の保存再生に向けた基準を早急に整えてほしいと思う。
 町家の外観や骨組をできるだけそのままにして内部を新しい用途や機能やイメージに改造していく。あるがままでよいと考えれば新築ほど多くの投資をする必要はない。美容院や花屋に生まれ変わった町家が話題を集めたこともあるが、このところ洋風レストランや和食料理店などの飲食店に転換した町家も多い。そもそも狭い空間なので客席数はけっして多くない。路地の奥にあったり看板のない店があったりするところがいかにも京都らしい。やや年齢の高い女性たちを中心に、リーズナブルな価格で食べられるランチが圧倒的に人気を呼んでいる。そもそも地元の人たちの利用を期待していたもののようだが、今時の観光客は地元の人たちのお気に入りの店を敏感に追跡してくる。いまや「町家でごはん」が女性たちの合言葉となって、同名の本がベストセラーになっているという。和風の町家が洋風のレストランやカフェになっているのは一見ミスマッチな取り合わせかもしれないが、現代の日本人の感覚は「古さと新しさ」や「和と洋」といった対立的イメージをも違和感なく融合化してしまう。初めて入った町家に座って箸を使いカジュアルなフランス料理を食べるという懐かしくも新鮮な体験によって、心のどこかで日本人としての安らぎを感じているのかもしれない。町家を保存再生することは重要であるが、それだけではその意義が不十分である。利活用が伴うとまちが生き返るということを実感する。
 京町家の保存再生は、単体としてみれば建築的な技術の問題であるが、全体的な動向としてみると見事なまちづくり現象となっている。幹線道路の地価が下落しているのに対して、こうした町家再生事例がたくさん集積している中京区三条通り付近では地価が約2年前から上昇に転じているのだという。古い建物の持ち味や街なみを生かしたまちづくりをすすめれば土地の価値が上がるという現象は思いもよらなかったことであるが、そのことによってまちづくりの価値や効果についてさらに認識が深まるとよいと感じた。

㈱新建新聞社:「新建まちづくり」2004年3月26日掲載

「まちづくりセミナー」に参加して

 2003年11月末に京都市で開催された(社)日本建築士会連合会まちづくり委員会主催の「第1回まちづくりセミナー」に参加してきた。集合場所は、「(財)京都市景観・まちづくりセンター」となっている。このセンターは数年前から活動しており、以前は旧龍池小学校というところにあったらしい。6月に「ひと・まち交流館 京都」という複合用途の建物が完成し、その地下1階部分(アトリウム部)に移転してきた。そもそも景観やまちづくりのための拠点が組織化されて存在していること自体がユニークなことであるが、伝統文化と現代の間を模索しながら着々と活動を続けていることがさらに素晴らしい。
 「地域のストックを活用する-京町屋の再生から学ぶ」というのが、今回のセミナーのテーマになっている。最初に、NPO組織“京町屋再生研究会”の大谷孝彦理事長からレクチャーを受ける。町なかにたくさん残っている町屋ではあるが、簡単につぶされてマンションなどに姿を変えてしまうケースも増えている。京都らしさを継承してきた町屋をなんとかして未来につないでいこうという活動に取り組んでいるということであった。
 会場を移動して、実際に町を歩いてみる。寺院などを巡って歩くいつもの京都見物とはだいぶ趣きが違う。町屋に住んでいる人たちは、自分が歴史を積み重ねてきた町屋に住んでいるということをあまり意識化していないため、簡単に手放してしまったり建替えてしまったりするらしい。商店だったものをうまく再生している事例も見られた。町屋で洋菓子やイタリアン料理を食べるのはミスマッチな取り合わせに違いないが、これがなんともおしゃれな雰囲気に生まれ変わっている。“セカンドハウス東洞院通り店”や“あるとれたんと”といった店は超人気店になっている。今や「町屋でごはん」が若い女性たちの合言葉になっているとも聞いた。
 翌日は、“京町屋作事組(さくじぐみ)”という職人集団が取り組んできた町屋再生の実例を見学した。うなぎの寝床のような町屋のプランはどれもほぼ同じにできており、その架構は現代ではなかなか受け入れられないほどの簡素な形式になっている。改造されてしまった虫籠窓を元に戻したり、壁を塗り直したりすると見違えるほどきれいに生き返る。建築基準法と整合しない部分もあって苦労しているという本音も聞くことができた。
 一部の例外を除けば、町屋は保存を目的とした文化財に指定されていない。だが町屋がなければ京都は京都でなくなってしまう。私たちは、希少価値的に保護されている文化財が日本文化を表象しているように考えがちであるが、むしろありふれた市井の建物のほうが生々しく場所と時代の文化を示していると考えることもできるのではないだろうか。

(社)長野県建築士会:「建築士ながの」2004年2月1日掲載

長野市の“顔”をつくる

 長野市は1998年の冬季オリンピックによって世界に名を知られる都市になった。田中康夫知事で有名になった長野県庁の所在地で、市域約404平方km・人口36万人余。先に市制施行100周年を迎えた。地方行政や経済の中心であり、善光寺を中心とした北信濃山岳リゾートの拠点にもなっている。年間に善光寺を訪れる観光客は700万人とも言われている。
 長野市は約1300年前に創建された善光寺とともに歩んできた全国有数の門前町である。善光寺周辺は長野市の原点とも言える。戦国時代には川中島合戦等の戦乱が続いたが、江戸時代から明治時代にかけては大いに隆盛を極めた。善光寺とJR長野駅を結ぶ全長約2㎞の中央通りは大正時代に現在の10間幅に拡幅された。しかし第二次大戦後の高度経済成長とモータリゼーションによるスプロールはご多分に漏れずこの中心部を空洞化させた。
 1998冬季オリンピックの少し前からこの善光寺周辺の地区にまちづくりの具体的な行動が見られるようになった。ここでは、私が建築士としてまた一市民としてボランティアで一連の住民の活動に関わってきた立場からその一端を紹介してみたい。
■善光寺周辺
 善光寺に参拝する人は多い。しかし良い印象であったかどうか。寺の魅力を正確且つ充分に理解してもらっているのかどうか。そんな問題意識から1992年に善光寺と仲見世元善町と大門町上の商店街が「善光寺街づくり会議」を発足させた。目的は善光寺及びその周辺の環境整備をすることによって参拝客へのホスピタリティを向上させようということ。私はアドバイザーという立場で、1994年に「善光寺周辺街づくり基本構想」をまとめた。会議ではそれをベースにして、参道の石畳の文化財指定を受けたり駒返橋という小さな橋を修復したりといった具体的な実績をつくった。その後は電線の地中化に取り組んでいる。現在は大門町南地区も加わっている。最近は行政も支援態勢に入りつつある。
■大門町上地区
 大門町上地区は善光寺の門前に位置している。土蔵づくりと大正ロマンの建築が並ぶ独特の趣のある町であるが、店前の歩道にはアーケードがかかり暗い雪国のイメージであった。行政による中央通りキャブ工事が進められるに当って沿線商店街が1992年に「中央通りキャブ協議会」を結成した際、私はアドバイザーとして参加することになった。特に大門町上商店街協同組合はその場所の特殊性・優位性の観点から長野市の顔・善光寺の前庭としてふさわしい修景イメージを独自に検討し、善光寺境内からの常夜燈の移設や石畳のアイディアをまとめた。具体的なデザインは京都在住の造園建築家マーク・ピーター・キーン氏の提案に基づいている。その実現に当っては公共工事としての枠組や交通ルール等の壁が立ちはだかっており、私も行政・警察・電力会社等との相継ぐ協議に参加した。甲斐あって住民による粘り強い活動が実り、1996年に広場のようなユニークな街路空間が出現した。ゲートのように立つ常夜燈、レトロな街灯、植栽、歩道・車道の石畳等によっておしゃれに生まれ変わった空間は善光寺の前庭になり長野市の“顔”の一部となった。
 オリンピック1年前には「表参道-冬の華」というイベントを自主企画して、歩道に竹のオブジェを置いたり街路でファッションショーを開催した。そして1998年2月には長野冬季オリンピックで世界の人々が集まり、この街路空間を楽しんだ。
 この地区は現在までに長野市景観賞・北陸建築文化賞・都市景観大賞・長野県建築文化賞特別賞・手づくり郷土賞を受賞し、まちに対する評価は定着した感がある。
■大門町南地区
 この地区は大門町上地区に続く長野駅寄りに位置する。商店の後継者たちは1994年にまちづくり推進のため「大門町わかいひとの会」をスタートさせたが、ここでも私はアドバイザーとして当初から活動を共にしている。景観整備を軸にしながら中央通りのミュージアムストリート化を目指している。店の奥にしまいこんであったものを店先のショーウィンドウに展示する「ミニ博物館」のオープン、景観形成住民協定の締結、「ウィンドウディスプレイ大賞」などを実施してきた。町内のビルの屋上広告塔の撤去などの働きかけも成功した。現在は空店舗対策に取り組んでいる。蓋をされて道路と化している金鋳川という水路の復活もアピールしている。
 このように善光寺周辺地区では長野市の“顔”として一層の充実に向けて真剣にまちづくりに取り組んでいる。今後も道路や駐車場などの基盤整備がすすめられていく予定だが、私はあくまでも住民の主体性をサポートする立場でいたいと考えている。

