関 建築+まち 研究室

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■建築印象記・・・これまでに見学してきた建築の印象を紹介しています

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 2013・10・2  「ルーブル・ランス」を訪ねて  を追加しました

ルーブル・ランスを訪ねて


 パリ北駅から電車に乗って一時間ほどでランスという町に到着する。駅前でシャトルバスに乗ると、まもなく2012年12月にオープンしたルーブル美術館ランス分館に着く。
 この美術館の設計をしたのは、妹島和世氏と西沢立衛氏のユニット。放置されていた炭抗跡だという広大な敷地に、鈍く風景を反射するアルミ板とガラスによるアートインスタレーションのような立体が横たわっている。フランスの女性景観建築家のデザインによるアート庭園が建築を取り囲むように広がっているが、草花はまだ成育中で茫漠としている。
 オープンから一年間という期間限定で、常設展示を無料にて鑑賞できるということで、チケットカウンターで「フリーパス」と告げて入館する。(企画展示は有料。)
 中央のガラス張りの四角い箱がエントランスホールで、内部にランダムに配されたガラスシリンダーは、地階へのエレベーターや階段、資料室、サロン、ショップなどに使われている。金沢21世紀美術館が大きな円の中に四角いブースを散りばめたのに対して、ここでは形を逆転したプランになっている。ここから常設展示室と企画展示室に分かれる。
 常設展示室は柱のない巨大なワンルームで、外壁と同様のアルミ板の壁と梁間から自然光を取り入れる天井でつくられた長さ120mに及ぶ空間の中に、大小の彫刻や絵画が散在している。入口付近に大きな机のように配された展示案内板があって、まずそこに立ち寄ってから展示作品に向かって進んでいく。常設展示室は「時のギャラリー」と呼ばれており、壁の上部に紀元前3500年から19世紀中ごろまでの西暦目盛が付されていて、刻まれた年のラインにあわせてその年代の作品が置かれている。人類のアートの歴史がワンフロアにパースペクティブのように並べられている。ちなみに、ここに展示されている約200点の作品はルーブル美術館本館で陳列されてこなかったもので、五年間に渡り毎年少しづつ入れ替えていくことになっているらしい。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を最後に、広い「時のギャラリー」を通り抜けると、周囲の景色を見渡せる二重ガラス張りの四角いパビリオンがあり、その中に丸い壁で囲われた展示スペースがある。そこから「時のギャラリー」展示の脇を通って戻るようになっており、廊下は存在しない。
 ルーブル・ランスのプランを見ると、四角い箱がずれながら並んでいるだけで、そこから具体的な建築空間を想像するのは難しい。与えられたプログラムに対するソリューションとしての建築は、ボリュームを抑え、ミニマルな空間と展示作品だけを見せようとするもので、直感的な感性によって生み出されたように思われる。モダニズムは装飾から「空間」へ建築を切り替え、ポストモダンは装飾の復活を試みたが、モダンネクストは様式とか主義とか技術の対象としての建築ではなく、自分たちにとって「なにか面白い」こととしての建築に関心があるように感じられる。成熟化により全く方向性を失った社会経済状況を反映してかモダニズムのような空間生成理論は存在せず、自らの意思と直感を事前に検証できるデジタルミックスなテクニックがあれば良い。建築を含む社会全体がさまよいながら疼いているかのようだ。「なにか面白い」建築の行方は、いつか社会が規定する。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2013年10月12日・19日掲載

「金子茶房」を訪ねて


 柳澤孝彦氏から「諏訪大社の前に小さな喫茶店を設計した」という話を聞いて以来、どんな建築なのだろうと気になっていたが、訪ねる機会もないままに月日が過ぎていた。
 いつものように気ままにドライブに出かけたある日、ふとその時の言葉を思い出して、ほんの僅かしかなかったネット情報の記憶を頼りに、とにかく行ってみることにした。
 やってきたのは、諏訪大社上社本宮。参道の緩い坂道を上っていくと、上り詰めたところに、三角屋根の建物が視野に入ってきて、これに違いないとすぐに直感した。
 建物は大鳥居の前の角地に建っているので、鳥居の下に立って建物正面を見返す。2階は切妻屋根のガラスボックスのようなデザインで、妻面を通して背後の空が見透かせる。氏が以前に設計した窪田空穂記念館に通じるものを感じた。1階は道路に沿った輪郭で、縦格子の奥に小さな庭がある。壁面は木板張りで、オリーブグリーン色に塗装されている。氏特有の上品でモダンな佇まいであるが、街なみと違和感がないところが只者ではない。
 縦格子の一部を開いた入口の脇にメニューボードが置いてあり、ここが「金子茶房」という喫茶店であることが確認される。別に「日東光学」という表記もあり、企業の所有する建物でもあるらしいが、二つの名称の関係を理解できないまま、玄関のドアを開く。
 外見から木造の建築だと思っていたのだが、1階はコンクリート打放しになっている。店の人から、「2階のほうが景色が良いので、よろしかったらどうぞ」と案内され、2階に上がる。なるほど、確かにこの建物の最大の魅力がこのガラスボックスに凝縮されている。階段を上がると、まず目に飛び込んでくるのは、正面に見える八ヶ岳のパノラマ風景である。振り返ると本宮の大鳥居が目の前に見える。立地条件を最大限に活かしたデザインだと思う。2階は木造で、厚さを薄くした集成材の門型フレームを約60cmピッチに並べ、高さを変えて切妻屋根を支えている。照明器具としてデザインされた大きな楕円リングが空間を引き締めるように浮かんでいる。この建築はオーナー企業が自社の製品を展示するための施設としても位置づけられており、2階で会議もできるという構想であったらしい。
 ハーブティーをオーダーすると、“風邪を引きかけたときに飲むと良い”とか、“疲れているときに飲むと良い”といったユニークな説明を受ける。お好みのティーカップを選ぶこともできるので、テーブルが二つしかないゆとりの空間に身を置いて、優雅な気分で癒される時間を存分に楽しむことができる。日東光学の金子社長の思いは、ショールームを兼ねたエグゼクティブな接客交流スペースをつくりたかったのではないかと思った。
 腕の中に抱え込んでおきたくなる宝物のような小さな建築。それが私たちをひきつけるのは、人間の身体的なスケール感に近いということもあると思うが、隅々まで丁寧にこだわった設計者の“愛情”のような深い思いが伝わってくるせいなのだろうと思う。まだ若い設計者は大規模な建築の設計に憧れるが、経験豊かな建築家がゆとりの技として小さな建築に回帰し濃密な情熱を注ぐことができるケースもあるのだろう。いつもそうした設計をしてみたいと憧れているが、安易に時間やコストの制約のせいにしてしまいがちである。だがしかし、それが自分の努力不足に対する言い訳でしかないことを十分承知している。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2011年1月 日掲載

