関 建築+まち 研究室

 建築やまちについて考えてみたい方へ ・・・ いっしょに考えてみませんか ・・・

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■まち印象記・・・これまでに見学してきたまちの印象を紹介しています

バルセロナ建築事情

 マドリッドでは、ジャン・ヌーベル、ノーマン・フォスター、磯崎新、ザハ・ハディド、デヴィッド・チッパーフィールド、ジョン・ポーソン等々18組の建築家やデザイナーが関わった超豪華ホテル“プエルタ・ド・アメリカ”の建設が進んでいるらしい。スペインの地図を開いて虚しい空想旅行をしてみたものの、本会の青年委員会主催の研修旅行はバルセロナだけの滞在となっている。膨らむ期待を抑えつつ、バルセロナに向かった。
 バルセロナと言えば、何をおいてもアントニオ・ガウディの建築群を思い浮かべるが、ドメニク・モンタネールによるカタロニア音楽堂やサン・パウ病院(共に世界遺産)等も見逃せない。ふんだんに装飾を施された音楽堂の正面外観は度肝を抜くに十分だが、オスカー・トゥスケによって増築された背面部分は煉瓦壁を保護するためにサッシュレスの全面ガラスカーテンウォールで覆っており、その大胆なアイディアに魅了される。ラファエル・モネオによるラウディトリ(コンサートホール)はおとなしいデザイン。リカルド・ボフィルによるカタロニア国立劇場や空港ターミナルなどはスケール感のない大味なデザインで感心しない。2000年に急逝したエンリック・ミラージェスのサンタカタリナ市場がまもなく完成する。うねるような木造屋根は派手な色で塗り尽くされている。
 1992年のバルセロナオリンピック会場となったモンジュイックの丘は、日本代表の有森裕子や岩崎恭子等が活躍したところであるが、市街や地中海を望む展望台でもある。丘の上には、ヴィットリオ・グレゴッティによるメインスタジアム、磯崎新によるサンジョルディスポーツ館、サンチャゴ・カラトラヴァによるモンジュイックタワー等がある。
 丘の麓には、ラ・カイシャ財団が運営するカイシャフォーラムという美術館があるが、そのエントランス広場とゲートは磯崎新によってデザインされたものである。道路の対面にあるミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ万博ドイツ館に敬意を表したのか、地上にはガラス屋根のゲートだけが置かれており、地下広場へはエスカレーターで下る。
 スペイン広場に面した見本市会場の増改築計画では伊東豊雄のデザインが選ばれているが、まだ何もスタートしていない(2007年完成予定)。広場の向かいにあるラス・アレナス闘牛場は、観客席を残しながら全体を覆う屋根を掛けたショッピングセンターに改修されるそうで、リチャード・ロジャースによってデザインされ、工事が始められている。
 バルセロナオリンピックの時に開発されたバルセロネータと呼ばれている人工海浜の脇にはSOM設計のホテルアーツというタワーがある。その足元には、フランク・ゲーリーによる巨大なフィッシュオブジェが地中海に向かって鎮座している。
 リチャード・マイヤーによる現代美術館は、石造建築の残る旧市街という立地にあるが、マイヤーはお馴染みのスタイルを頑なに譲らなかった。公共建築ということもあって前面広場には世界各国の人が溢れている。この広場のせいで、異質なデザインの建築も都市的スケールのオブジェのように受け止められているのかもしれない。
 中心部から離れたグロリアス・カタラナス広場に面して、砲弾か銃弾を突き立てたような形の地上142mのタワーが建っている。これはジャン・ヌーベルによるアグバルタワーで、もうまもなく完成する。アグアス・ド・バルセロナという水道会社グループのビルである。その形はモンセラットという奇怪な岩山からヒントを受けたということであるが、それはガウディだって同じこと、、、こうも違うものかと思うくらいに違っている。
 ドミニク・ペローによるホテルアビタスカイ(2006年完成)は、大きな穴を穿ったパンチングメタルで全体を覆うスタイリッシュな外観で期待される。
 空港に向かう高速道路脇では、リチャード・ロジャーズによるヘスペリアホテルの建設が進んでいる。ノーマン・フォスターによるテレコムタワーを遠望することもできる。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2005年5月20日掲載