㈱日刊建設工業新聞社:「日刊建設工業新聞」2001年6月22日掲載

自動販売機の憂鬱

 どんどん増え続ける自動販売機。商店街はもちろん山中の街道を通っても道脇にある!最近はドリンクやタバコばかりでなくフィルムや食品、それにちょっとマズいものまで多種多様である。あれば便利なのはうなづける。しかし何でも増え過ぎれば問題になる。自動販売機には考えさせられるところがたくさんありそうだ。
◎「置く」の憂鬱
 すべての問題は自動販売機を置くことから始まっている。置く=売るであり、そうした販売方法自体は資本主義社会の中では否定することはできない。メーカー側の論理からすれば売上とシェアの拡大が大目的であるからできるだけ多く目立つように置く。いつでもどこでも買えなければ存在価値はないのだ。場所と電源さえあればどこでも置ける。規制や基準がないから無秩序に増えていき、都市のすきまを埋め尽くしていく。
 ● メリット?・・自動販売機は軒先を借りているテナントと言える。賃料は占有面積ではなく売上比率により、電気代は場所提供者が負担するという契約システムが多いらしい。メーカーにメリットがあるのは自明。利用者にとっては便利。場所提供者にとってはどうか。僅かでも収入になれば良いという気持ちがはたらくのは人情であるが、売上が少なければ電気代の方が割高につく。設置の動機はメーカー側から置きたいというケースもあるが、場所を提供するから置いてほしいというケースもある。従業員のための福利厚生的な理由で置いている場合等もあって金銭面以外のメリットも多いらしい。
 ● はみだし被害・・民地を借りるのは相互の了解において可能だが、公共空間に利益を得ることを目的に物を置くのは原則として禁じられている。そうでなくても道路空間というのは規制の多いところで占用についてはすべて許可が必要になる。狭い道路に自動販売機の大きなボディが飛び出しているのは占用許可の有無にかかわらず不愉快だった。これに対してはメーカー側の対応が早くスリムタイプ化されている。
 ● 省エネ・・自動販売機の多くは巨大な冷蔵庫である。売れる売れないにかかわらず365日24時間年中無休で稼動するため電源が切れることはない。相当量の電気を消費している。まして台数がどんどん増えれば総量は途方もない数字になる。設置契約システムからいってメーカー側は電力消費に無頓着だと思う。しかしエネルギーの節約は過ぎ去ったテーマではない。
 ● どこまでふえるのかナ?・・今のところ自動販売機の利便性はすべての問題に勝っている。一度置けばメーカーはその場所の権利を死守しようとするであろうし、さらに新しい品種や機種の導入開発、新しいメーカーの参入も考えられる。このまま増えれば都市の風景や生活スタイルが大きく変わるかもしれない。道路の両側から商店が消えて自動販売機が切れ目なく立ち並んだ自動販売機通りを想像してしまう。
◎「買う」の憂鬱
 物々交換が始まって以来、人の手から手へ商品が渡されるのが商いの原則だったが、自動販売機の登場はそうした商習慣を根本的にくつがしている。最近人気の通信販売にしてもフェイストゥウフェイスの商いではないが、自動販売機はあくまでもマシンであり、商品はマシンから人へ移動する。それがどんどん増えていくことによってまちの中の商業の生態系は変わりつつある。人とマシンの関係には現代的なクールな感性が重なるのかもしれない。無人だから人間関係の煩わしさがないし、年中無休で24時間営業だから何にも増して便利である。自動販売機とコンビニは夜行性人間の必需品?
 ● 対話なきショッピング・・商品が出てくると同時に「ありがとうございました」などと喋る自動販売機もあるが、人間同士が顔を合わせるわけではないので基本的に商品が消費者の手に渡るまでの間に挨拶や会話はない。そもそも商いという行為には売る側にも買う側にもプライドがあった。人間同士だから情感溢れる表情や仕草があった。心の通いあいは人間の信頼関係を育てていった。そこにはドラマもあり物語もあり、都市生活そのものでもあった。噂話も含めて情報交換も行われた。自動販売機はそうした濃密な人間関係をすべて断ち切ったところで成立している。物の移動しかないという究極の販売形式。こうした一切がそぎ落とされた形式が流布する背景には単純な便利さだけではない潜んだ理由がありそうな気がしてくる。年齢が若くなるほど他人や社会との接触を避けたがる「一人化」が進行していると言われている。自分と対象の間に発生する関係を切り捨てるには無言のマシンと自分の関係だけあれば良い。パソコンや自動販売機が作り出す自分の一方的な意思が素直に通用する世界の方が居心地が良いのだろう。
 ● 未成年への影響・・大人だけのために自動販売機で売られているものもかなり多い。例えばタバコ、アルコール、アダルト物品等々。それらは子供から大人に移りつつある世代にとっても興味津々。PTAなどでも問題にされ、販売時間の制限等が行われていてもそれはあくまでも建前の規制に過ぎない。対話もなく顔も見られないという匿名性は後ろめたい類の物品の購入にはまことに都合が良い。大人の身勝手な欲求や便利さをまちの中に放し飼いにしておいて健全な青少年育成などと言えるのだろうか?
 ● 犯罪・・誰も見ていなければマシンにいたずらしたくなる?コインの変わりに異物や偽コインをいれたりする者も出てくる。金額的に言えば僅かな話しかもしれないけれど、確信的に行えばれっきとした犯罪になる。
◎「捨てる」の憂鬱
 ドリンク系の自動販売機は空缶製造機といっても良い。買う時は缶も一緒に買っているのに、中身を飲んでしまえばパッケージとしての缶はゴミに変身する。一つや二つの内は良いけれど塵も積もれば山となる。自動販売機が増えれば空缶という名の子供も増産される。始末をするしないは消費者の責任である。しかし今やメーカーも知らん顔をしているわけにはいかなくなっている。
 ● マナー意識・・中心市街地の道路清掃に参加したことがあるが、いつも決まってタバコの吸殻(ひどくなる一方で時として車の灰皿の中身をそっくりひっくり返したようなケースもあって形式的なキャンペーンなどは効果なし)と空缶が圧倒的に多い。空缶用のゴミ箱を併設した自動販売機もあるが、別のマナー問題(缶以外の家庭ごみを捨てられてしまう)もあって置いていないことも多い。捨てる場所がないから道路に捨てて良いというわけではない。大量生産大量消費型生活の時代を経過して自らものを片付けるという習慣が消え、社会全体が~~放しという垂れ流し社会化してしまったことの結果だと思われる。「自分一人ぐらい」とか「あの人だってやっている」という自分を甘やかす勝手な理屈や自己中心的な価値観がしみついていて、自分に都合の良いことはするがそうでないところは他人に垂れ流す。それはかつて家庭や社会の中にあった共同体意識の希薄化につながっている。空缶をすてないようにという呼掛けはなぜか環境問題に置きかえられてしまったが本当は社会生活上の節度或いは価値観の問題としてアピールされるべきであった。形式的なアピールだけでは意味がない。外国にはタバコや空缶を捨てると条例によって処罰される都市もあると聞く。
 ● 環境被害・・まちの道路に捨てられたごみは主として美観上或いは衛生上の問題として扱われるが、自然環境の中に投げ捨てられたものはいわゆる環境上の問題として扱われる。最近は空缶の分身であったプルアップこそなくなったが、空缶自体の投げ捨ては相変わらず減らない。空缶ばかりではなく豊かな自然の中で平然とタバコを吸い、案の定草むらにポイ捨てをする心もとない姿を見ることも稀ではない。アウトドアブーム等が拍車をかけている。
 ● 資源リサイクル・・実は缶ドリンクの値段を分析すると缶代の占める比率は結構高い。でも空缶はやっぱりいらない。空缶だけでなくペットボトル等も含めてどんな容器も同じ問題をかかえている。使捨て型消費社会の慣習では不用品はそのままごみになっていたが、ごみの増大は重大社会問題となりリサイクルの可能性は皆が関心を持つテーマになった。リサイクルすればごみは少なくなる。社会の関心が高まればメーカーや行政も対応する。回収のための工夫はまだ緒についたところ。回収システムの整備とマナーの向上はリサイクル促進の鍵。
◎「見る」の憂鬱
 自動販売機は二重の機能を持っている。つまり販売マシンであると同時に看板でもある。販売のためにはなにをおいても存在を顕示することと他社よりも目立つことが重要であり、そのためにマシン自体をCI(コーポレイトアイデンティティ)やVI(ビジュアルアイデンティティ)に基づいた目立つ看板として機能させたいと考える。外装色やデザインはどんどん派手になり、夜も晧々と輝き続ける。
 ● 景観との調和・・少し前になるがCI戦略が華々しく展開されたことがあった。自動販売機もそうした企業論理の一環でデザインが決められているものが多い。その狙い通り、利用者からすればそのデザインによって一目で識別できるメリットがあることは事実である。しかし往々にしてそうした企業本位の論理が場所や地域のアイデンティティと調和しないことがあるということがまもなく看破されてしまった。行政も景観に着目したが、いわゆる景観条例においては大型の建築や看板等だけが対象であって、小さな自動販売機は規制の対象として取り上げられていることは少ない。しかし今や自動販売機は小さな巨人なのだ。自動販売機は建築や看板に劣らず景観上の重要な要素と位置付けられる。自動販売機が置かれる周囲の環境や町並みとの調和を望む声はうるおいのあるまちづくりを望む心ある住民たちから上がっている。自動販売機を置く場所を目立たないように工夫したり木製の囲いをつけたりしている例もあるし、川越や角館のようにメーカーの柔軟な理解によって外装色を変更(赤を灰色にした)した事例もある。最近、背の低いローボーイ型も登場しているが置く場所によってはこれも良いかもしれない。条例等による統一的な規制という手法よりも周辺に合わせるべく地元とメーカーで協議をすることによってメーカーの理解や協力を求めていく方法がむしろ着実で有効なのかもしれない。もう少し言えば、本当にその場所に自動販売機を置かなければならないのかという原点の問題提起に立ち返るように思われる。
 自動販売機という怪物はまさに現代の産物だと改めて思わされる。なければ生活が成立しないというわけではないが、場所を介して供給側と需要側の好都合がこれほど見事に一致しているものも少ない。だから自動販売機の存在を易々と否定することはできない。その利便性において誰もがメリットを認めるのであれば、人間とまちと自動販売機がより良い関係を築き共生していくことが望ましい。そのためには利便性の背後から露見したたくさんの歪みを解決していかなければならない。それぞれが身勝手な主張や行為をしている現状を自覚して改めていこうとする姿勢がキーになる。

 ㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年8月4日、8月18日、8月25日、9月1日掲載

地域にふさわしい建築 -景観の行方―

■景観と建築と文化
 「景観」は全体とか自然とか環境といった包括的概念の上に成立している。特に建築との関わりにおいては先人が築いてきた文化表現との関連性の中で語られることが多い。景観の一部としての建築を地域文化の中でどのようにとらえるかが私たちのテーマである。
■今日の状況
 まもなく21世紀をむかえようとしている現在、私たちの価値観は文明と文化の間を揺れ動いているように見える。文明とは人間が自然に対して築き上げてきた進歩意思であり、文化とは自然とともに位置付けられる保守意識である。西洋から持ち込まれた文明の影が大きく残っているものの、経済の後退により日本文化や地域文化が再評価されつつあるというのが世紀境の日本の状況かと思う。
■景観と場所と建築
 文明論的なアプローチの近代建築は個体として要求される機能を形態に置き換えて表現することをテーマにしていたため、地域文化との整合性はもとより困難なことであった。それに対して景観論は表層的な視覚要素だけを抽出して論じるもので建築の機能とは無縁のものである。この論に従えば、単純に伝統や自然環境などが育ててきたものに従順であることが要求される。
 しかし、実際にモノをつくっている私たちにとっては抽象的な景観論だけを基準にすることは難しい。私たちは景観には無関係なクライアントの要求に適切に答えなければならないし、地域とか地方という大きな把握だけではモノをつくれないことを知っているからである。もはや地域に対するイメージを一つに限定することはできない。現実には地域というよりもっとミクロな「場所」に対して最適な回答をしていかなければならない。その場所の特性の解読に対して建築設計者の景観センスが問われている。
■善光寺門前大門町上地区のまちづくり
 長野市善光寺門前大門町の町並みが整備された。この地区はかなり古くから門前宿場町として形成されてきたところで、土蔵づくりの商家の間に大正時代の道路拡幅時に建てられた洋風建築が挟み込まれて並んでいる。それほど強い統一感はないものの、ここでの町並みのイメージは時間の経過によって培われてきたある程度タイトな全体性の中で固定されている。私は数年に渡ってこの町の街路空間整備のアドバイスをしてきたが、長野らしさというよりも門前町である大門町にふさわしい景観ということを考えてきた。長さ150m程・幅18mの道路にはゲートしての常夜燈、手づくりの歩道石畳などが既存の町並みの中に溶け込んでいる。改修された建築のデザインも「新しくて古い」ことを意識している。(長野市景観賞・日本建築学会北陸建築文化賞・長野県建築文化賞特別賞・景観大賞・手づくり郷土賞)
■長野市今井ニュータウン
 長野オリンピックが開かれるにあたり、長野市郊外川中島に今井ニュータウン(オリンピック選手村)が建設された。ここはかつて田園であった。約190000㎡の敷地に1032戸の住宅をつくるにあたって東京・大阪から7人の建築家が集められて、7つのブロックの設計が同時に進められた。私たちも設計共同企業体としてそのグループに加えられたが、ここでは周囲に強い拘束力をもつ文化的要素はなく、新しい全体性をどうつくりだすかがテーマになった。建築デザインのための約束事が作られたが、それほど強い支配力は持たず、建築家たちの個性は存分に活かされた。団地としての景観は画一的ではないが、全くの不統一でもない。私はルーズな全体性を感じとっていた。
■景観の行方
 景観についての関心の高まりはよいことだと思う。しかし景観と調和は同義ではない。私たちは時代錯誤的なレプリカ(擬似)建築をめざしているわけではない。何もかも保存というわけにもいかない。慎重に周辺環境を読むことによってケースバイケースの解答を求めていかなければならない。時間をかけてじっくりとデザインすることが少なくなった今日、改めてデザインということの重要性を再認識せざるをえない。
何が地域にふさわしい建築であるかはいずれ後世の人が判断することになるだろう。