「ホキ美術館」を見て


 最初に目にしたのは、オープンを告知する新聞紙上の全面広告だった。そこには、これまでに見たこともないほどダイナミックにオーバーハングした衝撃的な造形のホキ美術館のデビュー写真が掲載されていた。世の美術館建築にはユニークな造形美を誇るものが多いが、そうした既知のイメージをはるかに凌ぐ鮮烈な印象で、目が釘付けになった。
 早速ネットで調べてみると、写実絵画を集めた保木コレクションを展示する美術館であること、房総半島の中心近くにあること、日建設計の山梨知彦氏のデザインであることなどがわかった。これまでに神保町シアターや東京木材会館など氏が設計した建築を案内していただいたことがある。建築基準法と真剣に向い合い、既成概念をくつがえす新たなデザインの可能性に挑戦する真摯な姿勢と斬新なアイディアに感銘を受けたものだった。
 オープンから約一ヵ月経ったある日、ずっと気になっていた美術館を訪れる機会がやってきた。東京から約一時間の距離にある外房線の土気(とけ)駅で電車を降り、タクシーに乗ると間もなく美術館前に到着する。新興住宅団地のすぐ脇に異形の建築が建っており、ロケーション的には違和感がある。美術館としては極めて利便性の低い立地条件であるにもかかわらず、あふれんばかりの人が来ていることに驚かされた。すぐに館内には入らず、外周を巡って熱心にカメラを構える人たちでいっぱいだ。あの約30mのオーバーハングは一体どうなっているのだろう?突き出したボックス形状の一部にガラスのスリットが入っているので、不思議感は強まる。外観を眺めながらじっくりその構造の秘密を解明したいという気持ちと館内に入ってみればわかるかもしれないという気持ちが交錯する。
 エントランスにはミュージアムショップがあって、いきなり人混みにぶつかる。展示室はゆるく湾曲した幅の狭い回廊状になっており、流れながら展示を見ていくには良いが、混雑時にはさすがに圧迫感がある。壁に掛かっている絵画は、女性の髪の毛一本一本までも精緻に描いた写真と見紛うほどのもので、誰にでもわかりやすいということもあって人気を呼んでいるのだろうと思う。展示絵画のサイズや展示構成に合わせたお誂えの空間デザインになっているということのようだ。天井にランダムに埋め込まれたLEDとハロゲンの照明も展示空間を印象づける要素になっている。回廊状の空間は上下階で少しづつずらしてあるため、思わぬところに階段やエレベーターや天窓があったりして、迷路のような雰囲気の内部空間になっている。構造の秘密は解明できるどころか更に深まっていく。
 その昔はアトリエ派と呼ばれる建築家たちの独壇場だった個性的なデザイン。それは独自の建築論や都市論に基づいた造形であったと思う。最近は組織設計事務所であっても、担当者の個性を精一杯表面に出したデザインを打ち出してくることがある。ホキ美術館にしてもそうした動向の上に位置づけられるものであろう。背景には、コンピューターによるデザインテクニックの進化があると考えられる。スケッチアップなどの誰でも比較的簡単に扱えるBIM(ビルディングインフォメーションモデル)ソフトウェアを駆使したデザインアプローチは益々広がりを見せていくだろうと思われる。私には、BIMに至ってようやく、現代建築はいわゆるモダニズムの呪縛から解き放たれたように思える。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2010年12月25日掲載

天然ガス生産施設見学会に参加して


 去る7月3日(木)、賛助会員である長野都市ガス㈱さんのご案内で、新潟県長岡市の施設を中心に天然ガス生産現場の見学会が行われました。建築の見学会ではないのにもかかわらず、また平日にもかかわらず、バスの中はお馴染みの熱心なメンバーで満席でした。
 私たちが長野市内で使っている都市ガスが天然ガスであって、それが新潟県から運ばれているというあたりまでは多くの人が知っている事実だと思いますが、そうは言っても漠然とした知識しかないという方がほとんどであろうと思います。
 今回見学した天然ガス生産施設は、昭和59年から稼動している帝国石油㈱の越路原プラントというところで、ここの地下に眠る南長岡ガス田は国内最大級の埋蔵量ということでした。地下4000~5000mの地層(緑色凝灰岩) に含まれている天然ガスを採取するために24時間休みなく掘っているという説明を聞き、その作業現場を見学したわけですが、田園の真ん中に見上げるような鉄のやぐらが屹立している姿は建築とはおよそ縁遠い風景でした。巨大な井戸掘り作業とか杭打ち作業と言えばなんとなくイメージしていただけるかもしれません。素人の浅はかさで、掘削というのは地球の中心に向かって一直線に掘っていくものだとばかり思い込んでいたのですが、実際にはコンピューターで管理しながら自在に曲げて掘っていくケースも多いのだそうで、驚かされました。いや~、本当に勉強になりました!
 さらに柏崎にあるパイプライン監視センターに移り、生産されたガスを消費される東京方面などに運ぶパイプラインについて説明を受けました。大地震の際にライフラインという言葉を耳にしたりしますが、これはその大動脈のようなものと言えます。なにもかもが電子化されて不可視のシステムに支配されている現代社会ですが、具体的な物質(ガスは目に見えませんが、、、)を生産現場から消費現場まで無事に送り届けるということのために誇りを持って日夜働いている方々に頭の下がる思いでした。
 原油が高騰し、環境汚染などが問題となっている今日の社会において天然ガスへの注目や需要は高まっているとのことでした。このように大がかりな施設で大量に生産されているパワフルな状景を目の前で見せつけられるとなんとなく気持ちが大きくなってしまいそうですが、それですら無限ではないということに思い至れば、むしろ環境を身近に感じるきっかけにもなったのではないかと思います。
 ちょっとユニークな企画でしたが、大変有意義な見学会であったと思います。

(社)長野県建築士事務所協会長野支部:「かすがい」2008年12月15日掲載

「THE TERRACE」を見て


 アトリエ派と呼ばれる建築家たちにとって、自らの“住まい”と“アトリエ”は通常の仕事とは一線を画す特別なマニフェストとして位置づけられるものであろう。作家としての力量やセンスを示すなら日々の仕事の中で充分実現することもできるが、自らの住まいやアトリエの場合、体得したありったけの知識とアイディアとイマジネーションを駆使して渾身の作としたいと想いは募る。だが多くの場合、現実はそうした理想には程遠い。
 横河健氏のアトリエは、建築家の夢を見事に実現したケースになっている。その名を「THE TERRACE」と言う。6層、850㎡のアトリエは創造の場にふさわしい。
 それまでの事務所は西麻布にあったのだそうであるが、自己アトリエ用に土地を探したところ、横浜市郊外の区画整理の最端部に残った不整形な傾斜地が眼にとまった。道路に面した部分は敷地の高い側のみで、低い側と側面は公園の散策路に面している。利用方法のないような土地であるが、建築家のデザインマインドを刺激するロケーションだったのであろう。高い側にアトリエのエントランスを、低い側にテラスを備えた天井の高いレストランを置いた。中間階にはインテリア用品のセレクトショップが挟み込まれている。
 アトリエのエントランスは道路から約30m奥まっている。コンクリートの壁と細い鉄柱に支えられたピロティのアプローチがわずかに膨らんだところを駐車スペースにしている。このアプローチの上に長さ30mにも及ぶ細長い設計室が浮いている。エントランスを入ると、左手に吹抜がありインテリアショップを見下ろせる。吹抜の脇に透けた階段があり、上に行くと設計室がある。更に上には横河氏のオフィスがあって、屋上テラス(手摺はない)越しに公園の木々を見下ろせる。階段を下に行くとショップ階に出る。更に下に行くとレストラン階に出て、裏の公園の散策路に通じている。実はレストランと公園の境界線には最近まで低い鉄柵があってそれを跨いでいたのだそうであるが、今は撤去されて手作業で枕木を並べたアプローチができている。ショップもレストランも横河氏の運営で、キハチ出身のシェフがいるレストランは昼時には行列ができるほどだそうである。
 地下階には驚いたことに工房がある。テーブルの天板にするような分厚い木板や椅子などの家具の試作品が積まれている。広くはないが、プロダクトデザインにも積極的に取り組んでいる氏が夢見ていたスペースなのだそうである。
 変形の傾斜地を利用した空間構成には、かなり刺激的な構造形式が採用されている。コンクリートと鉄骨をミックスした架構で、地震時の揺れは2枚のコンクリート壁とコアシャフトによって吸収されているようである。設計室は無垢の丸い鉄柱で支えられており、飛び跳ねたりすると結構揺れるのが感じられるが、公園に面した全長約45mの水平窓は圧巻である。その窓の上下の壁は梁形状になっており、道路側に6m以上の片持になっている。建築家のイマジネーションと構造家の知恵が見事に融合している。
 ここは単なる創造的な設計の場というレベルにとどまらず、モノづくりの境界線を拡大しようという熱意と発想が詰まっている。建築家の夢を余すところなく実現したものであった。どこを見ても「うらやましい!」という言葉しか出てこない。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2005年12月 日掲載

