関 建築+まち 研究室

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■展覧会印象記・・・これまでに見学してきた展覧会の印象を紹介しています

「伊東豊雄 建築-新しいリアル」展を見て

 東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「伊東豊雄 建築-新しいリアル」展の会場を訪れたのは土曜日であった。タイミングよく伊東事務所のスタッフによるギャラリートークという会場ガイドツアーが行われており、期せずして楽しい見学となった。
 伊東氏の近作やプロジェクトは既にあちこちの媒体で公表されているが、今回の会場には、“新しいリアル”を追及した9例のユニークなプロジェクトが紹介されている。
 伊東氏は流動的な時代情況や先端的な設計テクニック(ツール)などを積極的に吸収して問題意識を膨らませ、建築概念の根幹に挑戦していくという自己増殖的なタイプの建築家なので、外観表現等における定着した作風を持ち合わせてはいない。近代建築を打破するために着目した“軽さ”の追及は、浮遊感や仮設性の表現を経てバーチャルへと進化し、やがて「せんだいメディアテーク」に到達したが、この段階で、鉄という素材=物質(もの)の圧倒的な存在感によってイメージと現実の乖離を実感したと言ってよい。デジタルテクノロジーから物質への回帰=人間の存在や精神への回帰でもあったのではないかと勝手に解釈したのだが、現実の建築から建築家のイメージに向けて返されたカウンターパンチのような衝撃がそれ以後の“新しいリアル”追求への重要な動機付けになっている。
 既に完成したMIKIMOTO Ginza2、TOD’S表参道ビル、サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン2002、各務原市営斎場等を見ると、デザイン上の大きな振幅を感じさせる。スペインで進行中のリラクゼーション・パーク・イン・トレヴィエハにしても多摩美術大学新図書館にしても一つの手法展開の延長線上に位置づけられているようには見えない。
 しかしこの展覧会を見ると、「エマージンググリッド」という言葉で示された一貫したアプローチが存在していたことが理解できる。これは、氏が敬意を表している近代建築を規定してきたユークリッド幾何学図形に対して、あえてその呪縛を打破するためにモデリングソフトに所定のルール(アルゴリズム)を指示することによって徐々に変容させていくという方法であるらしい。台中メトロポリタン・オペラハウスのコンペ応募案のポーラスな植物の断面をカットしたような模型を見ると、これが単純な図形から生成されたものなのだろうかと思わせる。スタッフの説明では、デザイン解析と平行して構造解析を行えるようになったことが、実作への大きな原動力になっているとのことであった。
 会場は3つのスペースで構成されている。スペースBと呼ばれているところは床面に緩やかな起伏(マウント)が設けられており靴を脱いで歩く。幼い頃に走り回った草の丘に再会したような印象で懐かしさがこみ上げてくる。これはベルリンのナショナルギャラリー(ミース・ファン・デル・ローエ設計)で開かれた「ベルリン-東京/東京-ベルリン」展の会場構成コンセプトの再現になっている。グリッドが支配する近代建築の象徴がうねる床面によって見事に変質させられている状況を見れば、「エマージンググリッド」の概念の一端を理解できそうな気もする。伊東氏はこの展覧会に全力投球していたという。
 「エマージンググリッド」は次なる建築像を生成するための超人間的なアプローチであるが、伊東豊雄の建築人生そのものがまさに「エマージング」なのではないかと思えた。

新建新聞社:「新建新聞」2006年12月22日掲載

前川國男建築展を見て

 東京で暮らしていた頃、前川國男の設計になる新宿の紀伊國屋書店プラザは待合せスポットになっていたし、上野公園を歩くたびに東京文化会館の迫力ある庇を見上げていた。美観論争の経緯など知らないまま、完成直後の東京海上ビルを見学したこともあった。さらに印象深いのは、埼玉県立博物館・熊本県立美術館といった晩年の建築であった。打込タイルの大壁面、それに対比するガラススクリーン、ゆったりしたアプローチ、内部空間のひろがり等々、完成度の高いモダニズム建築の姿に感動したものである。
 そんなことを思い起こしながら、生誕100年を記念して前川國男の足跡を回顧する展覧会が催されている東京ステーションギャラリーに出かけた。東京駅の一部を利用したギャラリーは決して十分なスペースとは言えないが、ここの窓から氏が設計した東京海上ビルを眺めることができるということが、ここを会場に選んだ大きな理由なのだろうと思われた。その窓の脇にはオリジナル案の模型が実作と対比するかのように置かれていた。
 今回の展覧会では、大学卒業から最晩年にいたるまでの作品の変遷を体系的に見ることができた。戦前の作品まで詳しく紹介されているところが興味深かった。作風はいくつかの傑出した作品によって区切ることができる。先述の埼玉県立博物館や熊本県立美術館などは、「モダニズム」をかざして闘ってきた時期を経た後の“平安”さや具体性・場所性を強く感じさせるものになっており、最も大きな節目となっているのではないかと思う。
 前川氏の建築は、その時代背景を抜きにして理解することはできないだろう。封建社会の終焉に伴う近代民主主義社会の形成期にあって、建築は思想の上でも様式の上でも大きな変化を迎えることになった。近代化民主化を目指す行動は夢あふれることであったかもしれないが、根強い旧体制の前ではドンキホーテのようなものであったとも言える。前川氏の場合にも、熱い思いや信念を貫き通すことは決して容易なことではなく、結果的にやりきれない思いばかりが積み重ねられてきたのだったが、氏を中心にした努力の蓄積があればこそ今日の私たちが置かれている情況があるのだとも改めて思わされる。
 私が前川氏に対して強い共感を覚えるのは、建築家としてのこうした姿勢そのものである。建築と社会の関係に対する深い思いゆえに、厳しい道を歩み続けたと言える(その言動や人生は、「建築の前夜」(而立書房刊)や「前川國男賊軍の将」(晶文社刊)などにまとめられている)かもしれないが、それだからこそむしろ充実した建築家人生であったと思う。仮に私が同じ状況に置かれたとしても、到底真似のできることではない。
 すっかり成熟化してしまった現代において、建築は、社会との関係のなかで発想されるというよりも、クライアントにとっての問題を解決するためのテクニック(アイディア)になっているように思う。仮に社会との関係を求めるとしても、人口が減少しかけた状況下でいまさら新しい建築はいらないと言われてしまいそうでもあるし、現代社会(あるいはそれを動かしている力)はますます目に見えなくなっている。今後、前川氏のような思想的な葛藤状況が発生することはないかもしれないが、どんな時代状況になったとしても、答えとしての建築を産み出す「背景として社会」を見つめていきたいと思う。

新建新聞社:「新建新聞」2006年1月 日掲載

吉村順三建築展を見て

 吉村順三氏の建築は、住宅や山荘から大型の建築に至るまで、どれをとっても奇をてらったところがなく、上品な佇まいである。氏自身の「日暮れどき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、建築家にとってもっともうれしいときなのではあるまいか」という言葉に表されているように、生活や人間と向き合った目線から生み出される「温かさ」が他の建築家にはない独特の持ち味になっている。
 東京藝術大学美術館で開催されている吉村順三建築展の会場を訪れると、南台の家(吉村邸)、軽井沢の山荘(吉村山荘)、八ヶ岳高原音楽堂などの馴染み深い作品が並んでおり、年配の設計関係者らしき人や建築学生たちが一つ一つ丁寧に見入っている。氏の手掛けた建築は、建築論やイデオロギーから導かれた空間の中に人間を押し込もうとするものでもなく、単に表面を整えようとするものでもなく、通底して人間の目や身体から発想されているのだと再認識した時、私たちの感じている「温かさ」は表面的なテクニックによるものではなく、設計に対する姿勢や方法に起因しているのではないかと思い始めていた。
 私たちは、設計の過程でいくつも縮尺模型をつくってあたかも自分が巨人ガリバーになったかのようにデザインを検討していくが、これは建築を彫刻作品のようなオブジェとして外側からデザインしていくアプローチと言える。それに対して吉村氏の方法は、設計者が暮したり働いたりする人になりかわって、これからつくりあげようとする空間のなかに最初から入り込んでいる。氏の目の位置は、建築の外部にではなく、常に内部に据えられている。氏は決してガリバーにならなかった。模型のサイズにあわせた自分自身の姿あるいは自分自身のスケールにあわせた原寸模型のような空間を正確に頭の中にイメージすることができて、その空間の中に立った時や座った時に居心地よく感じる部屋の広がりや高さ、その場所から窓越しに見える遠近の景色、合理的な人の動きなどが具体的にデザインされていったのだろうと思う。氏のインテリアが、私たちを包み込む「器」のように感じられるのはこうした方法に関係しているのだと思う。パソコンがなくてもウォークスルーのようなバーチャルなイメージを思い浮かべることができた人だったに違いない。
 一般的に業務としての設計という行為は、所有者や利用者のために行われる。しかし、吉村氏は自分があたかも所有者や利用者になったかのように発想するという独自の方法によって、第三者の立場を超越した第一者つまり自分自身のための空間づくりとして設計に取り組んでいたのではないかと考えられる。氏にとって自ら手掛けるものはすべて自邸(自分が暮らす器という意味)の延長に置かれていたのではないかと感じた。こうした方法や姿勢は私の仮説に過ぎないが、これが吉村建築の「温かさ」の本質なのではないかと思う。
 一方、最近の建築はコンセプチュアルな思考の産物としてつくり出されている。設計者の目は明らかに建築の外部に置かれている。吉村流の設計方法とは対極的だと言える。だがしかし、吉村氏の設計姿勢を古くさいと言って済ませてしまうことができるのだろうか。展覧会にあわせて出版された「建築は詩」という吉村語録集は、今の時代が忘れかけている建築に対する味わい深い言葉が詰めこまれた宝石箱のようでもある。