金沢の街を歩いて

 金沢市は前田家による城下町として発展した都市で、現在では北陸随一の魅力的な観光都市となっている。伝統を残す街なみを眺めるためにゆっくり歩いてみることにした。
 金沢市内には二本の川が流れている。東の浅野川付近には寺院群や情緒豊かな街なみが残っていて、かつての町人文化の繁栄を伝える観光スポットになっている。東山地区には「ひがし茶屋街」と呼ばれる一角がある。150m足らずの直線状の通りであるが、時間の止まった箱庭のようにも映画のセットのようにも見える。石畳化された道路の両面には木虫籠(きむすこ)と呼ばれる金沢独特の細い格子を設けた町屋が軒を連ねている。観光客向けに喫茶店などに改修しているところも見られるが、住宅になっているところでは車庫の前に格子戸をつけたり電気メーターなどに囲いをつけたりして、街なみ修景のために細やかな工夫や努力を行っている。周囲一帯の路地にも同様の雰囲気が漂っている。
 浅野川を対岸に渡った橋のたもとに主計町(かずえまち)と呼ばれているところがある。ここは川沿いの並木道に面した町屋街で、現在は主として料亭などになっている。空に月がかかる頃になって格子越しに明りがこぼれる風情はなかなか趣きがある。ここの町屋の裏側にも迷路のような狭い路地があってタイムスリップしたような懐かしい気分になる。都市の近代化に置き去りにされた路地は、今や実に貴重で魅力的な場所となっっている。
 香林坊の近くには、長町武家屋敷がある。大きな屋敷を囲んでいる土塀が連なった一角で、ここも観光客に人気のスポットになっている。ここも歴史が止まったような雰囲気を感じさせる。一角で公園整備をしており、土塀をつくっている様子を見ることができた。
 西の犀川付近には「にし茶屋街」がある。ひがし茶屋街ほどの規模はないが、劣らぬ風情のある街なみである。公園も整備されているし、エアコン室外機なども丁寧に格子で囲われている。建物が使われていることは、街なみ保持にとって大切なことだと思う。
 すぐ近くにある千日町というところは作家室生犀星の生家があったところで、その場所に「室生犀星記念館」が森俊偉氏の設計によって完成している。氏は槙文彦氏の事務所の出身で、現在は金沢工業大学の教授をつとめる傍ら設計活動をしている。記念館は、イレギュラーで窮屈な敷地に前庭・中庭・奥庭をとりながら、巧みに展示空間をはめ込んでいる。モダンな建築であるが、街なみを意識した好感の持てる建築になっている。
 今の金沢は大型の高層ビルなどが続々とできてすっかり大都会化している。竪町通りやパティオを内包した「プレーゴ」なども若い人たちの集まる場になっている。古い街なみや建物を残すことに熱心に取り組んでいる一方で、賑わいづくりにも積極的に取り組んでいたり市内随所に公園を整備したりしているところがうらやましく感じられる。
 JR金沢駅東広場の巨大なガラスアトリウムも完成に近い姿を表わしている。また、兼六園の近くで工事が進行している妹島和世氏の設計による「かなざわ21世紀美術館」は、2004年10月19日にオープンすることになっている。現在は鉄骨建方が終わったような段階になっている。ガラスの円盤のようなユニークな形状の美術館が21世紀の金沢市民にどのように親しまれていくのか、とても興味がある。

新建新聞社:「新建新聞」2003年12月 日掲載

蔵の街を歩いて

 寺院や城郭などの優美な日本建築に関心を持つ人は多い。しかし身近な存在である蔵が注目されることは少ない。蔵は言い換えれば物置である。従って建築的に価値を認められることも少ないが、重厚な姿や架構は見る人を圧倒したり郷愁に誘ったりする。
 日本全国には寺の町や城の町と言われているところがたくさんあるが、蔵の街は少ない。代表的な蔵の街である栃木市と川越市を歩いてみた。
●栃木市
 栃木市は栃木県南部にあるそれほど大きくない都市であるが、かつて日光例幣使(れいへいし)街道の宿場町・商人の町として隆盛した歴史を持っている。
 栃木駅(JR両毛線・東武日光線)から北にのびる大通りは電線地中化が済み、蔵づくりの商家が並んでいる。「蔵の街観光館(旧田村家見世蔵・市指定文化財)」・「あだち好古壱番館」・「山本有三ふるさと記念館」・「古久磯提灯店見世蔵(県指定文化財)」・「下野(しもつけ)新聞社栃木支局」などの歴史を感じさせる建築が目につくが、ホテルやデパートなどの近代的なビルも混じっている。長野市の中央通りに近い趣がある。次第に姿を消してしまった古い建築の価値に気付いて、残された蔵をテーマにしてまちづくりを進めようとしているように見える。「山車会館」はコンクリート打放しの建築であるが、その脇に「おたすけ蔵」と呼ばれていた三連の土蔵を改修した「蔵の街美術館」がオープンしている。
 水運を支えてきた巴波川(うずまがわ)沿いにも「横山郷土館(登録有形文化財)」や「塚田歴史伝説館」などがあり、綱手道(つなてみち)と呼ばれる川沿いの遊歩道から眺める姿は印象的である。地場の大谷石を使った石蔵などもあちこちに見られ、点在する歴史的な建築を巡って歩くだけでも楽しい。古い建築はギャラリーや和風の店舗として再活用されることが多いが、ここで見かけたタイヤショップとして再活用されている土蔵づくりの商家はミスマッチな印象だが歴史を大切にする住民の心を表わしているように見えた。
  *例幣使=徳川家康が日光に改葬された後、京都朝廷から日光東照宮へ遣わされた
●川越市
 川越市は埼玉県南部にあり、かつては江戸の米蔵とも言われ、現在では小江戸と呼ばれている。西武新宿線本川越駅から遠くない一番街には立派な鬼瓦をのせた堂々たる蔵づくりの商家が軒を連ねており、多くの観光客を集めている。明治26年に大火があり、現在の建築はその後に建てられたものである。平成11年に川越伝統的建造物群保存地区に指定されており、国指定重要文化財の「大沢家住宅」などもある。一番街は幹線道路で通過交通が多いが、時の鐘や菓子屋横丁などによって膨らみのある街になっている。脇道は歴史的地区環境整備街路事業によって石畳化され、歩いて楽しい雰囲気が感じられる。
 蔵づくりにあわせて改修した店が増えたり「まつり会館」がオープンする傍ら、最近になってコンクリート打放しのギャラリー+ショップ建築が登場した。まちづくりが観光を誘発しいつしか観光のためのまちづくりを指向するようになると、リゾート地などで見かける観光客に迎合したデザインが侵入してくるということだろうか。部分的なデザイン調整によって調和を意図しているのかもしれないが、こうしたデザインが増殖していけば川越の街なみが川越の街なみでなくなるのは目に見えている。景観を整えるのは“今”を維持したり修復したりするためでもあるが、“未来”へ文化を継承するためでもある。