小山敬三美術館

『逸』の建築-その不可思議世界を探る


 「小山敬三美術館」は、悠々と流れる千曲川を見下ろす小諸懐古園内の丘の上に建っている。規模こそ小さいが、村野藤吾の作品系譜の中でも重要な建築の一つとして位置づけられる。その佇まいはあまりにも芸術的であるし、画伯の作品と相俟ってむしろ親しみやすい存在となっているので、「逸」の建築というイメージには結びつかないかもしれない。ここではそのフリーフォームについて考えてみたい。
 私たちは設計図を描くのに道具を使用する。かつてはT定規・三角定規・コンパスを使って製図板にかじりついていたが、いつのまにか昔話になってしまった。今ではパソコンのディスプレイの中で作業を行っている。しかしツールが変わっても製図の目的、作業プロセス、作図の基本は変わらない。このプロセスにいささかでも疑問を感じる人はいないと思われる。だが、自身の作業のスタートは、白紙の上に描いたフリーハンドのスケッチだったはずである。私たちが日常的に行っている設計(製図)作業というのは、そうしたフリーハンドラインを徐々に計算可能な幾何学的な線や図形に置き換えていくことに他ならない。
 しかし「小山敬三美術館」は、村野藤吾によるフリーハンドのスケッチや模型が、そのまま大きくなって原寸化したと言ってよいような建築である。設計が中途で終了してしまったわけではない。この建築のデザイン洗練は立体上で行われることによってのみ可能で、数値化や数式化を考慮してはいない。数ある村野作品の中でも、ここまで幾何学的手がかりのないフリーフォームであるものは少ない。さらに広く世界の建築界を見渡してみても、フリーハンドの有機的なイメージが幾何学の助けを借りないまま実作として完成したケースは決して多くない。
 私が村野、森建築事務所に在籍していたのは村野の最晩年期になるが、入所したての私たちがもくもくと取り組んだ作業は、油土による模型製作であった。油土は自由な造形を可能にする。私たちが作成した模型はくりかえし村野の手によって形を変えられ続けた。模型を測定することによって図面が描かれることすらあった。さらに言えば、現場での工事ですらデザインをチェックするステップとなっていた。
 パソコンで設計するのが当たり前の昨今、コストパフォーマンスを厳しく追及しなければならない昨今、フリーハンドやフリーフォームによる建築の価値を理解できる土壌は減じている。
 この美術館は秀作でもあり、「逸」作でもあると思う。秀でた部分は一目見れば理解できる。私たちは「逸」の部分に気がつかないでいる。

(社)日本建築士事務所協会連合会:「Argus-eye」2005年10月10日掲載

hhstyle.com/casaを見て


 東京、原宿、キャットストリート。妹島和世氏が5年前に設計したhhstyle.comという風変わりな名のインテリアコンセプトショップのすぐ脇に、系列のニューショップがオープンした。比較的小さなボリュームの鉄の塊が地面の上に置かれ、そっくり濃灰色に塗られている。その塊はイレギュラーな多面体シェルターになっているので、垂直水平な面もなければ屋根と壁の区別もない。妹島氏による全面ガラス張のフラッグシップショップとは対照的なデザインになっている。この異様な外観をみただけでは、この建物が一体何の建物であるのかを理解することはできないし、設計者が誰であるのかを言い当てるのも難しいかもしれない。答えを明かしてしまえば、安藤忠雄氏による設計なのだが、この建築はこれまでの氏のデザイン系譜とはまったく異なった造形となっている。コンクリート打放しでもガラスボックスでもない。コンクリート建築の旗手である氏がこれまでに鉄の建物をつくってこなかったかと振り返ってみるとそんなこともないのだが、型鋼ではなく全面的に鉄板を使用した建築は初めてであるかもしれない。この突然の豹変は一体どうしたことか? と思いつつ、小さなプラザに面したエントランスのドアを開く。
 ショップ内の雰囲気は、妹島氏による第1号ショップの軽快でカジュアルな印象とはまったく違ったシックな趣で、ちょっとたじろいでしまうほどである。それもそのはずで、こちらのショップはジョルジョアルマーニのデザインによるインテリア家具用品と、イタリアのボッフィーというメーカーのキッチンやバスルーム回り用品が並んだショールームになっている。どちらもかなりハイクラスの商品なので、大人の雰囲気が漂っている。まるで高級ファッションブランドショップのようで、ちょっと緊張しながら見て回る。
 ショップの内部は大きな吹抜空間になっている。階段を取り巻く吹抜の両側に5層構成のスキップフロアがあり、下層部がアルマーニカーザ、上層部がボッフィーに分けられている。単純にフロアを重ねてしまうと上層階には行きにくいものであるが、このように全体を一望に見渡せる吹抜にしておくと自然に上下階への人の動きを誘発する。階段を支える柱や梁がコンクリート打放しになっていて、辛うじてこれまでの安藤忠雄氏のテイストを感じさせるが、外壁側の傾斜した壁と天井は白く塗装されたデッキプレート(仕上材として使用している)になっている。開口部は少ないが不規則に設けられており、外の光とストリートの雑踏の風景が目に入ってくる。
 安藤氏はデビュー作以来今日まで、道を極めるかのようにコンクリート打放しのデザインを繰り返し、それを自身の定番スタイルにしてきた稀有の建築家である。自制した表現手段の中で、壁・吹抜・天窓・フレーム・シリンダー・列柱・ブリッジ・スロープ・テラス・回廊・ボックス・水面などのボキャブラリーを駆使して一人の建築家としては最多クラスの建築を生み出してきたが、最近の作品においては傾向が固定化しているように見えていたことも事実である。ここで氏の変貌を見て、ル・コルビジェがロンシャン礼拝堂で変貌したのを思い起こしたのだが、飛躍した連想だろうか?

㈱新建新聞社:「新建新聞」2005年7月 日掲載

富弘美術館を訪ねて


 社会が殺伐としているせいか人間の精神力が弱くなってしまったためかわからないが、癒し・励まし系のアートが共感を呼んでいる。「いわさきちひろ」や「あいだみつを」と並んで「星野富弘」の詩画も多くの人に愛されている。星野さんは体育教師をしていた頃に手足の自由を失ったが、口に絵筆をくわえて花を描き短い詩を添えた感動的な作品を産み出している。クリスチャンである星野さんの詩には現代社会の中で希薄になっている愛・感謝・思いやりなどの情感が散りばめられており、私たちの心と目を熱くしてくれる。
 富弘美術館は、星野さんの生れ故郷である群馬県東村の草木湖畔にある。ふるさと創生事業によって既存の福祉施設を改修し、村立美術館として1991年にオープンした。公立でありながら星野さんの詩画以外は展示しないというユニークな美術館は、これまでに約450万人の来館者を迎え入れ、小さな村にとって想像をこえた大きな存在と化した。
 そうした経過もあって建て替えが計画され、設計コンペが実施された。インターネットで応募するという形式で実施されたこともあって、世界各国からの応募数は1200点を超えた。最終的に選ばれたのは、ヨコミゾマコト氏であった。氏のアイディアは、石鹸の泡のようにランダムにつながる大小様々な円を寄せ集めたところに正方形のフレームを重ね、そこからはみ出した部分をカットするというグラフィックデザイン感覚のものであった。通常私たちは、周辺の環境条件・敷地特性・用途や機能の特質・企画の趣旨・クライアントの要望・コスト・維持管理などを入念に解析し、ゾーニングや動線やシークエンスなどを手がかりにエスキースを進めるという設計スタイルをとっている。しかし、氏のコンセプトは「非中心性・非全体性・相対性・非均質性」となっており、氏の視座が場所性ではなく時代性とテーマ性に注目したものであることは明らかである。氏の案は、 今日的な情況にふさわしい新しい美術館像を追及したフレキシブルなコンセプトモデルであって、富弘美術館に対する固有解を提案しているわけではない。それは依然として近代建築イデオロギーに呪縛されている建築界に対するアンチテーゼであり、新しいビルディングタイプの提案でもある。そうした意味において、コンペ応募案の中でも異彩を放っている。
 新しい美術館の外見は、四角い箱のような印象であるが、円の接する部分にできる偶発的な隙間がところどころに顔をのぞかせている。外壁の素材は、露出している断面ごとに異なっている。館内に入ると大きなサークル平面のロビーがあり、そこから展示室やショップにわかれるようになっている。一応の鑑賞順路は決められているが、自由に見ることもできる。曲面の展示は鑑賞の流れが途切れない利点もあるが、方向性を失ってとまどう。
 コンセプトのユニークさは理解するにしても、一方で建築が観念だけでできるものではないことも思わせられる。円は直径を変えても空間の特性がかわるわけではないので、均質でないにしても単調になる。場所性を加味すると建築としての魅力が増すと思う。
 それにしても、多い日には6000人もの人が訪れるというスーパー美術館にしては、これでもまだ規模が不足していると言わざるを得ないのではないかと思った。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2005年5月 日掲載