新建新聞社:「新建新聞」2006年1月 日掲載

「谷口吉生のミュージアム」展を見て

 MoMA(ニューヨーク近代美術館)は、現在私たちがホワイトキューブと言っている美術館建築の原型のようなもので、それ以前の宮殿のような美術館とは器も展示も企画も一線を画してきた。1939年のグッドウィン&ストーン以来、フィリップ・ジョンソン、シーザー・ぺリなどの手によって増築を繰り返してきたが、約60年を経過した時点で全体を再構築する意味での拡張が企画され、国際招待設計コンペが実施された。この時に一次段階で採用された“シャレット”という方法は、一定サイズのボックスの中に入るものであればどんなものを提出してもよいという例のないものだった。数年前に六本木のTNプローブでその内容の展示を見ることができたが、世界的に活躍する10人の建築家たちの中から日本の谷口氏が選ばれたと聞いたときには他人事ながら興奮したものだった。
 時間が経つのは早いもので、そのMoMAの拡張工事が完了した。オープニング記念として、設計者である谷口吉生氏の関わった九つの美術館を紹介する展覧会が開催された。日本への巡回展と位置づけられるその展覧会を、新宿の東京オペラシティアートギャラリーで見ることができた(終了後、丸亀市・豊田市の美術館へ巡回する)。
 展覧会場は、MoMAの紹介コーナーと、デビュー作から近作・進行中の作品・計画案までのミュージアム紹介コーナーに分けられている。MoMAコーナーには美術館の歴史を示す写真パネル、拡張後の全体模型、設計プロセス図、実施設計(ニューヨークのKPF事務所が担当)図、素材のサンプル、完成報道記事、谷口氏が使用したヘルメット等が展示されており、オープン時のビデオも流されている。増築を繰り返してきたMoMAの敷地は入り組んでおり、建物は複雑な構成になっていたが、谷口氏の提案は54丁目に面しているフィリップ・ジョンソンによる屋外彫刻庭園を尊重しながら、大胆な発想で機能構成や動線を整然と回復させたものと言ってよい。地道な作業の積上げであったはずであるが、いつもの谷口氏のままにそんな努力を微塵も感じさせないものとなっている。
 ミュージアム紹介コーナーでは、「資生堂アートハウス」から、MoMAに先立ってオープンした「香川県東山魁夷せとうち美術館」や約2年後に完成する「京都国立博物館百年記念館」までを見ることができる。改めて言うまでもないが、どのミュージアムもこれ以上ないと思うほどの高い完成度で、職人的なこだわりのものづくりを感じさせる。愛知博覧会のための計画案は実現しなかったのが残念に思う。
 谷口氏の作品を見ていると、最近ではあまり聞かなくなってしまったような気がする「建築は総合芸術である」と言う言葉を思い浮かべる。氏の建築は、単に匠技であるだけでなく、絵画でもあり、写真でもあり、彫刻でもあり、音楽でもあり、詩でもあるのだと思う。建築界の喧騒のなかにあって、常にそうした自身の姿勢を崩さずにきたこともMoMAの設計者に選ばれた一つの理由になっているのではないか、とも思った。
 これまでのMoMAは有名な美術館だからといってどうしても行ってみたいと思うほどではなかった(失礼)が、機会があればぜひ訪ねてみたいと思う美術館の一つになった。

新建新聞社:「新建新聞」2005年7月 日掲載

「建築家の流儀 中村好文仕事の周辺」を見て

 東京の汐留はかつて国鉄の操車場だったところであるが、今では「日本テレビ」や「電通」などの超構想ビルが林立している。その一角、松下電工ビル4階の「松下電工NAISミュージアム」で標題の展覧会を見た。
 中村好文氏は木造住宅を中心に設計活動を続けている私たちとほぼ同世代の建築家である。氏の手にかかった住宅は、とても暖かい雰囲気で安らぎを感じさせる魅力的なものばかりである。どんどん人間から離れていってしまう昨今の建築情況のなかにあって、人間の身体スケールや手づくり感覚を強く意識した住宅はむしろ印象深い。それは当たり前のことかもしれないが、そうした職人的スタンスの建築家も少なくなってきた。そうしたこともあってか最近はどんどん注目度が高くなっているようだ。
 初めて訪れるギャラリーは、なかなか落ち着いた雰囲気である。受付に立ち寄ると、文庫本ほどの小さなハンドブックを渡される。本人が案内したいところだがそうもいかないのでこのハンドブックに案内役をしてもらうから書かれた説明を読みながら見てほしいとなっている。会場内の展示品にはタイトルと番号が付いているだけである。このユニークな流儀から中村ワールドに引き込まれていく。
 全体は五つのコーナーになっている。建築設計の流儀コーナーでは完成した住宅が紹介されている。写真の脇にレリーフ調のコンセプト模型が添えられている。どれも知っているものばかりであるが、ハンドブックを読みながら黙ってゆっくりと進んでいく(時間がかかる!)。反対の壁際には階段手摺の実物が設置されていて触ってみることができる。さまざまな工夫をしていて、いつもの自分の無気力な設計が恥ずかしくなる。
 旅の流儀コーナーでは、旅先などで書き集めたスケッチをパネルにしたものと、自ら撮影したスライドが並べられている。名建築を訪ねる旅はうらやましい限りである。
 家具デザインの流儀コーナー。氏が自ら家具製作を学び、設計の中でも家具を大切にしているのは有名である。机や椅子にとどまらず、ストーブや宝物入れや天井のダウンライトを取り替えるための踏み台にまで挑戦している。家具の仕事は難しいが楽しくもある。
学び方の流儀コーナーには、設計のヒントにしてきた“教材”を会場に持ち込んでいる。
 暮らしの流儀コーナーではオリジナルの食器などが並べられている。事務所内のランチタイムの様子がエンドレスビデオで流されている。事務所内でくじ引きをして当番を決めてランチをつくり、みんなでそろって食べるという行為自体が家庭的で楽しい。家事の一部を自ら体験することによって設計に活かせる部分を体得していくことができそうだ。
 設計図は手書きで丹念に書き込まれている。一般図のあとに登場する部分詳細図に圧倒される。素材感とともにディテールを大切にしていることがこれを見れば一目瞭然である。わかっていてもなかなか真似の出来ることではない。出来上がった空間の居心地の良さは図面だけではわからないところが奥深い。
 奇を衒ったり構えたりしたところは全くない。そうした平凡とも見える設計のなかに顔をのぞかせる非凡さ。これこそがプロの真骨頂なのだと思う。

新建新聞社:「新建新聞」2004年7月30日掲載

安藤忠雄建築展2003を見て

 東京ステーションギャラリーで「安藤忠雄建築展2003」が開催されたので、休日を利用して出かけた。ここは保存運動の対象となっている辰野金吾設計の東京駅赤煉瓦駅舎の一部を利用した小さな展示スペースで、近代的な美術館建築にはない独特の趣がある。
 今回の展示は、比較的最近のプロジェクトをセレクトして展示している。どれもすでに公表されているものであるが、雑誌などの誌面と違って立体的な展示や動く展示をみることができるのが展覧会の大きな魅力である。兵庫県立美術館や直島コンテンポラリーアートミュージアムなどのように既に行ったことのある建築もあるなかで、最も気になったのは、フランスのパリに計画しているピノー現代美術館であった。これはコンペで選ばれたプロジェクトで、セーヌ川に浮かぶスガン島が計画地である。そのロケーションの特殊性を活かして、安藤氏は川に浮かぶ船のような建築を提案した。島の輪郭に沿って弧を描きながら空中に浮かぶ回廊部分はガラス壁になっており、発光体としての効果を期待しているものと思われる。持ち込まれたガラス壁面の実物サンプルを見ると、表面をドット状にして反りをもたせるように加工したピースを下見板状に重ねたものとなっている。展示はスケッチ、外観模型、平面模型、断面模型、実物サンプルなどとなっており、一般の人にもわかりやすい。私自身も美術館の内部空間構成などを改めて理解することができた。
 アメリカのテキサス州に昨年末完成したフォートワース現代美術館は、隣接するルイス・カーン設計のキンベル美術館を意識せざるをえない状況下で、素直に敬意を表した造形が評価されたのだろうと思う。シルエットは兵庫県立美術館と相似したガラスの箱となっているが、こちらのほうがはるかにソフィスティケートされた造形で、威圧的な印象も少ない。ピノー現代美術館においてもコンクリートをガラスで覆う発想は引き継がれており、一連のデザインと位置づけることができそうである。
 瀬戸内海の直島に計画中の福武美術館も、以前にベネッセハウス(直島コンテンポラリーミュージアム)に行ったことがあるので興味を覚えた。今回は建築が地上に露出しない計画になっている。環境に配慮した考え方であるが、工事中の写真を見ると周囲の土をそっくり掘削してしまっているようなので、やや拍子抜けといった感もある。
 原宿の同潤会アパートの建替えもかなり大型のプロジェクトである。同潤会アパートは独特の味のある建物で、単なる老朽化した共同住宅として片付けられないではないかとも思うが、住民サイドからすればやむを得ない選択だったということなのであろう。街路に面したリニアな低層住居棟で、変化にとんだ空間構成というわけにはいかないようだが、今時の若者たちの町に相応しい垢抜けした街なみになるものと期待される。
 写真、図面、スケッチ、パース、模型、ビデオ、CGなどあらゆるビジュアル手法を駆使した展示は見る人を圧倒する。安藤氏の建築は近代建築のモチーフを巧みにアレンジしたものであり、発言や行動は社会の潮流に沿ったものであるが、生み出されるものはアイディアにあふれている。かけ離れたアヴァンギャルドではなく、カリスマ性を感じさせるところに一般からの支持も集まるのであろう。カタログ掲載の全作品リストも圧巻。