新建新聞社:「新建新聞」2003年12月 日掲載

越後妻有を巡って

 長野県の最北端にある栄村から新潟県に入ると、越後妻有(えちごつまり)と呼ばれている地域がある。十日町市を中心に六市町村に及ぶこの地域の里山を舞台に、第2回「越後妻有アート・トリエンナーレ2003」が来る7月20日から9月7日まで開催される。オープンを控えて関係施設や作品が完成してきている。
 十日町市では、まず内藤廣氏設計の「情報館」に立ち寄る。正面からは平屋に見えるが、背面は地盤が下がっていて二階建に見える。エントランスは質素というより素っ気ない。PC版の大屋根に覆われた氏独特のワンルーム空間が待ち受けている。PC版は骨太で重々しいものと想像していたが、内部で見上げると緩やかなアーチ形状のリブが優しく柔らかい。情報館というのは最近の言い方をすれば“メディアテーク”ということで、図書館機能を中心にさまざまな情報に接することができる施設になっている。子供から老人までが空間を共有しながら静かにそれぞれの時を過ごしている雰囲気が羨ましく思われた。
 情報館のすぐ近くで、アート・トリエンナーレの十日町ステージとなる原広司氏設計の「交流館」が完成を急いでいた。頂部にミラーガラスをのせた長さ72mのコンクリート打放しの大きな壁の内側には、コンクリート列柱の回廊が見える。回廊の内側はレベルが少し下がっており池になるところだが、アート・トリエンナーレの間は水を排してオープンエア会場として利用されるらしい。氏の作品としてはおとなしい印象を受ける。
 隣の松代(まつだい)町には、今回のアート・トリエンナーレで最も大きな話題となるであろうMVRDV(オランダのグループ)設計の「雪国農耕文化村センター」が完成している。ほくほく線松代駅の脇の田園に白い宇宙船が舞い降りたかのような鮮烈なインプレッション。駅の出入口に接続したスロープからデザインが始まる。駅からセンターまでのやや長い屋根付アプローチの壁面には町内の家の屋号が書かれた板がアート化されて並んでいる。センター自体は、交叉する三本の橋のような構造体によって正方形の平面を宙に浮かせた特異な造形で、それ自体がアートのようにも思える。メンバーであるヴィニー・マース氏が東京での講演の中で、既成概念にとらわれない建築を目指していると言っていたのを思い出した。二階のカフェからは川の対岸に配置されたアート作品が見えるようになっている。ローカルとアヴァンギャルドの取合せが、自然豊かな風景を刺激する。
 もうひとつのステージは松之山町の山の中にある。何の情報もないまま手塚貴晴氏設計の「森の学校キョロロ」を探すのは無謀であったが、運良くたどり着くことができた。全くの偶然であるが、見学に来ていた東京の学生たちに混じって監理担当者の説明を聞くこともできた。頭をもたげて大地に横たわる巨大な蛇のような造形で、外壁と屋根は共に露出した耐候性鋼になっている。片流れ屋根の単純な断面をそのまま構造にした(池田昌弘氏担当)建物だが、巾・高さ・方向を少しづつ変えて変化のある空間を作り出している。生なアイディアと荒々しい表現であるが、完成度の高いものになっている。
 これらの建築は、“場所”や“地域”が求めてくるものとは異なった自律的なフィロソフィで作られたアート作品と言える。イベント終了後の地域定着を願いたい。