バルセロナパヴィリオンを見て


 マドリッドと並ぶスペインの大都市バルセロナは、建築に携わる者から見るとアントニオ・ガウディのイメージが強い。確かに、今もなおつくり続けられているサグラダファミリア教会(ガウディ没後に建設されている空間から生前のガウディが注ぎ込んだ信仰的な情念を感じとることは難しい)・モンセラットの奇怪な岩山にインスパイアされたと言われるカサミラ・骨のようなカサバトロ・モザイクタイルが印象的なグエル公園等々、世界の誰もが知っている建築が点在している。古い歴史を感じさせる都市ではあるが、その一方で最近は国外の建築家による現代的な建築も続々と建てられており、世界でも屈指の“建築都市”と言ってよい状況にある。日本の磯崎新が手がけた作品も見ることができる。
 そうした都市の片隅にひっそりと佇む小さな傑作建築がある。ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並ぶ近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエによって、1929年に開催されたバルセロナ万博の際に建てられたドイツ館。この建築は、ドイツ館であることを超越した「ミースのバルセロナパヴィリオン」でもある。私が建築を学び始めた頃、この近代建築のモニュメントは、無垢だった学生に強いショックを与えたものの一つである。1992年のバルセロナオリンピック会場にもなったモンジュイックの丘の麓に現存しているものは、実は1986年にオリジナルに忠実に再建されたものである。
 バルセロナ万博時には巨大な政府館(後に改修されてカタロニア美術館となっている)などが建設されているが、バルセロナパヴィリオンは大勢の観客を飲み込む器としての建築ではなく、オブジェのように建築そのものを見せることを目的としている。ドイツとしては、万博という機会を通して、ゲルマン人の誇りや国家の躍進を新しいスタイルの建築として表現し世界にアピールしたかったのだろうと思う。ミースの斬新で洗練されたスタイルは、そうした目論見にもっとも良く符号していたのだろう。水平な床に石壁とガラススクリーンが立ち上がりその上に板状の屋根が床と平行に置かれているだけで、明確な機能も用途もない。その当時の人々はこれを建築だとは思わなかったかもしれないと想像するが、このパヴィリオンはミースの“Less is more”という建築概念の純粋なマニフェストになっている。アメリカに渡ってからのミースは、鉄の軽快さを強調した“線”の建築(ファンスワース邸やシーグラムビル等)をたくさんつくっていくことになるが、バルセロナパヴィリオンは、世界遺産にもなっているチューゲンハット邸と同様に伸びやかな“壁”の建築となっている。トラヴァーチンの床、蛇紋岩とオニックスの壁、十字形断面のスチール柱、水面に立つ彫刻、浮かんでいるようなフラットな屋根・・・写真で見ていた水平と垂直の構成美を体感できた感動。一目見てノックアウトされてしまったあのバルセロナチェア(私には大きすぎる)は、このパヴィリオン用にデザインされたものである。
 私たちは、コンテンポラリーな建築を見て、細い柱や薄い壁や透明な空間に感嘆する。しかし改めてミースの建築に触れてみると、私たちはただミースやコルビジェの回りをぐるぐる回っているに過ぎないのかもしれないと思ってしまう。
 道路の向かいにある磯崎新によるカイシャフォーラムのエントランスゲートはモダ二ズムデザインで、ミースに敬意を表しているようにも見える。スペイン広場寄りの国際見本市会場の増改築は、プロポーザルによって伊東豊雄氏のデザインが選ばれている。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2005年4月 日掲載

shouse選評


 緩い傾斜面の上にコーナーを丸面にした「壁」が浮かんでいるかのような外観になっている。道路から木立越しに眺めると、ボリュームの割には控えめな印象である。
 この建築のもっとも顕著な特徴はプランに表れている。逆S字形に大胆にうねった二重壁がこの建築を構想する上で骨格の役目を果たしている。二重壁部分が特別に解析された木造であることも興味深いが、この帯状の骨格によって囲い込んだ部分を主空間に置き換えるという発想もユニークである。室内に入るとその意図と効果を確認することができる。うねった壁に囲まれたリビングルームや寝室に入ると木造架構であることをまったく感じさせないが、壁の奥に収納や水まわりなどが仕掛けられていることから二重壁の存在を感じとることができる。帯状の骨格のアイディアは汎用性のある手法かもしれないが、別荘のようなシンプルな空間構成においてはことさら見事な結果を生み出している。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集2005」2005年3月 日掲載

地中美術館を見て


 長野から直島までの旅は電車等を乗り継いで約8時間。新幹線岡山駅から瀬戸内海に出てフェリーで島に渡る。町営バスに乗ってようやく「ベネッセハウス」にたどりつく。
 ここは「直島コンテンポラリーアートミュージアム」として知られてきた。安藤忠雄氏によってミュージアムとアネックスが設計され、この度「地中美術館」が完成した。
 荷物を部屋に置いて新美術館まで歩く。姿は見えるがけっこう遠い。チケットセンターでチケット(2000円)を購入すると、「作品に触れない、写真やビデオを撮らない、係員の指示に従う」ことに署名を求められる。手荷物は指定の小さな巾着袋に入るものに限られる。そこから美術館入口までまたしばし坂道を登る。白いユニフォームの係員が待ち受けているが、彼らは全国各地から志願してきた学生ボランティアなのだそうである。
 直線のスロープを登りきるといきなりトンネルに入る。幾何学図形を複雑に組み合わせた平面は地中ということもあって迷路のように思える。空の見えるコート(中庭)に出ると辛うじて方向を確認できる。館内にはサインは一切設置されておらず、ボランティアが口頭で誘導したり説明したりするという案内システムになっている。
 この美術館は3人の芸術家のための常設展示スペースである。その芸術家とはクロード・モネ(絵画)、ジェームス・タレル(光)、ウォルター・デ・マリア(オブジェ)である。建築空間は芸術家とのコラボレーションによって展示にふさわしくつくられている。タレルによる「オープン・スカイ」は空を絵画のように切り取って見せており不思議な印象であった。ちなみに島内の本村地区にある「南寺」(安藤忠雄氏設計)で体験することができるやはりタレルによる「バックサイドオブザムーン」もミステリアスな作品であった。
 カフェは海を眺められる唯一の場所である。景色はなかなかよい。テラス化された塩田跡には出られるが、美術館の上に登ることは危険を伴うという理由で禁じられている。
 安藤氏の建築は無機質な素材やストイックな空間によって特徴を語られることが多い。しかし氏の建築の最大の特徴は空間構成におけるラビリンス(迷宮)性にあるように感じている。つまり用途や機能を超越した複雑で立体的な空間を体験すること自体を目的とした建築(=装置)ということである。超絶的な設計者の存在を意識しないでもないが、入館者は設計者の用意した空間を追体験しながら、仕掛けられたシーンを発見・鑑賞して楽しむように誘導される。地中美術館やベネッセハウスはそうした建築の典型と言ってよいと思う。安藤氏の建築は通念的な基準では相当な非合理建築であっても、空間体験装置としてのクォリティは相当高い。コンクリート打放し壁や静謐な空間を追設計することはできても、空間構成において追随を許されない理由はその唯空間性にあるのだろう。
 それはともかくなんと注文の多い美術館であることか。「○○してください」、「○○しないでください」といった一方的な注意の数々。それが芸術家によるものなのか、建築家によるものなのか、運営者によるものなのかは知らない。最近の美術館活動においては芸術と鑑賞者の距離を縮める工夫がされているが、ここでは建築や芸術の聖性・不可侵性が強調されている。そのためか美術館とは思えないものものしい雰囲気を感じさせる。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2004年9月 日掲載