新建新聞社:「新建新聞」2003年5月30日掲載

ダニエル・リベスキンド展を見て

 西新宿の東京オペラシティは、柳澤孝彦氏の設計による新国立劇場と54階建の東京オペラシティタワーが一体となった巨大な施設である。その中にあるNTTインターコミュニケーションギャラリーで、ダニエル・リベスキンド展を開催しているので立ち寄った。
 このギャラリーは、建築とか絵画とか彫刻といった既成の芸術概念に納めきれない領域、つまり情報やコミュニケーションを軸としたコンテンポラリー(あるいはアヴァンギャルド)なアートやインスタレーションを紹介している。必然的に難解な展示内容が多く、訪れる人も多くはない。今回は建築家の展覧会ではあるが、妙に緊張しながら入館した。
ダニエル・リベスキンドというドイツを拠点に活動している建築家について予備知識は多くない。鋭利な形態をグラフィカルに表現したドローイングや、ベルリンに完成したユダヤ博物館とマンチェスターに一昨年完成した北帝国戦争博物館の写真を見たことがある程度だが、どれも特異なフォルムで一筋縄な建築家ではないことを漂わせていた。
 「存在の六つの段階のための四つのユートピア」という理解不能なタイトルの展覧会は、氏が広島市主催のヒロシマ賞(人類の平和に貢献した現代芸術家を顕彰する)を受賞した際に広島市現代美術館で開催された展覧会の東京展ということであった。会場には解説らしい解説はない。実現した三つの建築と計画中の一つの建築の10分の1スケールの真っ白な模型が置かれており、白い床と壁には黒いラインや文字が一面にプリントされている。
 「出口のない美術館―シェーンベルグ、言葉を発するモーセ」というテーマを掲げられたフェリックス・ヌスバウム美術館、「線の間に―ベルリンの「追悼の書」の名前」というテーマを掲げられたベルリン・ユダヤ博物館、「粉砕する地球―経線と緯線、世界の投影」というテーマを掲げられた北帝国戦争博物館、「遊歩する二つの線―東西の磁場」というテーマを掲げられたデンヴァー美術館増築計画。どれも建築というよりはオブジェと言った方が似合うような造形で、氏がディコンストラクティヴィズムを思想的にリードしてきた中心人物であることを十分うかがい知れる。ディコンストラクティヴィズムは、空間の序列化をテーゼとしたモダニズムはおろか、水平な床を積み重ねる技術としての“構築”の基本概念(あるいは常識)を根底から疑うもので、水平・垂直・力の流れといった合理的な概念は微塵もない。氏の建築の表面は傾斜したり裂かれたり折れ曲がったりしている。その造形からシャープで軽快な印象を受けたとしても、内に秘められたものは重い。
 片隅の小さな部屋でパネルと映像を見ることができる。どれを見ても理解不能が肥大化するばかりであるが、この異形の建築家の頭の中には、純文学やクラシック音楽などに関する素養がぎっしりと詰まっていることがわかる。理解不能の原因は実は先鋭性にあるのではなく、歴史や場所に対する哲学的な思考の蓄積にあった。デジタルな手法で設計(表現)されている建築群は、何とも古風でアナログな設計姿勢から生み出されていたのだ。世に蔓延するアクロバティックな造形ゲームとは一線を画する力強いモノづくりの姿勢を発見した思いで、入館時の緊張はいつしか興奮に変わっていた。

新建新聞社:「新建新聞」2003年3月14日掲載

「ルイス・バラガン 静かなる革命」展を見て

 私が最初にルイス・バラガンの作品を目にしたのは、サン・クリストバルの厩舎の写真だったと思う。いつどんな時に見たのかは全く記憶にないが、フラットな矩形水面の正面に、強い日差しを浴びて水平に伸びているピンク色の壁に強い衝撃を受けた。その後にバラガン邸やカプチン派の礼拝堂などの写真を見ると更に強く惹きつけられていった。しかしどれも断片的にしか紹介されていないので、何となくミステリアスな存在であった。
 久しぶりの上京の折、東京都現代美術館で開催中の展覧会を訪ねた。週末の混雑した会場には幼子を抱いた家族などの姿も混じっていて微笑ましい鑑賞風景だった。
 この展覧会はバラガンの全貌を紹介する日本で初めての企画である。バラガンは20世紀初頭にメキシコで生まれ、ヨーロッパで旋風を巻き起こしていたインターナショナルスタイルとメキシコ土着の風土性を融合させた個性豊かなスタイルを確立した。残した作品の大半は住宅で数も多くないが、どれの珠玉の建築である。私たちが見ている写真は一部であるが、バラガンワールドの全てが写っている。
 今回の展示は3階のフロアのみで、展示室はいくつかのコーナーに区切ってある。各コーナーの中央に小さなトンネルのようなフレームが置かれ、その中のベンチに座って映写スクリーンを見られるようになっている。ギラルディ邸のプールのあるダイニングルームの原寸模型も作られていて空間を体験することができる。壁の中に埋め込まれた小さな室内模型を覗き込むことができるようになっていたり、パソコン画面で様々なアングルの写真を自在に切り替えて見ることができるようになっていたりするコーナーは楽しい。古い写真はモノクロのものが多く、派手な色彩を特徴とするバラガン建築の持ち味を伝えられないので、本人も残念だったのではないかと思う。住宅だけでなく公園や庭園のランドスケープ計画が多いことも改めて確認することができた。航空写真で見るサン・クリストバルの厩舎は全体のロケーションがわかって新鮮な印象だった。
 バラガンの建築を見た人は忘れることのできない鮮烈な印象に打たれるだろう。最大の要因は心地よいプロポーションとはっきりとした色彩にあると思うが、その印象を決定づけている場面は意外に限定されている。バラガン邸の電話を置いた机と椅子のある階段ホールや庭に向いた大きなガラススクリーンのあるサロン、ギラルディ邸の青と赤の壁にトップライトからの光が差し込むプールと黄色い廊下、黄色い光の差し込む小さなカプチン派のトラルパン礼拝堂、サン・クリストバルの厩舎のピンク色の壁等々の写真はどこで見てもほぼ同じ構図で、その周辺や他の部屋がどうなっているのかよくわからない。写真だけで建築の全体像を把握することはできない。平面図を見てもどの部分の写真なのかわかりにくい。恐らくバラガンは外観や空間構成よりもインテリアの空間の演出効果やインテリアと庭のつながりのようなところに大きな関心があったのだろう。どの作品においても光、色、水、パースペクティブの効果を実に巧みに計算している。
 人間の視覚と心理に訴えるビジュアル効果を狙ったデザインは現代建築において多用されている。バラガンはそうしたデザインにおけるパイオニアだったのかもしれない。