(社)長野県建築士事務所協会:「しなの」2000年7月掲載
(社)日本建築士事務所協会連合会:「建築士事務所」2000年10月10日掲載

景観とまちづくり

講演:
 「景観とまちづくり」というテーマを掲げていただいておりますが、テーマに則したお話しになれば良いと思っています。今日は景観サポーターフォーラムということで景観サポーターの皆さんのお集まりですので、「景観」ということが主たるテーマということになるわけですが、あまり専門的なランドスケープ論みたいなことを話しても仕方がないと思っていますので、最初に少しまちづくりのお話しなどをしながら進めていきたいと思っています。
 最初に「まちづくりの状況」というテーマでお話しをします。
 今から10年、20年位前を思い起こしていただきますと、社会の様子が今とだいぶ様子が違っていたのではないかと思います。太平洋戦争が終って、高度経済成長と言われるようになった時代がありました。経済の成長ですから要するに生産の面で数字を伸ばす、グラフでいうと右肩上がりという時代の状況がはっきり見られたわけです。成長することが正しいこと、良いことというのが時代の正義みたいに思われていたところがあったかと思います。経済ばかりでなく全てにおいて東京一極集中つまり中央集権社会という形が顕著になっていたと思います。東京がピラミッドの頂点でそれに対する地方、田舎といった概念が定着してきた時代でした。この時代は工業化社会といった言われ方をしていましたが、やがて一つの大きな山をむかえました。オイルショックといってトイレットペーパーが足りなくて買いに走るという時代をご記憶かと思いますが、これをきっかけにして、高度経済成長から安定成長に移行していきました。ゼロ成長とかマイナス成長とかいう言い方もしています。そして東京一極集中に対して地方だってがんばらなくちゃいけないという風潮になってきました。野球だって巨人だけが強いわけじゃない、福岡だって広島だってがんばるというふうにだんだん変わってきているわけですね。高度成長のマイナス面に気付き、何かが違うのではないかと皆が思い始めたわけです。それに対する解決策を考える、何か手を打たなきゃいけないという時代に移り変わってきました。
 従って「価値観」も当然変わるわけです。成長じゃなくて充実していかなくてはいけないとか、充実した人生を送りたいとかいったように、自分の人生を見直したいみたいところに立ち戻ってくるわけですね。そういう指標として環境を大事にしなくてはいけないとか、老人福祉をしっかりやらなくてはいけないとか、かつては考えなかったことあるいは誰も言わなかったことが大事にしなければいけないテーマとして挙げられてくるようになりました。その一つに「景観」というものがあります。まちづくりというものもおそらくこの中の一つに位置付けられるであろうと思っています。成長から充実という言い方を言い変えると、よく言われる「量から質」、「物から心へ」ということになると思います。
 今はまちづくりという言葉はどこでも聞かれますが、最初はまちづくりとは言ってなかったと思います。地域おこしとか地域振興とかおそらく役所ではそういう言い方であったのではないかと思います。私たちもまちづくりに早い時期から関心があっていろんな議論のテーマにしてきたわけですけれども、まちづくりとはそもそも何なのかよくわからないということがあるかもしれません。人づくりを大切にしようとか産業との関係を見直そうといった部分もありますし、いろんな切り口があるわけです。私は少し整理をしてみて、まちづくりという中に「モノ」をつくっていくタイプのまちづくり、それから「コト」つまりイベント等をおこしていくというタイプの二つがあると一応分類してみています。
 「コト」型というのはなかなか目に見えることはありません。いわゆる「村おこし」とか「町おこし」とか言っているようなもので、例えば地場産業を振興するとか過疎に対する対策をするといった形で取り組んでいるものと言えばよいでしょうか。○○村とか○○町というような単位で行っているものが多いと思います。
 もう一つ「モノ」型というのは目に見えるわけです。実際に物ができていくという形になります。狭い意味でのまちづくりということができると思います。これは地場産業の振興とかいうものに対して、いわゆるまちの中で核となる場やスペースをつくるという発想だと思います。それ以前にもこの発想や方法というのは実施されていて、再開発事業とか区画整理事業等などは長野市でも行われていますよね。いわゆる開発型の発想でやってきていたのが以前の方法だと思いますが、安定成長になってくると文化といったものを加えていくというような動きに変わってきたわけです。歴史的な町並みを保存しようとか、再生しようとか、自分たちの地域性を表現していこうというような形ができてきていて、そうした動きのことを「まちづくり」とか「景観づくり」と言っているのだろうと私自身は理解しています。
 それから、まちづくりを誰がやっていくのかという主体者についての問題ですが、かつてのまちづくりにおいてはお役所がやってくれるという意識が強かったと思います。今でもまちづくりは行政がやることで、私たちはできあがったまちを使っているのだという感覚が強いという人がいます。けれどもそうではなくて、自分たちで自分たちのまちのことを考え活動するとか取り組んでいくというような姿勢でいることが非常に重要だと思います。徐々にこういう形になってきているのではないかと思っています。ケースによっては行政にお願いしなければならないものもありますから、互いに役割分担をするとか協力体制をどうするのかという形で進んでいくのが望ましいやり方だと思います。それにあわせて女性の参加、女性の意見が非常に強く反映されるようになってきたと感じています。
 また、まちづくりを推進していくうえで自分たちのまちに対する強いこだわりがあるとか何か固執するとか心意気が必要になっていると思います。
次に「町並み景観をどうとらえるか」というテーマについてお話しします。
 おそらく景観といってもどういうふうにその景観を見たらいいのかというところで皆さん方もよくわからないというところがあろうかと思います。この点については私たち自身もそんなに明確に答えを出すわけにはいきません。かつては社会の変化や成長が全て数字だけで測られていましたが、環境とか福祉とかまちづくりとか景観といった新しい指標、それを私は「ものさし」という言い方をしているのですが、今度は数字では測れないものに変わってきてしまいました。景観は他のものさしと並んで近い将来非常に大切な「ものさし」になっていくだろうと思います。
 景観に対する判断というのは非常に重要なポイントですが、これは明快に学術的にこうしなさいといったようなものがあるわけではありません。この部分は私の個人的な価値観として申し述べさせていただきます。例えば一軒の住宅でも一軒のお店でもいいのですが、それが建てられている「場所」が重要だと思っています。同じお店でも善光寺の前に建てるのと駅の前に建てるのと山の裾に建てるのと田園の真ん中に建てるのとみんな違うわけですね。まわりの環境をどのように判断して、そこにどんな景観がふさわしいのかというように考えることが非常に重要だと思っています。それは単純な話しじゃなくて、その場所がもっている歴史や伝統とか、そこにどんな人が住んでいるかといった奥深いものが存在して初めて景観としてあらわれてくるので、その場所のコンテクストをどのように意識して読んでいくかということが非常に重要なことだと思っています。画一的に全部が統一される必要はないと思っています。場所によっては必要なことかもしれませんが、むしろルーズな中で多少違いがあってもバランスがとれている、このバランス感覚がとても重要だと思っています。一般的には景観はそろっていればいいという感覚が支配的です。しかし例えば、皆と同じ黒い詰襟の服を着て立っているのが良い景観かというと決してそんなことはないと思うのです。戦後できたうさぎ小屋と言われる公営住宅が素晴らしい景観かというと決してそんなことはありません。人間というのはもっと幅が広いというか優柔不断なところがあって、似たようなイメージの連続やバランスみたいなものを自然に受け入れていけるようなところがあると思っています。
 さて、「景観づくり」ということについてです。
 まちづくりの話しにも共通していますが、景観を誰がつくるのかという話しになります。景観サポーターとか景観アドバイザーとかいった仕組があって、行政の方が非常に熱心に景観というものに目を向けて取り組まれている。そのことを否定するわけではありませんが、本当はそこに住んでいる住民、市民といわれている人たちが自ら立ちあがらないと景観づくりというのはできないと思います。自分たちのまちを深く思い、子供たちや後世にしっかり残していきたいという強い思いがない限り、本当の意味でのまちづくり、景観づくりはできないと思っています。
 こういう言い方はあまりしないと思いますが、景観に対する自治といいますか、人まかせにしないで自分たちで治めていく、自分たちで創っていくという意識や姿勢が必要な時代になっているのではないかと思います。
 そして「組織づくり」です。
 私は一建築士、一市民という立場を兼ねて皆さんのお手伝いをボランティア的にやっているわけですが、一般的に言ってまちづくりや景観づくりは一人できる物ではありません。皆が協力して手を組むという姿勢が必要だと思います。個人のレベルで意識を高めていくということも先ほどから言っているように重要ですが、組織的にみんなで考えていくという形にもっていくのが有効だと思います。組織を作る目的は、景観を創ることを押さえつけるのではなくて、気軽に相談できるとかこういうふうにすればもっと良くなるよというようなことが可能になるだろうということです。
 景観とまちづくりということでお話ししてきました。景観にもまちづくりにもいろいろなテーマがありますが、特に市街地といいますかまちの中では「町並み」という点において密接な関係があって重要な要素だとお分かりいただければありがたいと思います。