オアシス21を見て


 それは砂漠のような都会におけるオアシスという意味でつけられた愛称なのだろう。名古屋市の中心に「オアシス21」と呼ばれる斬新なオープンスペースが出現した。
 名古屋市はあえて言うまでもなく、並外れて広い道路が格子状に通っていることで有名な都市である。その中心に位置する久屋大通りは道路の中心部分がセントラルパークと呼ばれる公園になっており、テレビ塔があったりしてシンボル的なゾーンになっている。青木淳氏設計のルイ・ヴィトン名古屋店の建つ“錦通久屋”の交差点に立つと、愛知芸術文化センターとNHK名古屋放送センタービルの手前に、空中に浮かぶ巨大な物体が見えてくる。この時点では、これはイベントのためのキャノピー?UFO?とでも思うしかない。その形態と言い、スケールと言い、十分すぎるほど衝撃的な存在である。
 近づくと、ビルの4~5階レベルかと思われる楕円形のキャノピーの上を歩いている人の姿が見える。キャノピーは透明な水盤になっていることがわかる。たった4本の支柱で支えられていることもわかる。徐々に様子はわかってくるが、この施設の内容を一言で言い表すのは難しい。案内サインを見ると、そこにある機能はバスターミナルと公園とイベントスペースと店舗と空中水盤になっている。公園は久屋大通りから愛知芸術文化センター側に向かって上昇する傾斜した板のようにつくられている。バスターミナルはその傾斜地盤の下に埋められており、店舗は地下レベルのイベントスペースに面しているため、地上の視線では公園と空中水盤しか見えない。水盤を浮かせたのか屋根に水を張ったのかはよくわからないが、大地に密着した公園という既成概念を払拭した立体的なオアシスになっている。設計・施工をしたのは大林組で、2002年秋にオープンした。
 最もインパクトのある空中水盤は、“水の宇宙船”と名付けられている。支柱頭部を直径1mほどの鋼管がうねるようにして繋いでおり、その上にガラスを敷き、浅く水を貯めている。上から水面を見おろしても下から水面を見上げても、水のゆらぎが癒しを感じさせてくれる。噴水が踊っている水面の周囲は人間が歩けるようにつくられている。他になにができるわけでもないが、これだけでも憩いのオアシスの役目を十分に果たしていると言えるだろう。ここに到達するにはエレベーターに乗るが、ベビーカーを押したファミリーの姿などを見ると微笑ましい。この高さから水平に見る都市のパノラマは新鮮だ。
 “水の宇宙船”の輪郭である楕円形は、ほぼそのままグラウンドレベルを繰り抜き、地下レベルの“銀河の広場”と名付けられたイベントプラザに投影されている。イベントスペースとしては、かなり広いのでやや間の抜けたような印象も受ける。
 “緑の大地”と名付けられた公園の下にバスターミナルがあるとは気づかない。都市の中心部に公共交通のターミナルがあるのは良いことである。交通ターミナルには大型商業ビル等が併設される場合が多いが、ここでは賑わいよりも憩いが選択された。環境の時代だとか癒しの時代だとか言っても維持管理のことを考えれば逡巡する場面もあったに違いないが、都市空間の有料化傾向が進む中で、こうした無料空間(フリースペース)が実現したことは現代の都市空間の居心地を考える上で大きな意義のあることだと思う。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年10月10日掲載

フォレスト益子を見て



 栃木県益子町は、言わずと知れた益子焼の町である。人口2万5千人程度の小さな町であるが、年間160万人の来訪者で賑わう。陶器店が並ぶ益子本通り城内坂付近は電線も自動販売機も見えないすがすがしい通りになっている。
 笠間市方面に向かう町はずれに、県立自然公園“益子の森”がある。約31haの広大な赤松林であるが、その入口付近に「フォレスト益子」がある。10室の宿泊室、レストラン、情報センターだけで構成されるこじんまりした平屋の宿泊施設で、旅の疲れを癒しながらくつろいだ時を過ごしたい人をターゲットにしている。設計者は内藤廣氏である。
 この施設は二つの棟がクレセント(半月)状に平行に並んだプランになっている。外側棟は宿泊室+レストラン、内側棟は情報センターで、棟間は益子焼作家による陶板を敷いた外部通路になっている。宿泊室の前にはガラス屋根のアーケードがある。床と宿泊室棟の壁は板張りで素朴な雰囲気を感じさせる。情報棟の鋼板屋根のカーブも印象的である。
 フロントでルームキーを受け取ると、「夜中でもキーを持って外出してもらってよい」とコメントされる。安価な料金と簡素なサービスに好感を持つ人も多いのだろうと思う。
 宿泊室の入口は、アーケードからアルコーブ状に奥まっている。小さな前室を経て部屋に踏み込む。床はGLとほぼ同じレベルなので使いやすいと思う。天井は斜めになっており、高い部分にはロフトがついている。収納階段をおろせば、ロフトに上がれる。子供のいるファミリーなどには楽しい空間になるのだろう。室内の天井と壁はLVLという合板になっていて透明感のある白いオイル塗装が施してあり、木造住宅の一室のような雰囲気が感じられる。都市部のマンション住人などには新鮮な印象なのかもしれない。
 レストランは宇都宮市内の有名なフランス料理店が入っているため、宿泊者だけでなく外来客もかなりあるらしい(予約必須)。ここの天井、壁も宿泊室と同じ仕上げである。外部に設けられたウッドデッキでもさわやかでおしゃれな食事ができる。
 情報センターにはトップサイドライトが設けられており、この部分には鉄のパイプの骨組が露出している。天井面は折版構造のような形状になっている。
 内藤氏の建築を見ていると“屋根の建築”という印象を強く受ける。多くの近代建築が“壁の建築”であるのと対照的である。壁は遮蔽のイメージと連鎖するが、屋根は庇護のイメージを内在させている。壁の建築は外から眺める形式であるが、屋根の建築は内に入って感じとる形式である。氏の建築の内部空間から感じる母性的な体温感覚は屋根のイメージに起因しているのだろう。上から覆うイメージのエスキースは、やがて断面図となり、垂直方向のディメンション(=高さ)の綿密なスタディに進むことになる。屋根のイメージからスタートするこうした設計プロセスを理解すれば、氏の空間に立った時に常に高さを意識させられることの必然がわかるのではないかと思う。氏の設計した建築は一見シンプルに見えるかもしれないが、スケールのみならずディテールやテクスチャー等も含めた密度の高いデザインによって裏付けられている。発想の新奇性のみに依存した稚拙な建築が持てはやされる社会のなかで、玄人の姿勢と技が息づいていることに胸をなでおろす。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年10月3日掲載