新建新聞社:「新建新聞」2002年8月30日掲載

「日本・ヨーロッパ建築の新潮流2001」展を見て

 雨は一日中降り続いている。梅雨だから仕方がない。代官山駅を降りて傘を取りだし歩き出す。ヒルサイドテラスの中にあるアートフロントギャラリーを久しぶりに訪ねる。
 標記の展覧会の告知には日本から5名、ヨーロッパから15名(1名/1国)の建築家の名が挙がっていた。日本の建築家は知っているが、ヨーロッパの建築家の名前はほとんど知らなかった。一般的に日本に紹介されている著名建築家は氷山の一角で、雑誌の売上のためにあるのではないかと思うほどである。無名の建築家でも素晴らしい才能がたくさんいるということにいつも驚かされる。目についたものにコメント。
 ルクセンブルグの二人の建築家、ニコ・シュタインメッツ・アンド・アルノー・ドゥー・マイヤーによる古温泉場、花の埠頭とスルス・キンドゥ。約150年くらい前の古い建物を壊すのではなく、古いテイストを活かしながら現代的で軽快なテイストを持ちこむことによって見事に再生している。ヨーロッパではこうした手法が定着しているのだろう。
 ドイツのザウアーブルッフ・ハットン・アーキテクツによる高層事務所ビルの増築はガラスの外側に色彩豊かな可動ルーバーをはめこんでエコロジカルな計画になっている。
 ベルギーのステファン・ビールは傾斜地にロの字プランの住宅を浮かせた。雑作ない印象だが記憶の片隅に強く残る。またロジャー・ラヴェール美術館は細長いプランに変化のある断面を持ちこんで興味深い建築となっている。寡黙で飾りっ気のない白い展示空間が村の古い街並みとの間にとられた芝生の庭と連携をもちながら置かれている。
 フィンランドのアーキテクチュラル・オフィス・カサグランデ・アンド・リンタラは強い衝撃を放っている。一つはヴェネツィアビエンナーレのためのインスタレーション。全長35mの浮かぶ廃船の中に土を入れて木を植えて公園をつくった。もう一つは長い足のはえた三つの納屋が荒野の中に浮かんでいる。火をかけられて燃えている写真がいっしょに展示されている。なんとも不思議な印象が残る。建築を超えたアート的な思想。
 フランスのペリフェリックは4人のグループ。こちらもラディカルだが仮想建築イメージ。ツール・キット・アーキテクチュアと名付けられたコンセプトを提示。外壁を映像スクリーンとした巨大な積木のようなヴァーチャルな美術館がアジア都市を想定して提案されている。独自のグラフィカルなカタログが売り切れてしまっているのも納得できる。
 オーストリアのプール・アーキテクトゥーアはトゥルムと呼ばれる錆びた鉄板で覆われた(開口部は面一納まりのガラス)箱のようなワークスタジオをつくった。アプローチの床まで鉄板でできており、建築というより地上に置かれた岩塊のような印象である。
 オランダのジョン・クルメリングは税関本部の建物の屋上に浮かぶように小屋のような建築を置いた。本体と異質なデザインはなんとなく可愛いが、着想は大胆過激。
 青木淳の青森県立美術館は三内丸山遺跡に隣接して計画されている。展示室は半地下のトレンチのようになっていて蓋のように逆トレンチ断面をのせていく発想。「つくる」ことへの自己懐疑の中にあってユニークなアイディアが練り上げられていく。
 團紀彦の唐ヶ原のアトリエは崖の上縁部に洞窟のように空間を埋めこんだ計画。環境的なデザインで、外から見ても存在はわからないがなかなか良い建築になりそうな期待感。
 高橋寛+晶子ワークステーションは東雲(しののめ)の高層住宅計画。岐阜ハイタウン北方以来、真正面から団地計画に取り組んでいる様子がわかる。目的室をユニット化した住戸ではなく、フレキシブルな室空間による住戸プランに挑戦しているようだ。
 今回の展覧会に参加している若いジェネレーションの建築家たちは、既に現在完了形となっている近代建築のプロセスをありのままに受け入れた上で、クライアントと同じレベルの視線でプロジェクトを通しながら新しいパラダイムを求めて模索している。イデオロギー的なアプローチではなく、構築的なアイディアに神経が注がれている。
 この展覧会のコミッショナーである槙文彦氏は「見た人自身が何をつかむかです」と謎をかけている。

新建新聞社:「新建新聞」2001年8月3日掲載

安藤忠雄建築展「ON THE SITE」を見て

 新しい作品集(GA ARCHITECT16)が発刊されたのと機を合わせて、千駄ヶ谷にあるGAギャラリーで表記のタイトルの展覧会が開催されている。
 会場は若い人を中心に続々と入場していてなかなかの盛況。通常、安藤氏の建築(内部)にしても展覧会にしても写真を撮ることは安藤氏の許可がないと難しいのだが、フロントの方にお願いして1枚だけ撮影させてもらった。
 この貴重!な写真は、「ベネトンファブリカ」という建築の展示コーナーである。大きな完成模型とデザイン途中の小さな模型、スケッチ、図面、ビデオディスプレイ3台がテーブルの上に並べられている。奥の壁にはスケッチや工事中から完成に向けての写真などを数枚のパネルにして掛けてある。外国の事情もあってとても長い時間を費やしてようやく完成したものだ。他のいくつかの作品と同じように一部が地中に埋められている。
 会場に入口脇にあるのは、愛媛県西条市に完成した「光明寺」という寺である。本堂が特徴的でヴァッキーニの多目的体育館を連想させる。150ミリ角の木材をびっしりと建てて外被膜をつくり、屋根架構はスペイン博覧会の日本館と同じような構成でできている。その本堂の模型、垂木の原寸、施工図が置かれていて迫力のある展示になっている。
 当然のことながら「淡路夢舞台」の巨大な模型も壁に展示されている。この配置には古代ギリシア神殿を思い浮かべさせるものがある。
 「大阪府立狭山池博物館」の模型もある。
 イギリス「テートギャラリー現代美術館」を始めとする国際コンペの応募案もいくつか展示されている。応募案の概要に加えて、コンペティターの氏名と当選案の模型写真も小さいがわかるようにしてある。模型は引出し式の台に乗っていて、見たい人は自分で引き出して眺められるようになっている。話題になったアメリカ「フォートワース現代美術館」の当選案と実施案(棟数が変わっている)と現場の様子写真などもあって興味深い。
別展示室には「直島コンテンポラリーアートミュージアム」の展示がある。以前ここに宿泊したことがあるが、その後に完成した「アネックス」も魅力的な建築だ。是非もう一度訪ねてみたい気がする。
 大きな模型があるのは「兵庫県立新美術館」。村野藤吾設計の古いものは阪神震災のときに大きな損傷を受けてしまった。増築には私も関わっていたのでその当時は残念な気持ちがしていた。新しいものは海辺の「水際広場」計画と一体に考えられていて良いと思う。
 展示構成の特徴は設計の経過がわかるようにしてあるというところかと思う。「思考の奇跡」というサブタイトルがついている通りである。
 氏の場合こうした方法は珍しいことではないが、見るサイドとしてはなかなか楽しい。
 安藤氏はもっぱらコンクリート打ち放し表現を大切にしてきたのだが、一方でガラスや木を大胆に使うことも多い。フォートワースや兵庫県立美術館はガラス、光明寺は木となっていていつも新鮮な印象がある。また環境(大地とでも言った方がよりわかりやすい)との接点の持ち方に対するアイディアもユニークで説得力がある。これだけの仕事量をこなすことはもはや個人の能力を超えていると思うが、それでもこれだけの密度というか水準を維持し続けていることは超人的で敬意をはらわざるを得ない。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2000年10月25日掲載

タケオペーパーショー「考える紙」を見て

 紙商社の竹尾が開催しているペーパーショー。毎年有名デザイナーがデザインした紙のオブジェなどが並べられ熱気あふれている。昨年は西沢立衛氏(妹島和世氏のパートナー)の会場構成で評判だったが、あいにく見ることができなかった。
 今年の会場は青山スパイラル(槙文彦氏設計)。4月の雨の日の夕方に訪ねてみた。今年のテーマは「リ・デザイン」。日常生活の中の紙を使ったモノを見直してデザインし直すことが課題になっている。一見単純なように見えるが、すでにイメージの定着しているモノに対して再びデザインを考え直すというのはなかなか難しいことかもしれない。
 今回は建築家である坂茂・隈研吾・竹山聖・大江匡・藤森照信の各氏がグラフィックデザイナーなどに混じって出展している。赤瀬川原平氏も見える。
 坂氏は紙管製の建築の可能性に挑戦しているのでトイレットペーパーのリ・デザインに挑戦。作品は四角いトイレットペーパー。日常使用しているモノは丸い芯に丸くペーパーが巻いてあるが、芯棒を正方形にして回転を制限し必要以上に紙を使わないように、梱包に当たってのスペースロスも減らすように四角い(角は丸い)製品にしてある(ショップで売っていたので買いました)紙管の建築家の考案としてはうなづけるかな。
 隈氏と竹山氏はゴキブリホイホイに挑戦。隈氏はハウスイメージを破りロール状の幅広粘着テープを適当な長さに切り、その幅を折り曲げて四角断面のチューブを作りその中に敵を通らせる。半透明でチューブの中が見えるので効果がわかる。でも気持ち悪い?
 竹山氏は段ボールを丸い筒にして両端に太鼓橋をつけたものと三角断面にして搭状に立てたものを考えた。これも中を敵が通ってもらおうというもの。う~ん。敵もさるもの、かもしれないよ。
 大江氏はコーヒードリップに挑戦。コーヒー豆には脱臭効果もあるらしい。一旦カップの上で使用してしまったものを、そのまま細いパイプに吊りさげて用途をかえ自然に再利用できるように考えたという実用的なものである。形が美しいと思った。
 藤森氏は新型の金魚すくいを考案。縁日の金魚すくいで使うものは「ポイ」と呼ばれ、薄い紙を張った虫眼鏡の形だが、それはそれで完成度の高い形らしい。氏の考案では昆虫採集網の端部を切ってコイノボリ形にしその中を金魚が通り抜けられるようにしてある。中に入った時にタイミングをみて網を折り返すと捕れるというちょっとずるい方法。発想の転換だがうまくいくかな?
 赤瀬川原平氏は切手のように切り取って使える名刺を考案。ちょっと面倒かもしれない。
 どれも楽しいアイディアで、私たちの頭の中の通念的認識を打破ってくれる。もちろん遊びだが、されど遊びでもある。建築とは直接関係ないが、時にこうした頭のリラクゼーションも良い。私たちの硬直しかかった頭を刺激してくれる。建築をイメージするときにもこうした柔軟さで対応できるのか、自分ならどんなスケッチをすることができるだろうと考えながら会場を後にした。
 今回の展示内容は朝日新聞社から本になって出版されている。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2000年7月25日掲載