新建新聞社:「新建新聞」2003年6月20日掲載

第27回建築士事務所全国大会北海道大会に参加して

 9月19日(金)に、北海道札幌市において全国大会が開催されたので参加した。恒例の省コスト旅行であるが、今年は飛行機とホテルとレンタカー一式の格安パックを利用した。
 前日に羽田から飛行機で函館に入る。到着するとすぐにレンタカーを借りて、市内へ向う。函館は明治期の洋風建物がたくさん残る町である。ベイエリアに着くと、煉瓦倉庫群や郵便局がリニューアルされて観光客でにぎわっている場所がある。金森倉庫・「ベイはこだて」(岡田新一氏設計)・明治館などと呼ばれるこのゾーンは、港町の歴史や面影を巧みに活かしたまちづくり的な空間整備が展開されている。
 続いて、郊外の山腹にある「公立はこだて未来大学」を見学した。ここは山本理顕氏の設計になる新設大学で、外観は無造作な箱のように見える。外壁材はサイディングだが、海の方向に向いた面だけはダブルスキンの総ガラスウォールになっていて、陽を浴びて輝いている。芝主の庭と連携して開放感があり、清々としている。圧巻はそのガラスの内部に存在する5層吹抜の圧倒的な巨大空間である。階段状にセットバックしたフロアやブリッジが設けられており、壁が存在しない。このワークスペースは、学習の場であるが教室ではない。学生たちにとってパソコンが設置された図書室のような趣である。ステレオタイプ化した学校のイメージを根底から覆す衝撃的な学校建築であった。
 この日は函館大沼プリンスホテルに泊まり、翌日は大沼国定公園を経由して、一路札幌へ向って走る。高速道路の整備が進んだもののかなりの距離がある。全国大会の会場である北海道厚生年金会館に到着したのは開会直前だった。私は作品表彰で登壇させていただいた。思ったより時間がかかったので、以後の市内見学は諦めて、宿泊先の札幌北広島プリンスホテル(渡辺明氏設計)に向う。それから再度、札幌市内まで出かけ、サッポロビールと海の幸!最後はサッポロラーメン!と定番コースを味わった。
 最終日は早朝から行動開始。原広司氏設計のサッポロドームに向い、ゲートが開くのを待って入場。宇宙船のようなドーム屋根の外周を一回りしてから、ドームツアーに参加した。ここは野球とサッカーと使い分けをするために、ゲームスペースの切り替えを行う。アウトドアで整備されていた巨大なサッカーコート(8300トン)をインドアに引き込むための作業風景を見学し、ドーム屋根に突き出した展望台から市内を一望する。
 長居をしてしまったので、あとはダッシュ状態。安藤忠雄氏設計の渡辺淳一文学館を見たい。このところ巨大な安藤建築を見慣れているので、この建築の小さなスケール感がフレッシュな印象すら与えてくれる。外観を特徴づけている頬杖の構造と吹抜を巧みに組み合わせた変化のある建築であった。
 新千歳空港でレンタカーを返し、せわしなく飛行機に搭乗。疲れた!

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2002年10月25日掲載

高山・古川・八尾を訪ねて

 岐阜県に行くのは初めてのことである。詩情豊かな良い街なみがたくさんあるのは知っているが、これまで訪れる機会がなかった。
 高山市は400年の歴史を誇る城下町で、人口は6万6千人だが大勢の観光客が集まってくる。市内の中心を流れる宮川に沿うように「古い街並」がある。上三之町辺りは伝統的建造物群保存地区になっている。狭い通りの両側には水量豊富な水路(側溝)があり、江戸時代を思わせる木造の民家が途切れることなく並んでいる。二階建で各階とも低い階高になっているので狭い通りのわりに圧迫感は感じない。緩勾配の屋根の軒先に設けられた雪止板と屋根上に大きく突き出した採光通風用の櫓窓が建築上の特徴のように見える。ほとんどが商店化しているが、店先に手入れされた朝顔鉢が並んでいたり、木製で茶色に塗装された屋外消火栓ボックスが置かれていたりするのを見ると、住民の景観保持形成に対する地道な努力を理解することができる。有名な朝市にも多くの人が集まっている。
 高山市から遠くない古川町。今年は連続テレビ小説「さくら」の舞台の町として大ブレークしているので、人口1万6千人の小さな町に人があふれている。町の中心部に瀬戸川という小さな用水路が流れている。この水路はかつての武家屋敷と町人町の境で、ここに面して白壁の土蔵や民家が並んでいる。この町は早い時期から景観保持に対して熱心に取り組んできた。観光協会が古川町景観デザイン賞を創設したのは1985年のことである。その頃から日本ナショナルトラストによってまちづくりの調査が始まり、ほどなく吉田桂二氏の設計による「飛騨の匠文化館」が完成した。街なみ形成に関する地道な活動が続き、1996年から街なみ環境整備事業にも取り組んでいる。水路には鯉が泳ぎ、灯篭型の街灯が並んでいる。通りに面した木造住宅には独特の出桁造りが見られる。清家清氏設計の「飛騨古川まつり会館」には古川祭のメーンイベントである「起こし太鼓」と屋台が展示されている。屋台からくりの展示や6面スクリーンのホールもあって見応えがある。
 続いて「越中おわら風の盆」で有名な八尾町。まつりの時には30万人が訪れる町だが、平静時は人口2万2千人の静かな町である。聞名寺という大きな寺の門前町として栄えた歴史を持ち、かつては絹産業が盛んであった。町人が築いた屋台が展示されている曳山会館がある。展示自体は単調だが、かつての隆盛を想像することはできる。すぐ近くに民家を改造してミニギャラリーとして公開している「坂のまち美術館」がある。街なみは高山市や古川町のように整備されてはいないように見えるが、出桁の独特の造りはここにも見られる。間口の狭い住宅のガレージには木製開戸が設けられていたりして修景に努力している様子も見られる。軒先に風鈴を下げて、音で風のイメージを演出している。
 飛騨の山奥には独特の文化を感じさせる美しい街なみがつくられていた。それは豊かな森林資源や豪雪といった自然風土に従った自然体の街なみで、大工や匠の高度な手仕事によって調和が保たれている。もちろん文明によって切り崩されてしまったところもあるが、現代の人たちも根気づよく街なみを保持しようと努力している。街なみ整備には行政による制度と住民の意識が両輪になっている状況が必要であることを再認識させられた。