とんぼの湯+村民食堂を見て


 軽井沢の星野温泉にあるとんぼの湯+村民食堂を、設計者である東利恵さんの案内によって見学する機会を得た。星野温泉の広い敷地の中にはケンドリック・ケロッグ氏設計の石の教会(内村鑑三記念館)というファンタジックなチャペルがあり、数年前に改装されたホテルブレストンコートも東利恵さんの設計によるものとなっている。彼女は、私が学生時代に憧れていた東孝光氏のお嬢さんである(時の流れを感じてしまいます~)。
 とんぼの湯(とんぼがたくさんいる場所であったところから命名)と村民食堂が位置している国道146号脇の敷地はかつてグラウンドがあったという平坦な場所であるが、周囲は背の高い樹木に囲まれて、高原らしい雰囲気に包まれている。平屋のとんぼの湯と二階建の村民食堂は、サービス用の車路を背後に隠すように緩く傾斜してつくられた芝生の広場を挟んで、軸線を振って配置されている。とんぼの湯の軸線の見返し延長上には自然観察用の小さな小屋が置かれて、敷地の広がりを引き締めている。
■とんぼの湯
 とんぼの湯のデザインは、ほぼシンメトリーに構成されている。手前にある門型の受付棟を潜ると中庭のような板敷の広場があり、広場奥の池から板敷の広場の中心を流れる水路を挟んで男湯と女湯が対称形に建っている。設計者の説明によれば、この広場は街道筋の街なみをイメージソースにしているということであった。
 構造はコンクリートの壁の上に鉄骨の小屋組をのせているということであったが、外から見ると黒く塗られた欧州赤松の板壁や縦格子で包み込まれているので、木造のように思い込んでしまう。六寸勾配の切妻の屋根型は威圧感を与えないように、プランに合わせて細かく分割され、街道沿いの集落のような親しみやすいイメージになっている。
 内部は公衆浴場として求められる諸室から構成されているが、最近の傾向を反映して男湯よりも女湯の浴室(洗い場)のほうが広い面積になっている。浴槽の奥はこの建物の中で唯一の大開口になっており、水と緑のパノラマが壁画のように広がっている。浴槽の深さは男女の体型に合わせて慎重に決めたそうで、実際に湯に浸かった際のスケールは合点のいくものであった。別棟のサウナ室への渡り廊下から眺める露天風呂越しの池のデザインも立体感があってなかなかよい。全体にシンプルなデザインになっている。
■村民食堂
 とんぼの湯が背後の山に向けて開放されているのに対して、村民食堂は手前の道路に向けて開放されている。紡錘形に飛び出した平面は一見理解しがたい印象であったが、実際に室内に入ると全く違和感のない空間の広がりになっている。客席は三つのスペースに分けられている。カフェテリアの奥の客室から見るとんぼの湯の姿は屋根の重なりによる立体感があって感動する。二階にある板敷の個室は、ゴージャスデザインになっている。
 とんぼの湯+村民食堂を見ると、気負った感じがなく真面目な建築という印象を受ける。安易な物真似や奇を衒った建築が氾濫する時代にあって、流行に左右されない堅実な設計態度から産み出される良質な建築を見て、身も心も洗われたような気分になった。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年9月26日掲載

西田幾多郎記念哲学館を見て


 建築を設計している者が、デザインを進めていくプロセスで突き当たる壁はたくさんあるが、胸に秘めて悶々とするのはプログラムとして求められることと自分自身が追求するデザインスタイル(作風)をどう折り合わせていくかというところかもしれない。クライアントの意向や法律・コスト等の制約を弁明材料にして怠惰なデザインをしている者(私)にとって、自己のスタイルを追求して止まない建築家たちの仕事ぶりは爽快に見える。
 安藤忠雄氏のデザイン追及の軌跡は一直線に見える。住吉の長屋から今日に至るまで曲がった形跡はない。用途や規模がその都度ちがっても、コンクリートとガラスという限られた素材と幾何学的な造形を手がかりに、独自のスタイルを収斂させてきた。
氏の設計によって石川県宇ノ気町に昨年完成した西田幾多郎(にしだきたろう)記念哲学館に立ち寄る機会があった。近代日本哲学の先駆者はこの町の出身であった。
 小高い丘の頂に建つミュージアムは、二つのボリュームから構成されている。エントランスのあるミュージアム棟は地上2階建になっており、喫茶室・研修室・展望ラウンジのあるセミナー棟は地上5階建になっている。どちらもガラスで包まれている。館内のプログラムは、札幌市の渡辺淳一記念館や東大阪市の司馬遼太郎記念館とほぼ同じである。
 ミュージアム棟の外周はガラスだが、後退したところに入れ子状にコンクリート箱の展示室があって、アメリカのフォートワース現代美術館や神戸市の兵庫県立美術館のような空間構成になっている。1階は「哲学へのいざない」、2階は「西田幾多郎の世界」の展示となっている。部分的に地下室もあって、ここでは「西田幾多郎の書」が展示されている。空(くう)の庭と名付けられて、空に向ってのみ開放された思索のための中庭もある。
 セミナー棟は、喫茶室・研修室・展望ラウンジが階毎に割り当てられているのでフロア面積は小さく、エレベーターシャフトと階段脇の壁だけで支えられている。5階の展望ラウンジは、神戸市の4m×4mの家の最上階リビングルームと通じるものがあって、前後の景色を眺めることができる。地階には約300席の「哲学ホール」があるが、このホールの存在を外から窺い知ることはできない。南河内郡の近つ飛鳥博物館のような大階段の下に埋められているからである。ホールのインテリアは、司馬遼太郎記念館のような木質デザインになっている。ホワイエは、イタリアのベネトンファブリカやフランスのピノー美術館のようなすり鉢型の吹抜になっていて、瞑想的な雰囲気になっている。
 安藤氏は、この建築の設計にあたって哲学や西田幾多郎自体を表現しようとはしていない。氏はテーマや状況をあえて主役にしないことが多い。無機的で抽象的な自己スタイルの中にテーマを取り込んでしまう。したがって手がける建築に一貫した表現が蓄積されていく。結果的に安藤 建築はブランド化し広く国際的に認められるに至ったが、最近は見慣れたボキャブラリーが頻繁に登場する。表現者にとって反復はアイデンティティの生成及び評価のための重要なテクニックであるかもしれないが、最近の安藤建築においてはやや食傷気味であることも否めない。量産体制下の安藤氏が相変わらずテンションの高い創作意欲を保持していることには感服するが、今は一体何と闘っているのだろう?