石山修武近況報告1999‐2001 展覧会場を訪ねて

 そう気付くまで実は少し間があった。しかし目を疑う光景!ここは展覧会場ではないのか?石山修武氏のアトリエにきてしまったのか?
 乃木坂にあるギャラリー間ではあくまでも表記の展覧会を開催しているのだが、会場にアトリエがそのまま引っ越してきたかのような“展示”になっている。この会場で開催された展覧会の会場構成はいつも誰もなかなか力の入った凝ったことをすることが多いのだが、今回の石山氏のものもかなり意表をついている。人を驚かせるような奇抜なアイディアを楽しんでいるところが氏らしいところだが、生み出されたプロジェクトだけでなく、自らの活動や頭の中で考えていることに至るまで現在の状況をありのまま見てほしいと考えているに違いないと思った。この会場に氏がふらりと現れて突然仕事の打合せなどが始められるのではないかと思わせる臨場感が漂っている。
 いきなりインパクトの強い部分から始めてしまったが、改めて会場入口からゆっくり眺めてみようと思う。実はギャラリー間は2層の展示スペースになっている。下層(ビルの3階)に入口があるが、受付カウンターの脇に氏自身の解説が掲げられている。これを読まないと今回の展覧会の意味も内容もわからない。まずこの展覧会が3期に分けられて開催されていることからして異常だと思ってきたのだが、その意味が氏の現在進行形を見てほしいということに因っているのだということがわかり納得する。これでは3期ともすべて見なければならないではないか。因みに1期は再生と題し1999年12月4日から12月22日まで、2期は流動と題し2000年1月11日から1月29日まで、3期は混沌と題し2月1日から2月19日までとなっている。
 下層の会場構成は一般的な展示構成になっている。壁面にはパネルが掛けられており、模型もたくさん置かれている。並べられているものは少し変わったものばかりだが・・。最初の模型は「ひろしまハウスinカンボジア」である。これは広島市の市民ボランティアがカンボジアに建設する交流施設(ひろしまアジア大会を機に交流している)で2001年完成を目指している。屋根には幟(のぼり)のようなものがのっており、いかにも氏らしいデザインになっている。そして難民キャンプのためのポータブルホスピタル(コンテナを並べてつくる)や段ボールで作ったポータブルトイレが置かれている。富山県に1年間(1988)だけ存在した「神官の間」(コンテナを3段重ねにしてつくられたバラック)の模型もあった。氏が20才代に設計した有名な鉄板製の茶室「幻庵」の周辺一帯に広がる「耳の庭」と名付けられた外構の模型や現在進行中の「佐久の家」の庭の模型なども展示されている。氏が愛好する(?)バラック建築のような雰囲気の庭構成であるが、氏は自然と建築の境界をなくしたいと考えている建築家である。まだある。佐賀プロジェクトといって九州の佐賀市で取り組んでいるものもある。ツリーハウスといって木立の間に金網のシェルターを掛け渡した車椅子で動き回れる家?の案もある。
 この会場には室内スペースと繋がった屋上外部展示スペースもあるのだが、ここには「早稲田バウハウススクール」のコンテナ本体がドンと置かれている。その中も展示スペースになっていて佐賀の学校やホームセンターなどの計画模型が並んでいる。解説はあまりなく、パニック状態になった頭を抱えながらうろうろと見て歩く。
 上層は現在工事中の自邸「世田谷村」(氏はこの計画を自分自身のアポロ計画だと言っている)と北海道の十勝点字図書館ミュージアムの紹介になっている。模型・サンプル・図面・スケッチ・ビデオ画面などが会場に溢れんばかりに展示されているが、今回の展示のためにわざわざつくったものではないようだ。アトリエにあったものをここに運んで並べたという風情である。そう、ここがアトリエに転じてしまっているのである。奥の方には若いスタッフが製図板に向かって図面を描いている。スタッフも展示の一部なので気軽に声をかけてほしい旨が書いてある。
 全体的にまるで抽象絵画の展覧会でも見ているようでしっかり解釈しようとすると頭がカタマってしまう。こういうときはむしろ建築家の企みにのってしまって楽しく眺めていったほうがよいのかもしれない。壁面のエスキースは建築とかけ離れたものが多いし、しかも収斂していくものではなく様々なものが不連続に掲示されている。
 石山氏の建築はその独特の技術観からつくられている。建築家が設計したものを建設会社が施工するというような社会的に認知された建築生産システムや既成の空間形成技術を疑う建築家はほとんどいない。もっと言えばそうしたものの発展形を志向しているのである。しかし氏にかかると工業化技術(プレファブ住宅など)は目のかたきにされる。高度にシステム化された技術の限界や矛盾、坪当りいくら・・という建設コスト把握の非合理などが徹底的に問題にされていく。設計と施工が一体化しようとするからセルフビルドが実行され、職人の手仕事を拡大解釈していくとバラックも重要な価値を帯びてくる。動く容器としてのコンテナに強い関心を示すのも、「だれでも住める家は作りたくない」という発言も全て同じ考え方によっている。それは早稲田大学での建築教育においても実践されている。ごく表面的に見れば変わった形の建築をつくっていると思われるかもしれないが、むしろその形が生み出される根拠としての思想が重要である。次の展示も見るしかない。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2000年1月25日掲載

シャルロット・ペリアン展を見て

 シャルロット・ペリアン。私は彼女のデザインしたある小さな椅子が大のお気に入り。私はかつてその椅子に村野、森建築事務所の応接間で出会った。それは足を短く切られて村野流に手を加えられたもので、まるで幼稚園児用のようでオリジナルデザインではなかった。でも一目見た時からその可愛らしいデザインは私をとりこにした。それは1枚の合板を紙細工のように切り抜いて曲げてつくったようなものだった。販売はされていなかった。その椅子のことは椅子の専門誌などを見てもほとんど記載されていないがペリアンのデザインであることがわかった。最近になって天童木工が生産を再開して販売するに至っているが、久々にその椅子に会いたくて、新宿のリビングデザインセンターOZONEで開催されている表記の展覧会に出かけた。
 20世紀をフルに生きて、現在95歳のおばあちゃんは隅々までモダンでさりげない優しいインテリアのアパルトマンに住んでいる。テラスからパリの屋根を見下ろす約30坪の小さなメゾネット住宅(2階分で1軒)だが、人を包み込むような心地よさに魅かれる(GA HOUSES57掲載)。
 若い頃にはル・コルビジェのアトリエに入り、彼のパートナーとして家具を中心に担当していた。コルビジェのデザインとして有名なシェーズ・ロング(長椅子)やバスキュラン(背板が動く)などのユニークなデザインの椅子も実は共同作品である。コルビジェのアトリエで日本の坂倉準三らと知り合ったが、それが縁で来日することになった。柳宗理を伴ってくまなくまわった日本の文化は彼女に鮮烈で大きな影響を与えたようだ。彼女のデザインの中ににじみ出ている独特の暖かさや濃やかさは日本文化に醸成されたものとも思える。コルビジェのマルセイユのユニテ・ダビダシオンのオープンキッチンなども日本住居の開放性をヒントにしているらしい。
 私の大好きなあの椅子も置かれていた。この合板製の椅子はオンブル(影の意味)と呼ばれ日本での展覧会のためにデザインされたものだった。本当は黒く染色されたものだったが私はぶな色のものも良いと思っている。
 彼女の人生はモダニズムの歩みと重なるが、そのデザインに通底するものはむしろ人間を包み込んでしまうヒューマニズムなのではないかと見える。現代建築のように生活感のない研ぎ澄まされた空間だけを見せようとする時代になると、一見冷たく非人間的に見えていたモダニズムの中にむしろ本来の人間性を見出すことができる。モダニズムは人間を基準にしていた!

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1999年11月15日掲載 *1998年10月記だが、この掲載と前後して逝去。

「伊東豊雄:Blurring Architecture―透層する建築」展を見て

 11月19日。久々に六本木鳥居坂のTNプローブに出かけた。一昨日から開催している表記の展覧会を見たかったからだ。この建築は道路からエントランスまでが路地のようになっていて、その片側が展示室でガラスの曲面になっている。この日はそこのブラインドがおろしてあり休館かと思わせる雰囲気だったが、近づいていくと開館していたのでほっとして中に入った。
 今回の展示が全面的に「せんだいメディテーク(仮称)」の関連のものであることはあらかじめわかっていた。会場はガランとしている。人影も少ないが、展示自体が素っ気ない。入ったところに模型が二つ並んでいる。一つはコンペ時の模型で、もう一つは建設中の実施模型である。その脇の壁面には平面図がプリントされている。上段がコンペ時の平面図で当然ながらコンセプチュアルなものになっている。下段は実施平面図で上下を比較するとあの海草のような柱だけがそのままで、具体的なプログラムが反映されて現実的になってきたのがわかる。そしてその奥の壁面には八つの埋込みビデオ画面があり、伊東氏のほか構造設計の佐々木氏など関係者が代わるがわる登場する。壁にかけてあるヘッドホンで音声を聞く。最も奥には現場の進捗を淡々と写しているスクリーンがある。そして先程のブラインドの面はというと床から天井までスライドの映写スクリーンにしてあって、四分割されたスクリーンにはCADで描かれた平面図・断面図やイメージなどが流れるように写し出されている。会場内は無音状態。精度3mmの誤差しか許されない鉄のオブジェが建ち上がっていく光景も感動的だが、それを支えている設計者や施工関係者の壮絶なエネルギーにも驚かされる。
 伊東豊雄氏は建築をつくりながら建築を消そうとしている。あるいは建築の内外の境界を消そうとしている。それがBlurであり、現在の彼の建築に対する思いの全てのようだ。メディアテークという新しい言葉に触発されて普段できなくてもやもやしていたものを全て吐き出したような感じだと言っている。コンペ時の最初のスケッチが最もピュアなもので全てを語り尽くしており、後は現実化するためにどのように洗練させていくかの作業だったらしい。氏は今、世界中のどの建築家よりも注目度の高い建築家であると思われる。氏は思想的なアバンギャルドではなく現実的なものづくりである。私たちは建築を空間としての側面からとらえることが多いが、氏は容器としての建築のあり方を根底から問い直しながら一つひとつ答えを出している。「せんだいメディアテーク(仮称)」に与えられた答えが一般解になり得る可能性を予測することはできないが、新しい建築へのステップになっているのは確かだと思う。