対談-大門町南方地区景観協定-:
 関:滝沢善五郎さんは、松葉屋という家具屋さんを営まれています。ご存じの方も多いと思いますが、中央通り(長野市)を歩いていると一番センスがいいんじゃないかと思う店づくりをされています。ついつい中に引きこまれてしまうような素晴らしい感性のお店です。私が最初に滝沢さんを知った時は実はそんなにまちづくりに熱心な人には感じられなかったのですが、その後いろんな場面でお話しを聞いていくうちに非常に自分たちのまちを大事にしているということがわかりました。美術大学を卒業されていて素晴らしいデザインセンスを持っていらっしゃって、それを活かしてまちづくりに取り組んでいるわけです。では最初に、中央通りが駅から善光寺まできれいになって特に大門町上地区は強く個性を表現した姿でできあがってきましたが、そのことについて個人的なことでもいいのですが、感想とか何かありましたらお聞かせ下さい。
 滝沢:評価するのは非常に難しいので、個人的に羨ましいなと思う部分からふれていきたいと思います。大門町上地区の整備というのは昭和30年ころから数十年かけて培ってこられたという素晴らしい成果というのが第一の感想です。ただ、街路の景観というハードの面で申し上げますと、私たち南方には違う道があるのではないかとも思っています。アーケードを撤去し電柱地中化が終了したというレベルは共通です。この状態は絵でいうと画用紙とかキャンバスにコンテで荒く下書きをしたようなもので、そこからどういう色をつけていくかというところは、これからじっくりと時間をかけてやっていってもいいんだろうと考えています。
 関:大門町というゾーンはしんきん大門町支店のある大門町南の交差点から上のところで歴史をさかのぼるとここはかつての善光寺村という領域になるわけですね。今は上と南にわかれていますが、南方には「大門町わかいひとの会」という会があります。これができた経過つまりいつ頃できたのか、どんな人たちが集まっているのか、そういった辺りを皆さんにお話しいただきたいと思います。
 滝沢:私たちの町には大門町南方商和会という商店街活動をしている団体があるわけですが、これは協同組合ではなく任意の団体であまり熱心に活動をしてきたというわけではありません。一方大門町上や権堂、後町など周囲の商店街では電線地中化に加えて再開発のような動きもある。南方はこのままでは取り残されてしまうのではないかという危機感が会をつくった一つの動機です。また町には人材がたくさんいるのです。例えば青年会議所の理事長や副理事長を経験されたというような若い人がたくさんいる。ところがまちに目を向けてくれない。なぜまちの方を振り向いてくれないのだろう。そういう人たちを振り向かせてまちづくりに少しで参加してもらうにはどうしたらいいだろうと考えました。今から5~6年くらい前、まだオリンピックが来るとか来ないとか言っていたような時期に「大門町わかいひとの会」は発足したんです。大門の場合はみな古い店なのですが、会のメンバーは二代目といいますか社長さんでない若手の後継者にでてきていただこうということでピックアップしました。具体的には月に一回、日を決めて集まってお酒を飲みましょうという呼びかけで始めました。私がその席に講師をお呼びして勉強をするという仕掛けをして、その後お酒を飲んでワイワイと大門町のまちづくりとか将来について語り合うというような運営をしています。
 関:この会は私の知る限り、まちづくりに主体性をもって取り組んでいる珍しいケースかと思います。わかいという言葉にあまりとらわれないでやってもらった方がいいのではないかと思います。今まで行ってきた具体的な活動についてご紹介いただけますか。
 滝沢:やってきたことは、まずミニ博物館。それからこれは景観に密接に関係しているのですが、ファサードとファサード、建物と建物の間の隙間に竹垣を取り付けるというようなことも実施しました。それと今日のフォーラムのメインになると思いますが、景観形成住民協定というものもずっと考えてきて、なんとかまとめることができました。それぞれ独立した事項ですが、全部景観とかまちづくりという括りで考えてきたつもりです。現在ミニ博物館は12館になり、この夏それぞれに統一の袖看板をつけたのです。アルミの鋳物に真鍮のプレートが入っているものです。協定にも関係してくるのですが、ばらばらの袖看板を撤去して統一していきたいという考えがありまして、そのきっかけになればいいんじゃないかということで、ミニ博物館看板を取りつけました。
 関:景観形成住民協定のことがでましたが、これもわかいひとの会ができたころから温めていた構想だったと思います。どんなふうにできたのか、その辺の裏話しも少しお願いします。
 滝沢:中央通り活性化連絡協議会という中央通り沿道の10商店街で構成する会がありまして、イメージ創造部会という中央通りのイメージを考えていくという部会があります。そこでいろいろ勉強したのですが、看板一つ見ても駅前は煩雑になっていますが、だんだん上に登っていくと色調なども落ち着きがでてくる。できればエリア的に何かガイドラインみたいなものを考えられたらいいなという思いがありました。でも全体としての取組みは不可能に近いだろうということで、地元の大門から始めようと考えたわけです。駅前には駅前の決まり事があってもいいし、大門には大門の決まり事があってもいいだろうということで、大門町南方地区景観協定というものを作らせていただいたのです。それともう少し自然発生的な部分もあります。一般的に今度どこどこの家を直すらしいという話しがあるとそっと見守ると思うのですが、大門町南方というところは育成会などを通して子供の頃から皆知っている間柄ですので、わかいひとの会の飲み会などであの建物はこうした方がよいとかああした方がよいとか好き勝手に人様のところに口出ししたりするわけです。これはちょっと珍しいことかもしれません。そうするとエスカレートして関先生に絵を描いてもらいましょうという話しに発展していく。そんなふうに人様のところに口出しができる環境をつくっていきましょうというのがそもそも底流にあったんだと思います。
 関:実際にまとめるまでには時間がかかりましたね。
 滝沢:協定文を考えなくてはいけないということと自分たちが思っていた以上に説得や手続などに時間がかかったということがあったのですが、そうは言ってもスムーズにいったというのが個人的な印象です。
 関:立ち上がりまで時間はかかりましたけど、実際に動き出すと古くからのコミュニケーションの成果がはっきり見えてきたのではないかと思います。協定の文章がなかなかできないということで私が原案みたいなものを作らせていただいたのですが、内容についてはどうですか?
 滝沢:内容的にはごく普通の市民生活あるいは商店街での商いをするにあたって当たり前のことを当たり前に書き出そうということだったと思います。こんなの誰でもやっているじゃないのというようなことをあえて載せたつもりです。例えば店の前を掃除するにしてもまちを美しくするために掃いているのだと思ってやるのと自分の家の前だけきれいにしておけば良いと考えてやるのとでは同じ労力でもまちのきれいになる度合いがちがうのではないかと思うんです。またファサードなどを工事するときに、同じ労力と同じお金を使うのでしたら町全体のことを頭に描いているかいないかで結果が相当ちがってきてしまうだろうと考えています。皆に当たり前のことを意識してもらいたいというのがこの協定の肝心なところではないかと思います。キャンバスに下書きをしてこれから自由に色をつけることができるということで自由度の高い協定になっているわけです。
 関:一般的に協定というと規制というイメージがあると思うのですが、南方の場合はむしろソフトに日常の商業行為のなかで当たり前のことをやっていきましょうと決めた。当たり前のことすらなかなか守れないということもあるということでしょうか。滝沢さんの発言は非常に重要なことだと思います。基本的に新築の建物を対象にしたものではなくて、あるものを守っていきましょうということですね。
 滝沢:大門の場合新築工事というのは少ないですから。
 関:最後になりますが、わかいひとの会を中心としたこれからの活動のテーマについてお話しいただけますか。
 滝沢:しんきん南の旧国道406号のところは今は蓋をして暗渠になってしまっていますが、道路の下には金鋳川という裾花川から流れてくる支流が流れているのです。これをなんとか復活させたいというのが私たちの願いです。今は車社会ですから少しでも車を通せるように川に蓋をして幅を広げる方向だと思いますが、私たちは逆行して道路を一方通行にして川を復活させたいと考えています。それもただ単に川を復活するということじゃなく、もっと親水性のある川にしたいと思っています。そもそも長野の町なかには自然が非常に少ない。樹木も川の流れも少ない。そうなると生物の住む余地もない。小鳥も集まらないというのが長野の町の実態です。蛍までいけるかどうかわかりませんが、とんぼが飛ぶとか小鳥がさえずるとかいう川に復活させたいと考えています。実際金鋳川というのはかなり深い掘になっていますので、できましたら下の方に実際の流れがあって上の方はせせらぎがあるという二重の構造にしてはどうかと考えています。もう一つ、大きなビジョンとして大門町南方を博物館・美術館の街、英語でいうとミュージアムストリートというのですが、そういう町にしたいと考えています。ミニ博物館の構想をどんどん進めて全てのお店をミニ博物館化することと2~3の核になる美術館、博物館をつくりたいと思っています。例えば市の博物館の分館をつくるように働きかけるとかいろいろなアイディアがあると思います。町なかで音楽コンサートが日常的に開かれているような潤いのある町をめざしていきたいと考えています。
 関:だんだん難しいテーマに取り組んでいくような状況になると思うのですが、どうしても道路というか交通問題が伴っていますので、なかなか自分たちの意思だけでは動かない部分があると思います。景観サポーターの皆さんにもある場面で応援団になっていただきたいと思います。時間がきましたのでこれで終りにしたいと思います。今日お聞きになっておわかりになるように大門町南方地区の活動というのはとてもユニークなもので、だからといってそれを真似して下さいというようなものではありませんが、住民が主体性をもって取り組んでいる姿勢は多いに参考になるのではないかと思います。今日は何かしてくださいというお願いをするわけではありませんし、結論を出すわけでもありません。皆さんに景観に対する意識を少し高めていただいたり大門町の取組みに対して理解を深めていただいたというところで終りたいと思います。どうもありがとうございました。

長野地域景観推進協議会:「長野地域景観サポーターフォーラム」1999年9月9日講演・対談要旨

まちづくりと景観

 明治維新は日本史上最大級のカルチャーショックではないか。千年以上に渡り築かれてきた日本文化は、新参の西欧文明によって脇に寄せられた。その文明は以後100年余の間に経済急成長をもたらしたが、オイルショックによって歪みを露呈した。成長から成熟へと価値観が変わってくるとそれまで沈黙させられていた日本文化が再び見直されてきた。文明は一極集中を引き起こし巨大な都市開発を推進したが、文化は地方分散を促進し地域(場所)や生活に根ざした村おこしやまちづくりのうねりをつくり出した。
 文化とは、住民がその居住する地域との密着した営みの中で長い時間をかけて創りあげてきたもので、やすやすと消滅するものではなかった。固有の伝統風習・地場産業などのほか、生活が築いた景観も地域文化の重要な一要素と考えることができる。したがって町並み景観とまちづくりとは生活や地域文化を介して切り離して考えることのできない密接な関係にあるといえる。地域文化的町並み景観を活かしたまちづくりの先進事例には小樽・小布施・川越・長浜・彦根・伊勢・出石・津和野・有田などがある。
 まちづくりの視点から景観を考えると、周辺環境との関わり方や建築の集合(群)景観が要点となる。そもそも景観という概念には全体秩序や予定調和的な感覚が含まれているので、まちづくり景観にも連続性・一体感や調和・バランス等が重視され、全体に混乱をきたすものや画一的なものは敬遠される。木曽の古い街道の町並みなどはそうした観点から文化として多くの注目を集めているが、これを活かすことが今後のまちづくりの課題になっている。景観はまちの生死を左右するほどの重要な要素になっている。
 長野市の中央通りはオリンピック開催を目前にして電線地中化工事が完成した。アーケードや電柱が消えてすっきりしたが、特に善光寺門前の大門町地区では土蔵づくりの古い町並み景観を活かしたまちづくりが進められている。大門町上(かみ)地区では町の住民たちが米国人造園建築家の協力を得ながら自主的な提案を行い、石畳の道路に常夜灯が設置された日本庭園のような完成度の高いゾーンになった。大門南方地区もかつての善光寺村最南端にあって土蔵づくりの老舗が連なるゾーンであるが、ビル建築が混じったりシャッターをおろした空店舗・空地が目立つ活気の感じられない町になってしまった。そこで、町内の若者有志による「わかいひとの会」を中心に独自のまちづくり活動に取り組んできたが、「まちかどミニ博物館」の開館や「景観協定」の締結によって徐々に実績をつくっている。景観協定については、景観に対する意識高揚を計るつもりのもので、当初から制度をつくることを目指したわけではなかったが、県や市の指導や助言を得て実現した。案文の作成は個人的に会のアドバイザーをしていた私が行い、また住民への個別説明は町で行った。協定は町の人の賛同を得て、昨年末(9月末)に県知事の認定を受けた。協定はあくまでもこれからのまちづくりのスタートであり、むしろこれからのが大切な時期と言える。実践に当たって問題が発生することも予想されるが、住民と専門家・行政の協力によって少しづつ解決しようと考えている。まちづくりにおいて最も重要なことは住民が自分自身で立ち上がることと慌てずゆっくり粘り強く取り組んでいくことである。