新建新聞社:「新建新聞」2002年8月2日掲載

長浜・近江八幡・彦根を訪ねて

 滋賀県琵琶湖の東岸に戦国時代からの古い町が点在する。
 湖北に位置する長浜市は豊臣秀吉によって開かれた町である。長浜縮緬(ちりめん)も有名である。伝統の曳山まつりも賑わう。最近はまちづくり会社「黒壁」を中心に取り組んでいるまちづくりが進み、全国から注目されている町である。3月に入ったところで数年ぶりに再訪する機会を得た。快速電車の終点JR長浜駅に着くと大勢の人がぞろぞろと降りるので驚かされる。駅前は変哲もないが、北国街道黒壁スクエアは歩いても数分のところである。「黒壁」は取り壊されようとしていた古い銀行の建物を買い取って再利用するために昭和63年につくられたまちづくりを目指す第三セクターである。数年前に来たときには10館余だったと記憶しているが、今では30館までに増えた。隣接した大手門通りアーケード街や大通寺ながはま御坊表参道まで店舗が賑わっている。まるで東京の繁華街のようだ。かつてシャッターがしまっていた空店舗が今ではほとんど全て個性的な店舗に生れ変っている。その中の一つである金物屋が「まちづくり役場」になっているので、近況の説明を受ける。アーケード街に面して、昨年曳山博物館がオープンして人を集めている。市内に12基あるうちの4基の曳山が展示されている巨大な建物である。江戸時代からの屋台はまさに芸術作品であるし、子供たちが屋台上で演じる狂言も伝統を受け継ぐ仕掛けになっていて素晴らしいと思った。
 そこからずっと南へ移動すると近江八幡市に着く。琵琶湖から引きこまれている八幡堀の風情がこの町の大きな特徴になっている。荷船が行き交い繁栄した時期もあったが、いつしか荒れ果てた。その堀を蘇生させたことによって多くの人が訪ねる町に変貌した。掘端に古い土蔵を再生した喫茶店があるし、橋のたもとには有名な和菓子屋がかなり充実した店をオープンしている。出江寛氏設計のかわらミュージアムも掘に面して建てられている。掘の水路際におりて歩けるようになっているのも私たちにとっては非日常的な体験でわくわくする。これから桜の時期になると凄い人ごみになる。他にも旧西川家などの古い建物や町並みが保存されている。建築家ウィリアム・ヴォ―リスの近江兄弟社(メンタ―ムを発売している)もここにある。
 少し戻って彦根市に入る。ここには国宝彦根城(井伊家)がある。ちなみに国宝天守閣は他に姫路城・犬山城・松本城の三城のみ。その城の南西方に夢京橋キャッスル・ロードという新しく整備された町並みがある。広い車道の両側に江戸時代を思わせる和風の外観の商店がずらりと並んでいる。銀行までも和風の趣にデザインされている。景観に関するコードを設けてすすめた整備例である。延長距離が長い(約400m)こともあってなかなか壮観だが、まだまだ新しさの方が強いので古い小さな土蔵を改装したような店舗の方がずっと迫力がある。ちょうど映画の書き割セットのような印象と言って良い。
 これらの町はどこも歴史を現代に活かしてまちづくりに取り組んでいる。古い建物は存在自体に時間が築き上げた深みを潜めていて磨いてやれば輝き出す。そうした建物を現代に活かすことによって郊外のショッピングセンターなどには不可能な持ち味をつくり出している。その回りに客も商店も群がってくる。まちづくりには人間の体温や体臭が必要なのだろう。人間のスケールや行動特性にあった楽しい雰囲気が重要なのだと改めて思わされた。今のところ「5時までまちづくり」のようで残念ではあったが、まちづくりは気長に取り組まなくてはならない。