新建新聞社:「新建新聞」1999年11月26日掲載

「ヌーベル・ヴァーグ ―フランス現代7人展―」を見て

 東京は西新宿。超高層ビルが建ち並ぶ中に大成建設の運営する「ギャラリーたいせい」がある。コルビジェの展覧会などが断続的に開催されてきたが、表記の展覧会が開催されたのを機に訪ねてみた。高速エレベーターを降りると、ホールのすぐ脇にあるギャラリーは想像していたより小さなスペースだった。
 7人の建築家(グループ)はオリヴィエ・ボードリ、BDM&エリア、マニュエル・ゴートラン、ラファエル・オンドラット、ラカトン&ヴァッサル、ブリュノ・プリッソン、リュディ・リショッティ。皆30~40才代の男女ばかりである。
 会場は素っ気ないほどのディスプレイで二つのコーナーに分けられている。最初のコーナーには7人のプロフィールを紹介する小さなパネルが壁に掛けられており、その下に一人づつほんの小さなカウンターが壁から突き出していて、その上にそれぞれの作品のファイルが置かれている。すべて同じサイズだがその中身は各自によるフリーな構成が許されている。一人一作品という条件のなかで、スケッチ・写真(のコピー)・図面などがかなり分厚く綴じられている。書き込まれた言葉は当然フランス語なので全くわからないが、懸命に自分をアピールしようという気持ちはひしひしと伝わって来る。そしてもう一つのコーナーはかなり大きなすりガラスのテーブルになっていて、7人の作品の写真のポジが無造作にずらりと並べられている。テーブルの下から光が当てられているので、移動しながら拡大鏡をあてて順次眺めていく。けっこう疲れる鑑賞法だけれど作品の内容がなかなか充実しているので見応えがある。
 この展覧会は日本におけるフランス年の企画の一環として、フランス建築協会がパリのギャラリーで先に開催したものの初の巡回展なのだそうである。情報化社会になり世界各地の新しい建築の動向はすぐに日本にも伝えられるようになったが、先に挙げた7人の建築家たちはとくに広く知られているという人たちではない。フランスはル・コルビジェ以来の建築家としてすでにジャン・ヌーベルを国際舞台に押しあげている。ミッテラン大統領(当時)はグラン・プロジェを企画しフランスの存在を世界にアピールしようと試みたが、「アラブ文化研究所」の若い設計者はその大きな期待に立派に答えた。今回の7人はそれに続き近い将来大きな活躍をして脚光を浴びるだろうと思われる人たちらしい。無名のようだけれど作品の規模や内容は充実していて、年齢に比してなかなかの実力のように思われる。こうした若い人たちをフランス建築協会ばかりでなくフランスという国が信頼して大事に育てている様子がはっきりと伝わってきてその背景に感嘆する。とても羨ましい国柄だと思った。最近の日本の若い人たちは実力というよりもエスタブリッシュされんがために変わったことをするばかりで底が浅いのではないかと思うがどうか。
 オリヴィエ・ボードリ(1957年生)
   カフェ・デ・イマージュ座は三角、四角、球などの形態や原色を無造作に組み合わせたオブジェ風の映画館で楽しい
 BDM&エリア(1945~1950生)
   ジャン・ムーラン学生寮は山の傾斜面に対して浮遊するように軽快に箱を重ねたダイナミックな造形が印象的
 マニュエル・ゴートラン(1961生)
   空港機材保管倉庫は80×50×7mの立体をそっくり半透明なポリカーボネイト板で覆っていて今にも飛び立ちそうな軽快さ
 ラファエル・オンドラット(1967生)
   ボルドーの家は石づくりのアパルトマン内の酒蔵を改造して住宅にしたもので素朴な感じと現代的な感じの調和があたたかい
 ラカトン&ヴァッサル(1954~1955生)
   グルノーブル大学校舎は箱のような校舎であるが外壁の外側にポリカーボネイト板で覆われた温室があり特徴になっている
 ブリュノ・プリッソン(1957生)
   25のガレージは黒く塗られた下見板張の壁に切り妻屋根がリズミカルに事もなげに並ぶ不思議な雰囲気の建築
 リュディ・リショッティ(1952生)
   オリオルの学校はシンプルなシルエットの校舎群に対して亜鉛板、銅版、木板などの素材が律儀に使い分けられている

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1999年7月25日掲載 *1998年8月記

「ドミニク・ペロー」展を見て

 東京六本木と言えば若者たちのプレイスポットのイメージが強いが、一歩脇道に入れば落ち着いた雰囲気のところも多い。国際文化会館や東洋英和女学院のある鳥居坂辺りも洒落たレストランや豊富な緑があってなかなか良い場所だ。ドミニク・ペロー展の会場となっているTNプローブは女学院のすぐ隣にある。ここではかつてレム・クールハース展やヘルツォグ&ド・ムーロン展などトレンディ建築家の展覧会が開催されてきた。前回訪れたのはMoMA(ニューヨーク近代美術館)の拡張計画に対する10人の建築家たちの応募案(最終的に谷口吉生氏の案に決定)が展示された時だった。ぺロー展は既に昨年の11月19日から開催されていたが、1月25日になってようやく訪れる機会を得た。
 ドミニク・ペロー氏は、ミッテラン前フランス大統領が推進したパリのグラン・プロジェの最終プロジェクトであったフランス国立図書館のコンペを勝ち取って一躍有名になった1953年生まれのまだ若いフランスの建築家である。数年前に有楽町読売ホールで氏の講演を聞いた時には、図書館のコンペ応募時のコンセプトから完成までを紹介したビデオがとても斬新な印象だった。フランス国立図書館といえばむしろ落選したレム・クールハース氏の案のほうが衝撃的で影響の大きいものだったかもしれない。その案は巨大な立体(ヴォイド)の中に浮かぶように要求された機能を入れ込むという形式で従来の空間概念を反転させたものだった。しかしペロー氏の当選案もそれまでの図書館における機能概念を反転させたユニークなものだった。アカデミックな図書館であれば書庫を中心に機能が構成されることになる。氏の案では4冊の本を直角に開いて向き合わせて立てたようなシンボリックなタワーが印象的だった。そのタワーこそガラス張り(内側に木のルーバーが設けてある)の書庫になっていて、閲覧室は地下にありその中央に人が入れない神聖な庭があるという構成になっている。クールハース案は演繹生の高いものであったため多くの追随者を生んだ。ペロー案は相当強引で個別性が強いのでどこでも応用できるというわけにはいかないだろう。
 今回の展覧会ではそのフランス国立図書館のほか、ベルリンに完成したヴェロドローム(自転車レースコース)と水泳競技場、京都の国立国会図書館関西館コンペ応募案、パリのベルリエール工業館、MOMAコンペ応募案、フランスのカーンの都市計画の六つのプロジェクトが展示されている。
 パリの国立図書館はやはりグラン・プロジェの一つである新大蔵省の直ぐ近くのセーヌ川に沿って建っている。コンセプトを紹介するビデオには力強く自信に溢れたスケッチが示されていた。この展覧会場のそこここに置かれた木製の椅子はこの図書館の閲覧室に置かれているものだそうで、1脚8万円(定価12万円)にて販売中であった。
 今回の注目はベルリンオリンピックのためにつくられた新しいヴェロドロームだろう。これも巨大な建築である。広大な敷地のなかに円と長方形が並んだ配置がある。円形は自転車コース、長方形はプールである。明快な二つのボリュームは地面に埋められたようになっていて周辺の道路からは存在を確認することができない。ボリュームの外側にはすり鉢状のドライエリアがあってりんごの木が植えられた緑地からアプローチすると外観が見えるようになっている。建築の屋根は水平で、屋根も壁も金属のメッシュメタルで覆い尽くされている。国立図書館にも使われているこのメッシュメタルは展覧会場の床に並べられ1枚35万円(定価50万円)で販売中。無柱空間を覆う屋根は鉄骨の立体的トラスになっていてその水平レベルをだすのが難しかったと言う。
 今回のテーマは「都市という自然」となっていて、それは氏の設計のテーマでもあるらしい。図書館やヴェロドロームのみならず関西館、マルヌ・ラ・ヴァレの高等電子技術学校、ユジノール・サシロール会議場にしても周囲の風景のなかで形態やボリュームを主張せず、樹木や緑を活かしていわゆるランドアート的な提案を試みている。しかし氏の言う「自然」とは一般通念的なそれをこえていて人間のつくりだした都市環境も「自然」だと解釈しているようだ。このあたりの概念設定を正確に理解するのはなかなか難しそうだ。個人的にはそうした見なし概念よりもむしろ風景のなかで周囲のコンテクストを活かすと言い換えた方が月並みな分だけ理解しやすいように感じたのだが果たしてどうか?いずれにしても今後どのような展開をみせてくれるのか注目したい。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1999年3月25日掲載