木曽地域景観推進協議会:「木曽地域景観セミナー」1998年1月19日講演要旨

大門町南方地区景観協定とまちづくり

 長野市善光寺門前の大門町。電線地中化工事によって電柱やアーケードが消えた土蔵づくりの町並み地区に景観協定ができた。場所は中央通り大門交差点(八十二銀行大門町支店角)から大門南交差点(長野信用金庫大門町支店角)までの大門町南方と呼ばれるゾーンである。長野市内では二つ目の住民協定で、昨年12月16日県知事より認定された。
 この町では3年ほど前から商店の次代を担う若者たちが「大門町わかいひとの会」を結成してまちづくりに取り組んできた。私も個人的にアドバイザーとして参加してきた。1年半ほどして8館の「まちかどミニ博物館」がオープンした。各々の商店で眠っている自慢の品を店先に展示したもので、小さなコーナーながらユニークな試みで話題を呼んだ。
 それと並行して、土蔵づくりの町並みを守りながら、より活かしていくための「景観協定」についても検討を重ねてきた。アーケードが外れて店先の改修や建替えの計画も進む一方で、県や市の景観担当者の助言指導を受けながら、「自分たちの自分たちによる自分たちのための」協定づくりが進められた。現時点では町内35軒中28軒が賛同している。
 協定事項は、◇ウィンドウにポスターやチラシ類を貼らない◇店先に暖簾を下げたり、ベンチや花を置いたりしよう◇夜は店先に明かりを灯そう◇商品が道路にはみ出さないようにしよう◇道路や植栽をきれいにしよう◇立て看板やのぼり旗を置かない――などのような日常的な内容である。
 今回の協定案は同会のアドバイザーであると同時に景観サポーターでもある私から提案させてもらったが、協定に限らずまちづくりは住民・行政・専門家の協力がなければできない。また、景観協定は住民一人ひとりの理解の上に成立している町全体のルールである。協定には規制的側面もあるが、意識高揚的側面もある。またそれはゴールではなくスタートである。実際にはそれによってまちの景観が急変したり一挙に整備されるわけではない。まちづくりには途方もなく時間がかかるということを認識しておくことも必要である。
 大門町南方では住民たちが自分自身の力によって町を再起させようとしている。ミニ博物館や景観協定は自分たちを育ててくれた町並みという古い財産に新しい息吹を与え、快適な町に暮らしながら次代に受け継ごうとするポジティブシンキングの表れである。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1998年2月13日掲載

文化とまちづくりと景観

 明治維新は日本史上仏教伝来と並ぶ最大級のカルチャーショックではなかったか。仏教や中国文化を消化し1000年以上に渡り築かれてきた日本文化は、新参の西欧文明によって舞台の袖に押しやられた。その文明は以後100年余の間に高度経済成長や生活利便をもたらし一極集中ピラミッド社会構造や巨大開発を推進したが、オイルショックをピークに失速した。成長から成熟へと価値観が転換してくると陰に追いやられていた日本文化が再び脚光を浴びた。文明は過去を超えることによって成長する時代性の表現であり、全体・生産・技術・量などを重視する。文化は過去を蓄積することによって成熟する地域性の表現であり、部分・生活・人間・質などを大切にする。文化は多極分散ネットワーク社会構造の下に地域(場所)や生活に根ざしたまちづくり現象をつくりだした。文明が成長の時代をもたらし成熟の時代が文化をもたらしたが、その文化が「まちづくり」の時代を導いた。
 文化とは住民がその地域との密着した営みのなかで長い時間かけて築いてきたもので、やすやすと消滅してしまうものではなかった。それは固有の伝統習慣・地場産業などであり、生活が築いた景観も地域文化の重要な要素である。したがって文化の申し子のような昨今のまちづくりにおいて、町並み景観とまちづくりを切り離して考えることは難しい。
 まちづくりには過疎地域における村おこしなどのように“地域振興型”とも言うべきものと、自然環境や景観などの個性を活かして認知を図ろうとする“自己表現型”とも言うべきものとがある。伝統環境における町並み景観を活かしたまちづくりなどは言うまでもなく後者であり、小樽・函館・川越・長浜・彦根・伊勢・出石・津和野・有田など多くの先例がある。
 まちづくりの視点から景観をとらえると、周辺環境との関わり方や建築の集合(群)としての姿などが要点になる。そもそも景観という概念には全体秩序や予定調和的な感覚があるので、まちづくり景観にも連続性や調和・バランスなどが重視される。古い街道筋の町並みなどはそうした観点から地域の文化として見直されているが、それらをどのように維持し活かしていくかがまちづくりの課題となっている。地域文化としての景観を維持していくには社会全体の意識向上が必要で行政や専門家の支援も有効であるが、住民自身がそろって自分のまちに関心を高めることが必要で、景観住民協定もそのための一つの方法である。まちづくりに対する評価で重要なものさしはそのまちが「生きている」かどうかということではないかと考えているが、景観はまちの生死を左右する大切な要素となっている。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1998年2月6日掲載

古くて新しい―長野市善光寺門前

 長野市は善光寺を中心に発展してきた。相つぐ合戦が落ち着いて江戸時代になると、老若男女を問わず全国から多くの善光寺参詣客が訪れた。土蔵づくりの並ぶ門前大門町の風情はこのころから形成されてきた。
 明治時代以降の大門町界隈は一時輝かしい時期を体験したものの、戦後50年の間に郊外への人口流出や商業重心の移動が進み、徐々に活気を失っていった。
 そんなところへ長野冬季オリンピックがやってきた。巨大な競技施設と並んで、高速道路や新幹線などの高速交通体系や市内幹線道路が一挙に整備され、長野市周辺がかつてない変貌を遂げる中で、まちづくりへの関心は否が応でも高まった。そうした一連の動向の中で、長野駅から大門町を通り善光寺に至る全長約2キロの表参道も、電線・電柱や色褪せたアーケードが撤去されて、歩いて楽しい街路空間に生まれ変わった。
 道がきれいになるとそれまでかすんでいた大門町の土蔵づくりの町並みがにわかに魅力的に見えだした。自分たちを育ててきた古い素材を活かしながら新しいまちを未来に向けてつくり育てる試みが、商店街の若い人たちの手で始まった。古さをかたくなに保存するのでもなく、すべてを新しく変えてしまうわけでもない。大門町の街角に置かれた常夜灯や手加工の石畳は古くて郷愁も誘うが、新しくておしゃれでもあるのだ。まちにかける熱い情熱と行動が徐々に成果を産んでいく。道を広場に見立てたイベントや竹のインスタレーション、自店の古い所有物を店頭に並べたミニ博物館のオープンや景観協定の締結。大門町は再び長野の顔に戻りつつある。

㈱婦人の友社:「婦人の友」1998年2月掲載

まちづくりにおける本物指向

 「モノの時代から心の時代へ」と言われてきた。心の時代とは心の充足のために無形の精神的なものが重要であるという意味で言われているが、有形のモノも伴ってはじめて実感できるものである。しかしモノ不足時代におけるモノ指向とモノ充足時代におけるそれとはおのずと異なっている。かつては不足を満たすための量的な指向であったが、今はモノに対するこだわり現象が見られる。こだわりは本物を指向する。本物とは表面的にはブランドや材質等に置き換えられるが、核心には存在感の証明が内在している。
 私はまちづくりにおける復活再生の動向も同じ指向性として理解したいと思う。歴史文化を活かしたり周辺景観との調和をはかるといった表面的な動機の根底には古いものに本物としての価値を感じているところがあるのだと思う。高度成長時代に行なった安直な改修や化粧を取り去り、かつての面影に本物としての文化の厚みや手作りの暖かさを発見しているのだろう。長野市内で起きた長野高校や長野駅舎の保存運動にしても、それに馴染みを感じているという以上に、新しくつくられるものに本物を期待できないことに対する反動から旧建物に本物としての価値を見出していたのだと思う。本物とは唯一性であり再生も再現も不可能である。本物には語り継がれる伝説が伴う。新長野高校校舎にはデザインや材料について我々のこだわりがある程度までは実現された。本物としての評価(伝説への可能性)はすぐには定まらないが、やがて学校の歩みとともに歴史が育ててくれる可能性を信じたい。新長野駅舎には旧駅舎に勝るエネルギー(永続性への予感)や本物感が感じられない。
 昨年、中央通り大門町が生まれ変わった。手づくりの石畳やアンティークな街灯、善光寺から移された常夜燈などによって個性豊かなまち空間に変貌した。ここにはまちの人たちの深い情熱が込められており、それが本物として人々の感性に訴えかける表現になっているのだと思う。手加工の御影石は人間味を感じさせる。土蔵の建築も化粧直しをされてかつての面影をよみがえらせてきた。
 善光寺境内の駒返橋周辺の参道の石も改修されたが、最高価な本小松石を使い元の石に近い表情にこだわった。橋両側には水路がつくられ、水の流れがあらわされてさわやかで落ち着いた風情を創出している。橋と水のあるべき姿の復元に関わることができた。まちが徐々に本物になっていくことに人々は大きな喜びと期待を感じているのではないかと思う。

JIA長野県クラブ:「JIA長野県クラブ」1997年7月1日掲載

まちづくりボランティア報告4 ながの未来塾

 「ながの未来塾」は長野青年会議所のまちづくり委員会OBと現役メンバーが中心になって発足した。かつて長野青年会議所メンバーであった私は1985年に日本青年会議所「21世紀ビジョン委員会」というところに出向し21世紀に向けた地域ビジョンづくりについて始めて学ぶ機会を得た。そして翌年から長野青年会議所でもまちづくりビジョン作成に取り組むことの必要性を主張した。幸い青年会議所には社会開発というプログラムがありその延長として位置付けがなされまちづくり委員会がスタートした。勉強会を中心にした活動が行われたが、1988年長野青年会議所35周年記念提案として「新しい風構想―元気で楽しいまちづくり」がまとめられた。この中で長野市のこれからのまちづくりに対する理念提案と共に広く市民によるまちづくり組織の必要性も掲げた。青年会議所は年齢が40歳になると卒業することになっているが、まちづくりは年齢や性別などに関係なく関心のある人にとってはライフワークになり得る息の長いテーマである。青年会議所という組織をこえてまちづくりを考え続けたいと願う人たちを中心に仲間を集い「ながの未来塾」がスタートした。
 ここでも活動は勉強会から開始した。オリンピックを目前にして変わりつつある現実のまちづくりの動向をタイムリーに取り上げその中心たる人物を講師として招いてホットな状況を学んだ。そうした現状認識を踏まえ最近は自分たちの独自の提案をしていく活動に切り替えつつある。昨年からはまちの中の水空間についてテーマを絞り、「千曲川を見にいこう」というイベントを開催したり北八幡川(鍋屋田小学校脇)のイメージアップ提案をしたりし始めた。まちづくりの実現には地元や行政の理解が欠かせないので未来塾は提案と共に後押しができればよいと思っている。一つのまちづくり提案が実現するには長い時間を要するので地道なボランティア活動が必要になってくる。一人でも多くの人が自分の身の回りの環境に関心をもってよりよいまちをつくるために集うことを切望している。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年5月16日掲載