新建新聞社:「新建新聞」2001年4月6日掲載

山梨の一日

 アート系の雑誌などで時折見かけるたびに、いつか行ってみたいなァという思いを抱いていたもののなかなかその機会をつくることができないでいた。山梨県にある清春芸術村を訪ねるのは初めてのことだ。甲斐駒ヶ岳・北岳・富士山・八ヶ岳に囲まれたパノラマ風景が望めるこの素晴らしいロケーションはかつて小学校であった。今年はその跡地に芸術村ができてから20周年だとか・・・。
グラウンドの中央には「ラ・リューシュ」と呼ばれる多角形平面3階建ての巨大な集合アトリエがシンボリックに聳えたっている。この名は蜂の巣の意で中央の階段を囲んでアトリエ群が並んでいる。パリのモンマルトルにあるオリジナル建築はエッフェルが設計したものであのシャガールやモディリアニなども滞在したという。エッフェル塔もよく見ると機械的なイメージはあまりないが、こちらも人間くささを存分に感じさせるデザインとシルエットで強い親しみを感じる。残念だが館内を見せてもらうことはできない。広いグラウンドにはスケッチや写真を楽しむ人がちらほら見えてのどかな時間が過ぎていく。
 目を移すと新緑の白樺の木々の向うに谷口吉生氏の設計になる「清春白樺美術館」(1993年竣工)がある。屹立するラ・リューシュに対して伏せるように配置された美術館。二つの建築を関係づけるため外壁に同色タイルを張ったり、多角形のガラスウィンドウをラ・リューシュと向き合うように配置したりしているのがわかる。高さを抑えながら長いボリュームにまとめた美術館の姿には氏らしい感性が漂う。質素なエントランスを入ると見慣れた抑制のきいた空間がある。館内から外への開口は床から目線くらいに押えられており、その後に設計された美術館などに共通している。かつて白樺派の人たちが心から感動したロダンの彫刻とルオーの絵画にすっかり心を洗われる。この美術館は白樺派の人たちが夢見ながらもついに果たせなかった幻の美術館の実現と位置づけられている。
 他にも同氏の設計といわれるレストラン「ラ・パレット」と小さな「ルオー礼拝堂」があるが、密度は落ちるように思う。奥の木立の中には吉田五十八設計の「梅原龍三郎アトリエ」が移築されひっそりと建っている。木造和風の小規模建築であるが、こちらも端正なたたずまいで素晴らしい。少し離れた所に新しく図書館が計画されているらしい(模型が置いてあった)が別の設計者(佐々木某氏)に変わるようだ。「MoMAのコンペなどで国際的な建築家となった谷口氏は設計料が高くて依頼できなくなった。建物がもう一つできてしまうくらいだ」と主任学芸員の話し。
 サントリーのワイナリーまで足をのばしてゆっくりと遊んだ後は、かつて元倉眞琴氏のスタッフだった杉千春氏+高橋真奈美氏(プラネットワークス)の「森の家」。実はほぼ1年前にオープンハウスの案内をもらっていたのだが、その時は都合がつかず残念な思いをしていた。場所に迷ったので道行く人に聞くと「あの写真家のガラス張りの家ならすぐにわかりますよ」との返事。なるほど・・・。細長く四角い木箱の小口の一面をそっくりガラスにした建築はトンネルのような感じで強いインパクトがある。ガラス面は田園風景をこえて高原を遠望する東の方向に向けてあって遮るものは全くない。建築のアクシスとビスタを重ねて大きなフレームの中で四季を通して自然の風景を楽しめるようにしてある。というよりむしろそのための建築装置と言った方が的を得ているのかもしれない。場所の特性を活かした設計と言える。雑誌に掲載された写真ではよくわからなかったのだが、隣接して一般の家が迫っていて「森に囲まれた家」のイメージはやや崩れてしまっている。敷地が広ければいいのだが・・・。
 この家は大きな箱の中に小さな部屋があるいわゆる入れ子の空間構成。素っ気ないほどストレートなアイディアと表現が何とも感動的だ!考え抜いてあるのにその痕跡を感じさせない手法は自分自身が目指しているものでもあり共感できる。この大きなトンネル空間を成立させている架構がこの建築のポイントだろうと思う。門型に組んだ集成材の柱+梁フレームが自立的に11列並んでいて桁行き方向は細い製材でつないでいるだけとなっている。端部のスパンを鉄パイプの筋交で固定。この魅力的なアイディアは構造家の今川憲英氏による。とても楽しそうな空間で住んでみたい誘惑にかられるが、ちょっと勇気がいるかなァ?まもなく夕暮れの闇の中であかりの箱へと変貌する。
 春爛漫の穏やかな陽射しのなかで、洗練されたモダニズム建築のもつ品の良さを堪能することのできた一日だった。さわやかな風が頭のなかの雑念を消し去るように通り過ぎていった。