齋藤裕「セクションズ」展を見て

 一人独学で建築を学んで活躍している建築家というと白井せい一、安藤忠雄氏らの名がすぐに浮かぶと思うが、齋藤裕氏の名も忘れることはできない。その他にもたくさんいるに違いないが、この人たちは数多い建築家の中でも極めて独特の個性や作風で異彩を放っている。
 時々建築雑誌に登場してくる齋藤裕という建築家は、私にとって気になるミステリアスな存在であった。その作風にあまり一貫性は感じられないが、一つひとつの作品はとても完成度が高くて妙に迫力がある。その後「ストロング」という氏の著作を読んだ時、一生の間に100軒の建築しかつくらないと書いてあるのを見てどんな人だろうと思ったものだった。
 昨年の秋、TOTOギャラリー間で氏の展覧会「セクションズ」が氏の作品集刊行にあわせて開催された。9月のある週末、会場を訪れてみた。
 薄暗い会場に入ると、和紙でつくられた大きなカマクラが目の前にあった。白い和紙には紅色の斑点がたくさん付いていて中に仕込まれた照明によってぼんやりと光っている。沓脱ぎに見立てた漆塗りの丸い板のところで履物を脱いで腰を屈めてカマクラの中へ入る。平べったい石を敷き詰めたところに踏石に見立てた切株が並んでいる。突き当たりにはにじり口があって手と膝をついて頭を下げて潜る。中は小さな空間で、壁は三角形断面のリブを僅かに隙間をあけて張り巡らせてある。床は板敷きだが平床、給仕口のようなものもしつらえてあってどうも茶室らしい。材料はすべて桐でできている。解説を見ると待合「紅まめ」と茶室「桐かご」をつくったとある。展示用のインスタレーションとはいえ、氏のこだわりを最初から見せつけられる。
 上階には作品の写真パネルと原図が展示されて、ビデオ上映も行われていた。氏は常に断面を大切にしているということで「セクションズ」というタイトルとしたらしい。しかしそれだけでなく作品に見られる空間、形態、素材、加工、仕上げ、納まりなどに対する徹底的なこだわりは並大抵ではない。独学建築家に共通して言えることは、理解不能な抽象的な建築理論ではなく極めて具体的な視覚的触覚的なモノで自己主張している点であるが、中でも齋藤氏の本物に対するこだわりや完全主義の創造姿勢には脱帽させられる。残されたプロジェクトがどのように展開されていくのか想像もつかない。
 模型展示されていた「津の住宅」も中止になったボルドープロジェクト(ピーター・ライス氏との共同)のような造形で興味深いものだった。

新建新聞社:「新建新聞」1999年2月12日掲載

「アルバー・アールト 20世紀モダニズムの人間主義」展を見て

 F.L.ライト展、ル・コルビジェ展、バウハウス展、安藤忠雄展など建築関連の充実した展覧会を数多く開催してきた東京池袋のセゾン美術館。商業立地の美術館としてアクセスも良く私にとっては嬉しい存在だった。現在そこでの最後の展覧会が開催されている。2月15日の最終日をもって美術館としての25年の歴史を閉じる。噂は以前から聞いていたがとても寂しい気がしている。
 最後の展覧会はフィンランドの巨匠、アルバー・アールトの展覧会である。この建築家の展覧会は幾度も開催されたと思うが、20世紀最後に当たって建築におけるモダニズムを検証するという企画らしい。
 私にとってアルバー・アールトとの出会いは学生の頃、北欧の建築家たちを紹介している書籍で見たのが初対面。そうショッキングだったというわけではない。ある特定の建築が強く印象に残ったというよりもいくつかの教会などの美しい空間に心を打たれた。北欧の光に満ちあふれた清楚で変化のある空間が新鮮で次第に引き込まれていった。よく見るとそのプランもユニークで部分的に扇形のクラスター風になっていたりして多くの学生のデザインマインドを刺激したものだった。
 コルビジェやカーンのように独自の理論の延長線上で創作していく建築家に対して、アールトの方法論は近代建築の教条をかたくなに守って表現していくというものではない。フィンランドの美しい自然や歴史などの建築の外にある要因を尊重して、相互に良好な関係を保ちながら建築として成り立っているというものだ。確かに近代建築として新しい時代の形態や表現をもっているが、慎重に周辺を意識し、木や土などの自然素材を活かしていて過度の自己主張は感じられない。高層建築も設計しているけれども本当は高層建築を嫌っていた。フィンランドという風土や感性の中に近代の表現に通じるものがあったのだろうと推測できるが、モダンデザインの精神と風土を見事に調和させた素晴らしい建築家だと思う。そうした意味ではむしろ時代を経た現在におおいてこそより高い評価を与えられるべきではないかという気がしてくる。
 さて展覧会である。私が訪れた12月25日はクリスマスで町は賑やかだったが、美術館内はひっそりとした状態。いよいよ閉館などと聞いたせいか妙に目を凝らしてみる。
 展示は年代順に構成されている。初期の様式的なデザインから間もなく近代主義デザインに切り替わり、次第に独自のデザインが花開いていくプロセスは順調なステップを感じさせる。うねるような独自の曲面が最初に登場するのはイッタラ社のガラスデザインコンペにおけるあの有名なガラス花器からである。建築ではフランク・ロイド・ライトから天才の作と表されたニューヨーク万博のフィンランド館のインテリア。それからフィンランドの風土に溶け込んデザインを追及していく。そのデザインは家具や照明器具などにも展開されていった。
 アールトのデザインの特徴は非対称の自由な平面や温かみのあるディテールやテクスチャーに見られるが、今回の展示を見て再認識したのは、この建築家が頭上からの光を大切にしているということである。トップライトの建築アといってもよい。ヴィープリの図書館、ヘルシンキの国民年金局、ヘルシンキ工科大学、イマトラの教会、ヴォルフスブルグの文化センター等々のほとんどの建築に工夫されたトップライトがある。それは断面を大切にしている結果だと思うが、空間をやさしく豊かにすることに大きく貢献している。また空間的にも凹凸を極めて大切にしていることを感じさせられた。曲面を使いながら空間やディテールに奥行きやふくらみを与え、空気感や物質感を存分に表現している。また更にインテリアなどの部分的な空間のイメージが圧倒的に強く、建築としての全体性や骨格をすぐに理解することは難しい。解説文のなかに、写真で理解するには最も不適切な建築であって展覧会には最も不向きな建築家だとあった。私もこれには同感である。
 販売されているカタログは展示と合致した内容でよい。会場に展示されていたヴィープリの図書館、フィンランディアホール、メゾンカレなどの精巧な断面模型の写真が掲載されていないのは惜しい。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1999年1月25日掲載

「西沢文隆の眼と手―日本の建築と庭実測図展―」を見て

 東京乃木坂にあるギャラリー間は地下鉄の駅を地上に出たところのTOTOビル3階にある。そこで「西沢文隆の眼と手―日本の建築と庭実測図展―」が開催された。西沢氏は坂倉準三亡き後の坂倉事務所(大阪)を引き継ぎ、今年JIA25年賞を受賞した芦屋ルナホール・神宮前のヴィラセレーナやヴィラフレスカ(マンション)・JR品川駅前のホテルパシフィック東京・新宿ワシントンホテルなど数々の名作を設計して71歳で亡くなった(1986年)人である。そしてその傍らで設計とは全く別に、30年間に渡って主だった日本庭園の実測を行い記録するという偉業を成し遂げた人でもある。本来それは全く個人的なものだったらしく幻の実測図などと言われていたようであるが、死後10年を経過してその膨大な実測図が氏の母校である東京大学の研究室に保存されることになり、それに先立っての展覧会開催ということで現在全国を巡回している。
 私はかつて関西に住んでいたことがあるが、休日などを利用して京都方面の古い寺院の庭を訪れるのが楽しみだった。私たちがどんなに現代建築を見慣れていても、古い日本庭園には日本人としての感性に訴えるものがあるようで何度それらを見ても感動する。非公開寺院の見学機会などがあると応募したり、季節ごとに繰り返し訪れたりもしたものである。苔むした庭と寺院の建築群に主役脇役の関係はなく、渾然一体になってつくり出される全体的雰囲気は実際にそこに行ってはじめて体感できるものである。
 古い寺院や庭園は、現在私たちが日常的に作成しているようなきちんとした設計図があって、それにしたがってできているというわけではないし、正確な資料が残っていることも少ないのだろうと思う。現代の私たちとしては目の前に残されたものを実測するという行為を通してしかその全容を知ることはできない。私たちは西沢氏が私たちと同じような気持ちで庭に魅されたのだろうと推測するが、氏自らそれらを実測しようとした意思と情熱に感嘆する。そしてそれがコレクションのごとく絶え間なく持続していったことにも感嘆する。さらに加えてそれが単なる学問的な冷めた実測ではなく、ものを創りだす立場である設計者という鋭い目から見た独特のきめ細かさで埋め尽くされていることに感嘆する。そしてそれが他の建築家ではなく西沢文隆という名建築家の感性を反映して生き生きと表現されていることに感嘆する。
 展覧会は「透けた空間」、「密な空間」、「歩く庭」、「庭と呼ばれない庭」の四つのテーマにしたがって構成されている。透けた空間というのは平安時代から始まる寝殿造系統をさしていて、平等院・厳島神社・金閣寺などがそれに当たる。密な空間というのは書院造系統のことをいい、大徳寺・妙心寺・南禅寺・慈光院などが当てはまる。歩く庭というのは江戸時代以降の回遊式庭園のことをいっており、表千家をはじめとする茶庭・桂離宮をはじめとする御所の庭・後楽園や兼六園などの大名の庭などが該当する。庭と呼ばれない庭というのは春日大社などのように天然の中に少し人間の手が入れられた程度のものなどをさしている。これらのテーマはいかにも建築家らしい、あるいは西沢氏らしいと言えるものだと思う。
 嵯峨野の天龍寺・伏見の醍醐寺三宝院・大和郡山の慈光院・修学院をはじめとした各離宮など私自身も訪れたことのある寺院の庭の平面図と断面図が表されていて改めて理解を深めることができた。また大徳寺や妙心寺などの大寺院の全体像は通常はつかみにくいが、こうした実測図を通して把握することができて良かったと思う。
 実測という作業は一人でできるものではない。またやってみればわかるように一度で完了するということはまずない。測り落としや合わないところが出てきて何度も足を運び直さなくてはならないことが多い。通常なかなか立ち入ることのできない庭園の許可を得て測定するだけでも大変なことだったに違いない。実測に基づいた野帳、それらをまとめて全体図とした未清書と呼ばれる図面、さらにそれをもとに現場再チェックをして完成した本番となる図面などが会場をフルに使って展示されていた。タッチを加えながらペンシルで描かれた実測図は機能や情報を超えたドローイングとして見ることもできる。
 同時に建築資料研究社から出版された「西沢文隆実測図集 建築と庭」は縮小された図になっているが、私たちが手にできる貴重な資料になっている。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1998年12月25日掲載