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年9月19日掲載

六本木ヒルズを訪ねて


 去る4月25日にグランドオープンしている六本木ヒルズに出かけてみた。地下鉄日比谷線六本木駅を降りると、メトロハットと名づけられたメインゲートが待ち受けている。歩車分離されており、来訪者は2階レベルの66プラザまで直行することになる。
66プラザは地上53階建の森タワーの足元に当たる。真下から見上げるとやはり高い。屋上の東京スカイデッキは海抜270mだという。アメリカのコーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイツによってデザインされたタワーは基準階床面積5000㎡超ながら、外壁の膨らみとくびれによってスリムに見えるように工夫されている。緑や水を使ったうるおいのある66プラザには“六本木ヒルズ詣で”の人が行き交っている。
 高いところが好きな人は、53階の東京シティビュー(海抜250mの高さから360度の眺望を誇る展望台)に上ってみよう。そのためには、円錐台形の屋根に鎧状のガラスを巻いたミュージアムコーンと呼ばれているエントランスから、ブリッジを渡って森タワー内に入り、そこから高速エレベーターに乗る。この日は曇天で遠くの景色を見ることはできなかったが、都心部分を俯瞰できる。泉ガーデンタワー、アークヒルズ、元麻布ヒルズ、セルリアンタワーなどの超高層ビルが林立している。青山墓地や神宮外苑などの広大な緑地も足元に見える。真上から見下した槙文彦氏設計のテレビ朝日社屋は美しい。
 併設されたギャラリーでは、オープニング展覧会として「世界都市展―世界は空へ」が開催されている。六本木の歴史や開発の経過などの説明展示もあるが、世界の8都市の模型が展示されているコーナーは圧巻だ。ロンドン、パリ、フランクフルト、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク、上海、東京における今日の都市開発の様子を、鳥のように上空から眺めて見ることができるようになっている。精密な都市模型に度肝を抜かれる。ニューヨークのWTC跡地再開発コンペ案の写真展示もある。必見の展覧会ではある。森ビルのオーナーはこの模型を眺めて東京の再開発戦略について模索しているという。
 タワーを下ると、ウェストウォーク・ヒルサイドと呼ばれているゾーンに出る。ここはカレッタ汐留等と同じくジャン・ジャーディ設計のショッピングアーケードになっている。そのまま六本木ヒルズアリーナの脇を通り抜けて、テレビ朝日社屋の巨大なアトリウムに入る。全面ガラスの向こうに借景のように広がる毛利庭園のパノラマが素晴しい。
 六本木ヒルズは、貸ビル業からディベロッパーに転じた森ビルによる最大規模の再開発である。六本木六丁目の大半域を一挙に“改造”してしまった。東京都が1986年にこの地区を「再開発誘導地区」に指定した時から住民を含めた街づくりが活発化した。それから17年後、11.6haのエリアに758,000㎡超の床面積が建設され、2003年問題(膨大な新オフィスフロアの誕生によって、既存オフィスが空室化する)と騒がれた。日本の都市史上類まれな事例となった。確かに新名所には違いない。だが、東京で言う“文化”とはトレンドのことであり、地方都市で言うそれとは内容が一致しない。マネーさえあれば楽しい東京のファッショナブルな“文化”ではあるが、詰まるところグッドデザインとブランドに依存するしかないと考えると、華やかさの影に寂しさが見える。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年7月18日掲載

プラダブティック青山店を見て


 東京原宿の表参道はあたかも建築博覧会の様相を呈している。JR原宿駅から歩き出すとけやき並木越しにCDI青山スタジオ設計のV28が目に入り、明治通りを渡ると安藤忠雄氏設計の青山アパート(同潤会アパートを解体中)、その向かいに妹島和世氏設計の表参道ディオールビルディング(今秋完成)、その並びに黒川紀章氏設計の看護団体ビル(建設中)、青木淳氏設計のルイ・ヴィトン表参道ビル、伊東豊雄氏設計のトッズ表参道(間もなく着工)、丹下健三氏設計のハナエ・モリビル、青山アパートの並びには隈研吾氏設計のワン表参道(今秋完成)がずらりと並んでいる。青山通りを渡りコム・デ・ギャルソンを過ぎると、スイスの建築家グループであるヘルツォーグ&ド・ムーロン設計のプラダブティック青山店が見えてくる。この先には安藤忠雄氏設計のコレッツィオーネもある。
 プラダブティックは、この沿道で最もエキサイティングな存在だ。街角の広場に地面から隆起したように屹立するガラスの塊。屋根も屋上もないシンボリックな物体の表層は、ガラスをはめ込まれた菱形のグリッドで一面に包まれている。その超建築的な姿に誰もが興奮するだろう。6月7日のオープンから一週間しか経過していないということもあってか、ブティック前の広場や道路には上を見上げて立ち尽くす人の姿が絶えない。ランダムに使い分けられたフラット面・凹面・凸面の菱形のガラスパネルを通して、ブティック内部の様子や人の動きが都市空間に陳列されている。ガラス越しに床を見ることはできるが柱らしきものは見えないので、グリッド自体が構造体になっているのだと直感する。
 店舗内は白一色の世界になっている。黒を基調にしたミニマルなプラダデザインとの対比を念頭に置いているのかもしれない。商品以外は全て建築家によってデザインされている。ディスプレイデザインに対するこだわりも楽しいが、店舗スペースを貫通するようにつくられた菱形断面のチューブがユニークだ。空間構築上の論理というよりも空間に変化をもたらすことを目的にしているようで、中はフィッティングルームなどになっている。
 ヘルツォーグ&ド・ムーロンはロンドンのテート・モダン(美術館)のコンペで勝利したことによって広く知られるようになったが、彼らは一貫して建築の表層デザインに並々ならぬ関心を示してきた。外壁の回りにルーバーのように銅帯を巻いたバーゼルのシグナル・ボックス、ガラスに木の葉模様をプリントしたリコラ社のフランス工場、蛇篭の中に石を詰めて外壁にしたナパ・ヴァレーのドミナス・ワイナリー等は変幻自在な表現で強い衝撃を与えてきた。素材に刷り込まれた因襲的な物質認識を転化させるという手法によって、建築のスタイルを変容させることに挑戦してきた。同じところに留まろうとしない彼らは、プラダブティックにおいて表層デザインと構造の一体化を追及している。2008年の北京オリンピックのナショナルスタジアムは竹篭のように不規則に絡み合うメッシュのような構造になると言う。表層とエンジニアリングという新しいテーマの下で、彼らがどこまで進化するのか、進化の先に何があるのか、ますます目を離せなくなるだろう。
 青山店を総括したプラダ自身によるオリジナル本(12,000円)とカットソーを入手して外へ出る。振り向くと、薄暮の中で巨大な発光物体と化したオブジェがあった。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年7月4日掲載

「ちひろ美術館‐東京」を見て


 東京都区内といっても、郊外の私鉄沿線にはのどかな風景が残っている。かつては川だったという千川通りを渡っていくと、住宅街の中に「ちひろ美術館‐東京」が建っている。混雑してはいないが、訪れる人は絶えることがない。美術館は小さくても、いわさきちひろの人気は根強い。幼い子を描いたみずみずしいタッチの絵はいわゆる癒しそのもので、私も大ファンの一人である。新青梅街道脇のこの地にはかつて画家の自邸があり、没後は美術館となって親しまれていた。このたび内藤廣氏によって全面的に改築された。
 以前からあったという大きなけやきが眼に映る。新青梅街道に向けてやや大きな壁面があるものの、全体に控えめな建築になっている。分棟であった旧美術館の配置イメージをアレンジしたという新美術館だが、複雑な敷地形状に加えて厳しい法的な規制もあったと推測され、プランニングにあたってそうとう苦心したに違いないことが想像される。
 通りから見た外観は1階と渡り廊下部分はガラス、2階以上が褐色の金属板縦はぜ張りになっている。こうすることによって展示空間を確保しながら、館内にいる人の動きを外からわかるようにして、公共性を求められる美術館に開放的な雰囲気をつくっている。
 手を伸ばせば簡単にとどいてしまうほど低い天井のエントランスキャノピーを通る。広くはないが、ちひろの童画の世界のような暖かく可愛らしいスケール感のホールが出迎えてくれる。このホールはカフェも兼ねていて、庭に面して置かれたテーブルと椅子がおしゃれな印象を与える。その向こうに階段やエレベーターや便所がある小さなホールがあり、そこから枝分かれするように展示室に進む。右奥に進むとちひろの展示室がある。小さな展示室は街中の画廊ほどであるが、天井は低く照明はウォールを照らすのみで、落ち着いて鑑賞できる空間になっている。ホールに戻って左に進むと、かつてのちひろのアトリエを再現したコーナーがあり、遺品なども見られるようになっている。さらに奥へ進むとコンサート等のイベントのために用意された天井の高いホールがある。音楽にもあこがれていたちひろがそこに立っているように思わされる。2階に上がると、ちひろ展示室の上が企画展示室になっていて、アトリエ展示室の上が図書室とこどものへやになっている。
 展示室間を移動するときには短い渡り廊下のような通路を通るのだが、分棟になっているので入り組んだ建築の姿や小さな庭を見ながら移動する。さりげなく置かれた中村好文氏デザインのベンチに長い時間座ってぼんやりする人の姿なども見ることができる。
 内藤氏の建築はいつも決してアヴァンギャルドなスタイルではない。デザインはどちらかと言えばおとなしいのだが、隅々まで作者の暖かい人間性が滲み出しているように感じられるところが大きな魅力になっていて親しみやすい。理論的に空間を構成するというよりは感性に導かれた手法によって、スケールや材料のテクスチャーを綿密に検討チェックしているのであろうと思う。ひらめきのような瞬間からデザインが動き出すのではなく、じっくりと時間をかけてエスキースを重ねてつくりあげてきた熟成を感じさせる。氏の設計した建築に接すると、日頃私たちが失念している「だれのために何のために建築をつくっていくのか」という基本的で普遍的なテーマを思い起させてくれる。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2003年 月 日掲載