(社)長野県建築士会長野支部:「つちおと」2000年6月15日掲載

淡路島で出会ったもの

 この春、本州と淡路島を結ぶ橋が開通した。パールブリッジと呼ばれる明石海峡大橋によって長野から高速道路だけを伝わって淡路島に渡れるようになった。5月30日~31日、総勢11名で片道550キロの旅を決行。途中何ヵ所かで休憩しながらついに明石海峡を越える。吊り橋全長3900m。
 上陸すると直ぐに淡路SAがある。橋を眺めるスポットとして観光客で賑わっている。ここの休憩施設は隈研吾氏の設計。長辺方向に低いライズでゆるくカーブを描く大屋根とガラスを多用した軽快な空間構成と表現が特徴。
 そこからさらに高速道路を走っていくと海岸に安藤忠雄氏の設計で現在建設中の夢舞台と言われている広大な現場風景を見下ろせる。巨大なホテル棟・会議棟・店舗棟などを配して海岸線が大きく整備される。来年末に完成の予定。
 島内に高速道路が開通してから安藤忠雄氏設計の本福寺水御堂を見下ろすことができるようになった。だが最寄りのICを下りて狭い坂道を上っていくアプローチからは全く見えない。車を降りて墓地を抜けて歩いていくとようやくあのコンクリート打放しの壁。壁をくぐり向きを変えながらもう一枚のカーブした壁に沿って歩くといよいよ蓮の花が浮かぶ水盤。池の中に沈んでいくがごときアプローチ。水面下の本堂の中はコンクリートから転じて重源の浄土寺のごとき全面朱色の世界。雑誌の写真で見ていた断片的なイメージを繋ぎながら、雑誌の図面では理解しにくかった空間を体で直に感じとった。
 そのすぐ近くにある久住章氏のゲストハウスにも寄る。久住氏は有名な左官職人。海辺の近くの空き地のような場所に二つの異様な形態が並んで建っている。傾いた集会空間とつぶれそうな宿泊空間。手づくりのバラックのようで倒れてしまいそうだが阪神大震災にも耐えた。氏は不在だったけれど勝手に中に入りこんで皆で大騒ぎ。楽しいアイディア満載で思わず長居をしてしまった。
 それから津名にある安藤忠雄氏の新作。昨年末にオープンした宿泊研修所「シーウィンド」は大阪湾を見下ろす断崖の傾斜面に乗っている。氏の六甲のハウジングのような斜面建築で立地は素晴らしいが難工事だっただろうと想像される。海辺とは反対の山道を登りつめたところでやはりコンクリート打放しの壁が突然現われる。エントランスは8階。嵌殺しに見えた幅4m以上もあるガラスが実はスライドする一枚の自動ドアでいきなりびっくり。そこからエントランスホールに入って正面方向に海を見通しながら階段状の床面をラウンジまで下り、もう一度外に出る。そこは空中に浮かぶように細く突き出した展望台のような外部歩廊で海を一望しながら先端にあるエレベーターで下に降りていく。雨が降れば当然濡れる。エントランスに傘が置いてあった訳がわかった。2階にある宿泊室はメゾネットのゆったりした空間でリッチな気分。立地を活かして外の景色を取り込むビスタやパノラマが効果的に仕掛けられた空間づくりの手法は安藤氏の建築ではお馴染みのものになっているしそうした方法に強い操作性を感じる人も多いと思うけれど、ラビリンスの中をさまようような感覚は建築探訪の大きな魅力でもあると思う。
 翌日は津井の山田脩二氏を訪ねる。氏は16年前にカメラマンをやめた後、この地に住んで瓦を焼いているカワラマンである。近くの瓦工場を案内してもらった後、たくさんの瓦に関するスライドを見て奥さんの手作りの食事までごちそうになってしまった。長谷川逸子氏の湘南台文化センターや象設計集団の草津温泉広場・世田谷用賀プロムナードなどの氏の関わった瓦作品も楽しくて素晴らしいものだが、何よりもその個性的な人柄に圧倒されてしまう。私たちの心には氏の語る軽妙だがしかし深い内容を含んだ言葉がたくさん残っている。氏の信念をもった生き方に接することができたのは予想もしない大きな収穫だった。建築を見てあるくことも楽しいが、旅先で素晴らしい人に出会えるのはもっと感動的だ。滞在の時間を延ばしてもまだまだ足りない気持ちでようやく根のはえてしまった腰を上げた。

(社)長野県建築士会長野支部:「つちおと」1998年8月15日掲載

天心記念美術館とジュゼッペ・テラーニ展

 関東甲信越建築士会ブロック会の通常総会が茨城県の五浦(いづうら)で開催されるに際して、私の自邸に対して優良建築物表彰をいただけるということで出かけていった。五浦は茨城県といっても福島県に近くとても遠いところではあったが、そこに内藤廣氏の設計になる「T美術館」が昨年秋にオープンしていることを聞いていたのでこの機会に見てみたいと思った。
 5月7日。常磐線の大津港という小さな駅に降り立った。ゆったりとした時間が流れているのが見える。五浦は風光明媚な海岸線と岡倉天心によって有名なところであるが、新しくできた美術館以外には取り立てて私の関心を引くものはなにもなさそうであった。先のT美術館は「茨城県天心記念五浦美術館」と呼ばれ海岸を見下ろす眺望の良い丘の上に建てられていた。
 連休後の平日であったが平山郁夫画伯の展覧会を開催していることもあって訪れる人は多かった。全体の形態は切り妻屋根が並列に並べられた内藤氏らしいものであったが、規模がかなり大きい。ツツジの咲き誇るアプローチを歩く。エントランスはほぼ中央部に位置し、池を巡る回廊を通って館内に入る。広いエントランスホールを見上げると屋根架構はトラス形状の力強いプレキャストコンクリート製の梁になっている。妻面からの採光がほど良い明暗を作り出している。ホールの片隅のショップやレストランがやや窮屈そうだが、常設・企画展示室へ進む経路は池を見返したり白い波の打ち寄せる海岸を眺められ、場所の特性を活かしたシークエンス展開になっている。でもちょっと・・・氏の持ち味であるいつものヒューマンなスケール感や空間の密度感がどうも伝わってこないような気がする。自らの手法のバリエーションに挑戦しながら洗練を極めようとしている姿勢はとても素晴らしい。でもこの美術館はやや規模が大きすぎるのかもしれない。覆い隠されたり仕切られたりしていて意図が伝わってこないのかもしれない。架構があまり繊細ではないのかもしれない。人を包み込むような優しい建築であることを感じながらも、改めてスケールと密度という建築の基本について再認識させられたように思う。設計者にとって奥の深いテーマではある。
 それから水戸市の水戸芸術館で開催中のジュゼッペ・テラーニ展を見た。テラーニは知る人ぞ知る近代イタリアの建築家である。彼の設計したイタリア、コモのカサ・デル・ファッショ(ファシストの館)は素晴らしいプロポーションで私の最も好きな建築の一つであるが、他の設計活動を詳しく理解しているというわけではなかった。一般的に知られているわけでもない建築家を水戸という地方都市で取り上げるのは面白いと思っていて、芸術館学芸員の高い見識を感じさせられた。
 出かける前ににわか勉強をしていったもののコモのカサ・デル・ファッショ以外は案の定ほとんど知らないものであった。ファシズムという厄介な時代と共に歩んだ建築家は多くのプロジェクトといくつかの珠玉の作品を残している。近代建築の旗手であるル・コルビジェやミース・ファン・デル・ローエはその主張をストレートに形にしていったが、近代建築のボキャブラリーを作り出したのはテラーニではなかったかと感じさせるほどに豊な展開を見せる。そのデザインは現代の建築の中に堂々と生きており、今でも十分に通用する強靭さをもっていると感じたのは私にとって新鮮で印象深いものであった。たくさん並んだ模型やCGも理解を深めるのに一役買っていて良い企画だと思った。