「建築の20世紀」展を見て

 去る7月末、東京木場の東京都現代美術館を訪ねた。地下鉄の駅を降りると雨降り。ちょうどバスがやって来たので乗った。晴れていても歩くには中途半端な距離で、公共の美術館アクセスとしてはやや不便な感じ。
 バスを降りると道路の反対側に美術館がある。この建築は最近新宿に第二国立劇場を完成させた柳沢孝彦氏の設計になる現代美術専用美術館である。全体構成を機能ダイヤグラム的に説明すれば、南側の公園に面してガラス張りの直線的な動線がとられ、その北側に企画展と常設展に分けられた展示空間が配置されたシンプルなものである。バックスペースまで含めた延べ床面積が約33,500㎡(地下部分が多い)と聞けばその巨大さは想像できるかもしれないが、面積ばかりでなく空間のボリュームまで含めたすべてが人間のスケールを遥かに超えている。巨大な現代美術作品の展示や最大の混雑時を想定すればこれくらいになってしまうのだろうと思うけれど、正直なところこの美術館を回遊して歩くのは重労働である。展示室の脇にところどころ休憩場所があればよいと思う。
 それはともかく、この日は「建築の20世紀」展というのを見たくて訪ねて来たのだった。20世紀も終ろうとしている現在の時点から、建築という分野における激動期であったこの100年間を改めて振り返ってみようということらしい。大回顧展というところか。そもそもこの企画はロサンゼルス現代美術館の企画で東京を皮切りに世界を巡回することになっているようだ。
 平日の午後だったこともあり会場内にはほんの僅かな人たちがいるだけだった。展示の構成は全体を21のテーマに分類して行われている。ゆっくりとそれぞれのコーナーを見ていく。100年近くも前の図面が壁に掛けられ、古い画像も写し出されている。ル・コルビジェやミース・ファン・デル・ローエの見慣れたドローイング、そしてフランク・ロイド・ライトの落水荘やルチオ・コスタのブラジリアの模型なども展示されている。かなりトータルなテーマだけに一つひとつの作品や作家を詳細に紹介することはやはり不可能なようで、代表的なものが広く浅く紹介されているのは仕方のないことだろう。日本の現代作家たちも仲間に加えられていた。
 そうした中で私がもっとも関心をもったのは「未構築(The Unbuild)」のコーナーだった。これは建築家が情熱をかけたにもかかわらず、計画だけで実現しなかった建築をMITの長倉助教授を中心にしたチームが最新のコンピューターテクノロジーを使ってテレビ画面上に映像として表現したものである。CGのウォークスルーアニメーションのようなものといってしまえばそれまでかもしれないが、ジュゼッペ・テラーニがダンテの神曲をモチーフにしたダンテウム、彫刻家ウラジミール・タトリンの第三インターナショナルのためのモニュメント、一世を風靡したアーキグラムのメンバーだったマイケル・ウェブのドライブイン・ハウス、ル・コルビジェのソビエト宮の四つの建築のイメージ映像はそうしたレベルを遥かに凌ぐ完成度であった。ダンテウムの光と闇の表現は神秘的な雰囲気を伝えてくれる。レニングラードの街に挿入された第三インターナショナルモニュメントは高さ400m級のスパイラル形状の鉄塔で、その巨大さを始めて知って驚いた。またその鉄の質感表現もすごい。人民会堂ホールの屋根を吊るための巨大アーチが印象的なソビエト宮の複雑に変化する空間の魅力も素晴らしい。そのコンクリート打放しの質感もリアル。モスクワの中心部にこの建築が完成していればル・コルビジェの全作品の中でも最も豊かな空間になっていたのではないかと思われる。また未来の空間の中で軌道上を走るおもちゃのような車がガイドレールに沿って昇降し搭状のドライブインにプラグインされる様子もコミカルな感覚で楽しい。このような形で幻の案だった建築に接することができたのは予期せぬ感動だった。それらの案についてタイトルやたった一枚の写真くらいは知っていてもこのように全体を知ることができることはなかった。その感動に酔いながらさらに会場をゆっくり歩く。
 全体に構成に希薄感は否めないとしても、建築に興味のある一般の人たちや学生にはとても良い内容であるに違いない。このような展覧会をきっかけに建築に親しんでもらうのは良いことだと思った。販売されているカタログは展示構成と一致しておらず、残念。
 歴史は創作のためのエネルギーである。私にとってもこのような形で久々に近代建築の歴史を総復習することができたのは貴重な経験だったと思う。それにしても次の「建築の21世紀」をどのように展開していけばよいのだろう。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」1998年9月25日掲載

「藤森照信の野蛮ギャルド建築」展を見て

 地下鉄乃木坂の駅で電車をおりて地上に出るまでの階段は長くて辛い。それが理由というわけではないが、しばらくTOTOギャラリー間から足が遠のいていた。久し振りに思い立って表記の展覧会を見た。かねてからの藤森氏の多方面に渡る傍若無人ぶりには目をみはるものがあるが、最近は建築設計分野にまで進出して気を吐いている。昨年、日本芸術大賞を受賞したニラハウスと「我輩は施主である」という本でさらに広く親しまれるようになったのではないかと思う。長野県人にとっては神長官守矢史料館がとくに馴染みがあるがタンポポハウス、ニラハウスと独特の野蛮ぶりはどんどんエスカレートしていった。これから雑誌に登場するであろう一本松ハウスと秋野不矩美術館も含めた五つの野蛮ギャルド建築作品が会場には展示されていた。会期終了間際だったこともあって会場はかなりの盛況といってよい人混みだった。
 建築の展覧会というのはその展示自体が一つの作品になっているといって良い。今回の会場は足を踏み入れると床に木のはつりくずが敷き詰められている。入口受付の脇にいくつかの模型が並べられている。一本の木の幹に五つの建築のシルエットを削り出したものも飾られていて、氏の手になるものらしい。最も奥にあるニラハウスの屋根の実物モデルが目を引く。写真パネルを掛けられた壁は綱を埋めこんだしっくい塗り。靴を脱いで上がるよう指示された床モデルは板の隙間をしっくいで埋めてある。そこには製本された設計図(あの手作り建築の図面は綿密にCADで描き込まれている)が閲覧できるように置いてあり、みな順番を待ってみている状況(不思議に思っていたことがあったので注意深く確認。それはニラハウスの外壁のことだが、いくらフレキシブルボードの上に米松を張っても立派な違反建築・・)。上の階に上がると秋野不矩美術館のための机の展示。木を割ったままの表面でコップが倒れてしまって置けないそうだ。壁にはおびただしい数のスケッチ。藤森氏がスケッチと共に示した50~100万円/坪という工事費概算の幅が大きすぎて理解できないというニラハウスの赤瀬川氏に対して「80万円だと建築家の手が入っているナという感じ、90万円だと一通り建築家がみているナという感じ、100万円だとハッキリ他とちがう」などと答えていたり、別のところでは「安藤忠雄の打放しに草を!安藤忠雄にドクロマークを!」と書きこまれていたりするのを発見して思わずクククッ。最後には特殊仕上げのレシピを紹介するスライドの上映があって氏の建築の極意を垣間見ることができた。

新建新聞社:「新建新聞」1998年6月19日掲載