まちづくりボランティア報告3 善光寺まちづくり会議

 「善光寺」は古くから今日に至るまで長野市の中心的存在として全国各地から多くの参拝客を集めてきた。それは宗教面のみならず観光面でも圧倒的な存在であったが、最近の価値観の多様化や余暇利用の分散化傾向のなかで寺と密接な関係にある町(区)との連携に取り組み始めた。善光寺や商店が単独に工夫をしても限界があるが協力すればいろいろな可能性が生れ広がる。「善光寺まちづくり会議」は善光寺と元善町、大門上町が共同で善光寺を中心とした自分たちのまちづくりについて考えるためにスタートした。
 その勉強会の席上に講師として招かれたのをきっかけにこの会議にもアドバイザーとして参加することになった。私が最初に行ったのは善光寺境内とその周辺の現地調査(観察)であった。この地域の環境構成要素を項目に分類しそれぞれについてコメントをしていった。道路、水路、植栽、あかり、塀、空家、物干台、看板、エアコン室外機、電線、自動販売機などについて写真や地図によってレポートを作成したところ、自動販売機について新聞が反応してくれた。その後も仲見世通りや駒返橋周辺のイメージ図をいくつか作成した。
 その後、会議は四つの委員会を作って参道敷石の文化財指定、駒返橋周辺の水路復活と歩道整備、電線の地中化、ごみの回収、二天門跡の信号設置などについて検討をしたり行政との折衝も始めた。そしてその中から参道敷石の文化財指定と駒返橋修復整備工事が実現した。善光寺に参拝するには長野駅から中央通り(表参道)を上り、善光寺境内の石畳を一歩一歩踏みしめて本堂に至ってほしい。仲見世を過ぎたところにある駒返橋は水路や歩道の整備と合わせて修復され“結界”としてイメージを一新した。いずれは植栽や照明によってさらなるイメージアップが計画されている。自分の描いたまちのイメージが実現されていくのは心踊るものである。
 不評の寺裏の駐車場も含めてこの地域のまちづくりの課題は広域的な検討を要するものが含まれているが、成果は少しづつ姿を現わしてくることだろう。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年5月9日掲載

まちづくりボランティア報告2 大門町わかいひとの会

 「中央通り」はキャブ工事によってきれいになったが、同じ大門地区でも上町と南町は幅員22mの新国道406号で分断されるのに加えてイメージ面でも趣の異なったものになってしまった。大門南地区はかつて門前の商店街として繁栄した時期もあったが、時代の趨勢で次第に郊外に営業拠点を移し、空店舗もでるような状況になっている。
 「大門町わかいひとの会」というのはこの地区のまちづくりについて協力していこうとする商店街の後継者を中心に十数名で構成されている。私は発足時からアドバイザーとして仲間に加わっている。毎月一回の例会を開催し意見の交換をしているが、そうした中でそれぞれの店に昔からある古い道具等を店先に展示する「ミニ博物館」やそれに伴う統一看板、店先からシャッターを取り外すファサードのシースルー化や空店舗のリニューアル提案、竹垣による店舗間の隙間ふさぎ、かつては水面の見えていた金鋳川の復活再生、ファサードに関する景観協定などがテーマとなった。商店の繁栄も願っているが、どちらかといえばまちとしての景観面の整備充実にウェイトが置かれているように感じる。これは行政の理解やサポートなくしてできることではないが、公共空間が整備された後の民間サイドの自助努力として地味ではあるが注目すべき重要な動向となっている。ミニ博物館は同会のメンバーが館長になって既にオープンしている。小さな存在なので十分に機能しているとは言い難いが、各地からの視察は相当数にのぼると聞いている。現在では館数拡大を検討中で、町内をこえて仲間を増やそうとしている。
 こうした自主的な会の活動はそれ自体がボランティアで、まちづくりのモデルになるような尊いことであるが、他ではあまり見られないことである。キャブ工事が行われた時のように目前に共通の利害がある場合は容易に結束するが、具体的な目標がない場合にはまちに対する一定の情熱を保っていくのはなかなか困難なことである。私はいくつかのファサード改修も手掛けているが、会の継続に対するアドバイスも行っている。継続することが成果を生んで力になることを信じている。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年4月25日掲載

まちづくりボランティア報告1 信州善光寺大門町上地区のまちづくり

 長野市の「中央通り」の電線地中埋設工事が1996年の夏に完了し、地上から電柱やアーケードが消えて生れ変わった。中心市街地おける一連の電線地中化の背景にはオリンピック開催への準備というばかりでなく、景観整備に対する関心の高まりなどもあった。
 中央通りは大正時代に“十間幅”に拡幅されたが、今回はそれ以来の大規模な改修工事で地元商店街の期待も大きかった。商店街の知人からの「地元で協議会をつくったのでアドバイスをしてほしい」という依頼が私のまちづくりボランティア活動へのきっかけとなった。協議会ではこの通りを「善光寺表参道」として再認識し中心商店街の復権を期しており、行政のありきたりな計画に満足していなかった。彼らは住民の立場になって一緒に考えてくれる専門家が欲しかったのだ。私は「長野市の歴史や文化を感じさせる歩行者優先の“みち”として再生する」ことをコンセプトとして、安心して歩きながらまちの風景をゆっくり楽しむことができる通りにすることが大切だと主張し、行政との折衝や研修などにも参加していった。
 特に善光寺門前の大門街上地区は強い情熱を持っていた。「善光寺の前庭」らしいイメージの模索を続け、私も一緒にイメージづくりなどに加わったが、町の会議はいつも夜半に及んだ。ついには京都在住のマーク・ピーター・キーン氏という造園建築家を呼びデザインの依頼をした。通りというよりも広場として一体的にデザインされディテールや仕上げにもこだわった。圧巻は善光寺から常夜燈を移設し町のゲートとしたことである。行政や関係管理者との協議や議論は延々と続けられた。すべてが望み通りにできたわけではないが、多くの人から評価をいただける空間ができあがった。町の人たちの熱意が行政を動かしたケースととらえることができる。私はパートナーとしてサポートしてきたが、多くの人たちと感動をともにし、まちづくりの素晴らしい一面を体験した。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年4月18日掲載

川とまち

 長野県は全国でも有数の自然に恵まれた県なのに長野市内には自然が少ない、というのは多くの人の実感ではないかと思います。狭い都市空間が発展という名の下に「利便」と「効率」に置き換えられていったことへの代償なのでしょう。長野市はそもそも扇状地で千曲川、犀川、裾花川に囲まれていますし、都市内水路は河川の他に用水路も多く網の目のようになっているのですが、自然を感じさせる水面はいつしか蓋をされ道路等の下となって見えなくなってしまいました。大きな川の堤防も車に占領されて川と生活は縁遠いものになってしまいました。残念な気持ちでいる人も多いと思います。ところが最近は身の回りから自然が消えたことへの不満や反省がみられ、川の空間の再生を望む声があちこちで聞かれるようになりました。他都市では親水性水路や遊歩道の整備をして川と人間との関係を一生懸命取り戻そうとしている例がみられます。川の流れを見ながら二人で歩いたり語ったりできればロマンチックですよね。
 「ながの未来塾」は生活者の視点に立ったまちづくりに関心のある人のグループで、スタートしてから3年になります。毎月の勉強会では長野市のホットなまちの動きや今後のまちづくりの中で考えていかなければならない問題等について学んできました。
 今年は都市生活におけるうるおいを求めてまちの中の水空間をテーマにしています。水とのふれあいを一緒に考えてみませんか。

㈱週刊長野新聞社:「週刊長野」1996年6月22日掲載

「地域に合った景観」とは

 私たちが幼いころは、自由に遊べる広場や空き地がどこにでもあった。「ドラえもん」のアニメーションに出てくるような空き地で、草むらがあったり、隅には土管が積み重ねてあったり。それは、使用料を払って足を踏み入れるような場所ではなかった。
 ところが、戦後の経済効率優先の開発の中で、こうした「フリースペース」は「私権」や「有料空間」に置き換えられた。自動販売機が増えたことはその一つの象徴だと思う。美観を損ねるとともに、無言の売り買いが人と人のふれあいをもそぎ落としている。
 私は数年前から、善光寺の参道だけでも自動販売機のあり方を見直そうと提言し、業者もスリム化や周囲の景色と調和した自動販売機に改良した。これを機にもっと踏み込んで経済優先の状況を見直してはどうか、と思う。
 レトロ、蔵づくり・・。単純に周囲に調和してさえいれば良いという安易な評価は「景観」の一面をとらえているにすぎない。
 全国どこにでもある住宅団地に、団地にマッチした家を設計したとする。「調和」は保てる。でも一律の団地景観が経済効率優先の戦後の生き方そのものだとしたら・・。むしろ周囲に一見そぐわない、新たな価値観を秘めた建築にこそ次世代に残せる景観形成の可能性があるのかもしれない。
 健康状態が顔の表情に出るように、景観は暮らし方や生き方の表れ。一人ひとりが行政任せにせず発言していくことが欠かせない。