(社)長野県建築士会:「建築士ながの」1998年7月1日掲載

アルベールビルオリンピックの特徴

 アルベールビルオリンピックの視察に行く機会を与えられた。断片的であることをお許しいただきながら、私の印象を通してアルベールビルオリンピックの特徴を少しまとめてみたいと思う。
1. 広域分散開催
 アルベールビルの町では開閉会式とスピードスケート、フィギィアスケートが行われた。そしてアイスホッケー、アルペンスキー、ジャンプスキー、ボブスレーリュージュ等は山岳地域の幾つかの谷間に分散されて行われた。こうした状況に至った背景にはいくつかの事情があったようであるが、それについては省略する。
 広域開催のメリットは一部の地域に集中的な負担や影響を与えずにすむことであろう。一方デメリットは運営上の不便や観客・関係者の移動が大変になることであろう。
 移動については、フランス中から集められたといわれる大型観光バスがシャトルバスとして使われ観客はこれに乗って移動した。アルベールビルを挟んで西と東にマイカー用の駐車場が設けられ、そこから競技場へはシャトルバスでしか行けないシステムになっている。アルベールビルからスキー会場までは狭い山道の部分もあり1時間以上はかかる距離であったが、マイカーの通行は制限されているので渋滞等はなかった。問題はバスの出発と帰着の時刻である。シャトルバスの出発時間と競技開始時間がうまくつながっていないためもあって、私たちのように40キロ以上も離れたところ(アンシー)に宿泊していた者がスキー会場へ行きたいと思うと明け方の4時にホテルを出て夜の10時過ぎに帰ってくるというとんでもない状況になった。また、詳しい状況は分からないが運営関係者もかなり苦労をしたであろうことが予想される。
2. 簡素な競技施設
 観客席が仮設であることに関心が集まっているが、このことについては国柄の違いのような部分を勘案して考える必要もあると思う。ヨーロッパの人達は「自分のことは自分で責任を持つ」「自分の安全は自分で守る」といった心構えがある。日本のように何かあると他人に責任を押し付ける、責任逃れをするといったことがない。この気質の違いを考えると、日本でアルベールビルと同じ防災感覚の仮設施設をつくるのは難しいと思う。
 仮設であることを逆手にとった発想もあることを知ることができたのは収穫であった。開閉会式場は、前利用も後利用もなくこのためだけに作られていた。つまり仮設であるがゆえに式典の進行に制約のない会場が作り得るということである。
3. イベント性
 アルベールビルは人口2万人程度の小さな町である。また開催会場となっている他の所も同じような小さな町である。山岳スキー地帯ではあるが、オリンピックができるようなスケート競技場があるべくもなく、今後も必要ではないのであろう。施設が仮設でありローコストである背景にはこうした事情があると思われる。高速道路の整備やまちづくりはさほど大きなテーマではないように感じられた。
 ヨーロッパの人たちはお祭りを素直に楽しむ。オリンピックもそうしたもののうちの一つとしてとらえられている。まさにスポーツの祭典、平和の祭典であり国際交流が自然な形で行われている。
4. フランスらしさ
 フランスらしさを感じたことは二点あった。
一つは開会式の演出である。アルベールビルらしさ、サヴォワらしさといった土俗的な部分にこだわらず、フランスが世界に誇れるアートやファッションの要素を表現したことが結果的にアピールしたと思われる。この部分に投入されたエネルギーは、施設が簡素であったり移動が大変であったりしたことを十分にフォローし得たと思う。
 もう一つはボランティアについてである。開会したばかりで不慣れな面もあったのであろうが、バス乗り場でのガイド他の人たちのいい加減さには閉口した。フランス名物は「ワイン、チーズ、いい加減(ボーデル)」なのだそうである。ガイドの言うことがそれぞれ違ったりして不安な思いをさせられた。旅の思い出として微笑ましく語るには良いが、できればあってほしくない「らしさ」ではある。

(社)長野県建築士会長野支部:「つちおと」1992年5月15日掲載