㈱信濃毎日新聞社:「信濃毎日新聞」1995年11月10日掲載

アルベールビルオリンピックの印象

 旅行をしていつも思うことがある。「百聞は一見にしかず」。人から聞いた話しもガイドブックも、現実の体験や見聞に優るものはない。そしてまた、それも一つの断片に過ぎないことも合わせて痛感する。アルベールビルでの体験もまさにそうしたものであった。
 フランス。サボワ。アルベールビル。オリンピック開会式場。人混みの向こうに巨大な仮設スタジアムが見える。仮設であることは聞いていたのでさほど驚くことはなかったが、高さ15mをこえるであろう仮説スタジアムは壮観であった。ごった返すゲートで一人づつセキュリティチェックを受け、決められたシートにつく。そこには見慣れない開会式場風景が用意されていた。スタジアムの中央に照明やアームのたくさんついた鉄塔がある。そしてそこからスタンドの上部まで張りめぐらせたワイヤーロープ。見るからに異様である。なぜこんな邪魔なものを作ったのだろう。しかしその訳を理解するのに長い時間を要することはなかった。
 開会式はまもなく始められた。選手入場においては先導の女性の衣装が風変わりな印象を与えたが、フィリップ・スタルクのデザインによる朝顔のような形の聖火台にフランスサッカーの英雄ミッシェル・プラティニの手によって聖火が点灯されるに至るセレモニーはむしろ簡素であり、見せ場はその後のアトラクションであった。回を重ねるごとにショーとしてエスカレートしてきているアトラクションであるが、今回のそれはこれまでのものとは全く異なった演出がされていた。ショー効果を計算したプログラム進行、未来的なイメージの奇抜な衣装、無彩色から極彩色までのあふれる色彩、鉄塔とアームを使ったアクロバティックなアクション、ワイヤーロープやクレーンを使い空中からアプローチする意表を突いた登場の仕方、アルプスホルンやパリの街角に聞こえる手回しオルゴールの音、ライトアップされながら空高く舞い上がる色とりどりのふきながしによるクライマックス・・。言葉だけでは表現しつくせないが、それはよくあるようなフランスやアルベールビルの地域文化のコラージュ(寄せ集め)的表現ではなく、現代フランスのプログレッシブなアートそのものの表現であり、アーティストの作品とよんでもかまわないと受けとめられるものであった。フランス・アートの面目躍如といったところである。
 従来の開会式は、新設或いは既存の競技用スタジアムを利用して行われており、式の進行や演出はスタジアムの形状に合わせて組み立てられていた。しかし、ここアルベールビルではセレモニー、アトラクションの演出を優先させ、そのプログラムの進行に合わせてスタジアムが計画されていたと思われる。仮設であることを逆手にとって、ソフトウェアに合わせたハードウェアの計画が行われたのであろう。鉄塔もアームもワイヤーロープも、そして迫りあがりのステージもフィールド下に通じる床ハッチも、もっと言えばスタンドさえもがアトラクションの演出のために必要なものだったのである。このスタジアムに競技用としての要素は何もない。このスタジアムは開閉会式専用の舞台装置としてつくられていた。
 開会式場のすぐ隣はスピードスケートリンク。木の葉型のシンプルな形態のサスペンション構造の屋根をつけたメインスタンドと、バックストレート側の仮設スタンドのみの簡素な屋外リンクである。メインスタンドは報道関係者や選手のシートになっており、IDカードがないと入場できない。一般観客は仮設スタンドで自国選手に声援を送ることになる。「いい加減」」と言われるフランスの国柄ではあるがセキュリティの面は厳しいものがあったように感じられた。屋外リンクは選手にとってはいいところ無しのようであるが、ハイテクを利用した記録の表示の早さについては特筆に値する。
 アルベールビルでのもう一つの施設はフィギィアスケートリンク。この施設のみが後に残されることになっているが、決して華美なものではない。鉄骨立体トラスで大架構を作り屋根や壁を吊っているが、質素なデザインと言ってよい。内部に組まれたスタンドは、やはり仮設になっている。メインスタンドにVIPボックスはなく報道関係者のシートになっていたが、VIPの入場がある日は必要に応じてボックスを急造するということであった。合理的というべきか、楽観的というべきか。車椅子に乗った人たちがたくさん観戦にきていたのは好感がもてた。
 もう一つのスケート施設、アイスホッケーリンク。これはシャトルバスで1時間以上もかかるリゾート地、メリベルにある。今回のホッケーリンクはこの一会場のみ。競技スケジュールをこなすのはかなり大変のようであった。また、高所にあるため選手にとっては酸素の補給を必要とするほどであった。この施設は既存施設に増築を行っており、オリンピック終了後はリゾート用スケートリンクとして使用されるそうである。増築部分の架構は集成材を使った木造。増築と既存の取り合いの施工は荒さが目立つ。メリベルにある建物はほとんど全てが集成材を使った木造であり、統一感のある景観を作り出している。
 競技施設として視察したものはスケート施設のみであったが、各施設に共通のコンセプトは「簡素」。終了すると、仮設スタンドは解体されバルセロナに運ばれると聞いた。フランスとスペインは陸続きの隣国なのだから大変なことではないのかもしれない。オリンピックを開催することはサボワの人々にとって名誉なこととして受けとめられていることと思うが、それ以上の特別な気負いはあまり感じられない。全てが一過性のイベントとしてとらえられているようで、地域づくりやまちづくりの一貫として後利用まで考慮された施設整備という印象は少ない。人口二万人程度のアルベールビルの町のスケール、文化の中では地域整備の起爆剤としてのオリンピックといっても難しい面も多いのかもしれない。「簡素」、「仮設」に基づく施設づくりの背景にはこうした事情が大きく影響しているに違いないと感じられた。オリンピックをどの様にとらえるかによってオリンピックの風景は大きく変わるということを痛切に感じた。
 アルベールビルからパリへ。名所旧跡巡りよりもまちづくりを感じとりたい。シャンゼリゼを歩く。グラン・プロジェに基づくルーブルのピラミッド、アラブ文化研究所、新大蔵省庁舎を見る。そしてオースマンもミッテランも辣腕のプランナーであることを再認識する。そこに権力を感じるといえばその通りかもしれないが、新しい「パリらしさ」やパリの「魅力」を創り出すことに成功している功績に対しても大きな評価を与えなければならない。グラン・プロジェのベースにある創造の姿勢は、オリンピック開会式のアーティスティックな表現とオーバーラップしながら、フランスの21世紀を予感させる。
 さて、長野はどのようにオリンピックを迎えればよいのだろう。今はこのことを考える最後の機会といってもよいのではないだろうか。長野にとってのオリンピックは、平和の祭典、スポーツの祭典としての側面をベースにしながら、長期的な視野に立ったまちづくりの一貫としての把え方をしていくべきであると思う。招致運動から今日に至るまで最も欠けていたのはこの長期的な視野であろう。オリンピックを迎えるまちづくりも大切なことではあるが、まちづくりはオリンピックで終ったり完成したりするわけではない。まちづくりの視点にたてば、オリンピックはむしろスタート地点としてとらえられるべきものではないかと思う。施設の後利用を検討することも重要であるが、「まち」の後利用も同時に検討していかなければならない。別の言い方をすれば、長野市の長期的未来ビジョンを構築しなければならないということであるが、それは、国際都市としての長野の「まち」が果たす役割を考え、歴史を踏まえた新しい長野の魅力や「長野らしさ」を築き上げていくことでもある。そうした夢を描く計画能力とそれを実現させるための決断力が求められているのが長野市の現状である。
 長野にとってオリンピックの成功不成功は、イベントの結果として評価される面もあるが、それよりもむしろオリンピック後のまちづくりによって判断されるものではないかと思われる。

㈱長野県建設工業新聞社:「長野県建設工業新聞」1992年3月27日掲載

イベント・コンベンション

 私はこれからの長野のまちづくりにおいて「元気さ」と「楽しさ」の表現がキーになってくると思っています。そして、その実現のためには「コトづくり」・「モノづくり」・「ヒトづくり」に戦略的に取り組んでいくことが重要だと考えています。
■ 「コト(イベント・コンベンション等)づくり」・・・日常生活の中に非日常的なイベントやコンベンションが導入されることによって生み出される新鮮な刺激は「元気さ」や「楽しさ」にとって正に生命ともなるものです。それではどんなイベント・コンベンションがより好ましいのでしょうか・・・オリジナリティがあること・地域特性があること・バラエティがあること(規模・内容・参加者・季節等)等が重要です。
■ 「モノづくり」・・・まちはイベント・コンベンションにとってステージです。イベント会場整備もさることながらそれを補完する交通や都市施設等の周辺整備も舞台装置となるのです。
■ 「ヒトづくり」・・・専門家リーダーの育成と草の根レベルでの意識高揚をはかりながら、バックアップ組織を形成していくことがポイントになると思われます。

㈱信濃毎日新聞社:「信濃毎日新聞」1988年10月21日掲載