横浜港大さん橋国際客船ターミナルを見て



 JR桜木町駅を出て汽車道を歩く。これは海上にかかった鉄橋で、かつてはその名の通り鉄道が通っていた。古いレールを埋め込むようにして板張りの路面が整備されている。みなとみらい21地区は単なる新都市ではなく、横浜の歴史をスパイスにしている。彼方に位置する赤レンガ倉庫にビスタを通すため、途中に立ちふさがっているホテルの足元はゲート形状にくりぬかれている。横浜の都市デザインの巧みな演出に脱帽する。
 赤レンガ倉庫は明治時代に大蔵省臨時建築部長であった妻木頼黄の設計になる堅牢な倉庫で、新居千秋氏の手でリニューアルされ生き返った。二棟あってイベントのできる広大なプラザが広がっている。外観は極力維持されているが、内部は大胆に改造されて飲食店・物販店等になっている。こちらも歴史や記憶を活かした都市づくりの好例と言える。
 赤レンガ倉庫のさらに向こうに、海に突き出した横浜港大さん橋国際客船ターミナルが垣間見える。倉庫脇の海辺に立って眺めると、全長450mのターミナルの全貌がわかる。そこからペデストリアンデッキを歩き、山下公園の手前で向きを変えるとターミナルの前に出る。前と言ってもいわゆる正面外観はなく、全体がスロープのように見える。正確に言うと、中央にタクシー等の交通広場とターミナルとしての主玄関があって、その両外側に人間用のスロープがある。とりあえずスロープを登っていく。床面は大きくうねっており、全面的に板張りである。だらだらと登っていくと屋上デッキに出る。ここは24時間開放されている。海に面して送迎用デッキが水平に伸びているが、全幅70mの中央部は大きく盛り上がっていて部分的に芝面がある。ターミナルの突先部分で内装工事中のホールがあるが、そこに入るには屋上デッキを通過していくことになるのだと思われる。
 このターミナルは国際コンペでスペインの若い建築家であるアレッサンドロ・ポロ氏とファーシド・ムサビ氏の案が最優秀となって実現したものである。コンペ時のイメージ図には柱や壁が見られず、床面や天井面がうねりながらつながっているという有機的な物体だったと記憶している。こうした巨大な建築をデザインするにあたっては架構処理や施工が話題となりがちで、ここでも巨大な出入国ロビーを覆う構造の解決には紆余曲折があったらしい。そうした観点からみると完成したものとオリジナルイメージとの間にどれほどの距離があるのかよくわからない。だが、建築空間をつくるというよりは人の動きを形にするとかランドスケープを作るといった発想が建築家の目指したものであったとするならば、コンペ提案のオリジナリティは保持されてきたと言ってもよいのではないかと思う。
 現代建築には美学的側面よりも状況対応的側面が強くあらわれている。近代建築は前世代の様式建築から装飾を剥ぎ取り機能合理性の実現を提唱したが、美学上の規範は古典に依存した。それゆえ近代建築は芸術作品的性格を強化されたが、単体としての完成度を追求すればするほど社会情勢や環境の変化に対して硬直度を高めた。現代建築は美学自体を否定しようとする。激しく変化する社会環境を認識した時、建築は静止した作品であるよりも状況を解決・改善し得る装置に変容していかざるを得ないのだろうと思う。美しい建築をつくるのも建築家なら、状況を正確に分析し妥当な提案をしていくのも建築家である。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2002年9月27日掲載

群馬県立館林美術館を見て


 群馬県には磯崎新氏の設計になる県立近代美術館が高崎市にある。二館目の県立美術館が、白鳥が飛来することで知られる多々良沼のある館林市の郊外に完成した。
 設計者である第一工房の高橋靗一氏は、建設候補地をいくつか見た上でこの場所に決定したという。多々良川沿いの広大な土地は平坦で、周囲には青い麦畑が広がっている。
 美術館は幹線道路からかなり引きこまれた位置にあり、サンクチュアリのような趣がある。アプローチの車路に沿ったパーキング部分からすでに丁寧な修景が始まっており、ただものではないことを予感させる。パーキングを過ぎて修景池のところまで進むと、美術館の全体像が突然パノラマのように視野に入ってきて絶句する。家族連れがくつろぐ青々した芝生広場の向うに低く美術館が伸びているが、その近景に変化のあるシンボリックな形態が独立したように配置されており、美術館自体がアートのように見える。敷地一帯がイギリスか北海道を想起させるほどのびやかでシンプルなランドスケープで、絵のようなシーンに強い感動を覚える。あくせくした日々の喧騒を完全に忘れさせてくれる。
 レストラン棟の石張りの曲面壁と段状のカスケード水面に沿って、ゆるくカーブした徒歩のアプローチが設けられている。最奥部にはガラスのエントランスホールと中庭が見える。実にすがすがしい誘導で、早く入館したい気持ちとゆっくりアプローチを楽しんでいたい気持ちが交錯してもどかしい。アヴァンギャルドなエンジニアリングに傾注する志向の強い現代建築の潮流の中では、こうしたストレートなモダニズム手法は疎まれてしまうのかもしれないが、力みを感じさせない洗練されたセンスは経験を積み重ねてきた者だけに許される成熟した境地なのだと思う。久々に新鮮さを覚える出会いに興奮している。
 入館する前にカスケードを横切ってレストランに吸いこまれてしまった。石壁の背面は奥行きの浅い透明感のあるレストランとショップになっており、全面ガラスの外には室内床と同一レベルの水面がある。芝生の先にある茶色のタイルを張った曲面壁を望みながら、気取ってお茶を飲めるようになっている。美術館に来る目的の一つにはおしゃれな空間と時間を楽しみたいということがあるはずで、このスペースも充分その期待に応えている。
 フラナガンの跳ねるうさぎの彫刻を眺めながらエントランスに入ると、広いホールからカスケードを見返すことができる。反対側には中庭がある。外からアートのように見えていた展示室へ向かう。豊富な外光の中で、彫刻作品と芝生広場を見ることができる。
 企画展示室では「ニルス・ウド展」を開催していた。ニルス・ウドは自然の中で自然の素材を使ったインスタレーションを製作しているドイツの現代アーティストで、写真に撮って発表している。この美術館のシンプルで爽やかな空間にマッチしていると感じた。
 ガラス越しに芝生面を眺めながら、カーブしたギャラリーを通過して、外に出てアネックスに入る。こちらも新築だが、ヨーロッパのどこかから移築したようなアンチックな雰囲気の建築で、石壁の中は彫刻家のアトリエとワークショップ空間になっている。
 美術館自体を眺めてのんびり時を過ごせるなんて、、、。鮮度ばかりを追求した建築にはない、玄人好みの熟度をまざまざと見せつけてくれた。再訪を期して美術館をあとにした。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2002年9月13日掲載

兵庫県立美術館を見て


 これが本当にあの大震災のあった都市なのか!驚異的な早さで神戸は復興した。
 神戸港に面する神戸東部新都心(HAT神戸)の一角に、兵庫県立美術館「芸術の館」が完成した。東京都現代美術館に継いで、西日本最大の床面積(約27,500㎡)を誇る美術館で、設計は安藤忠雄氏。プロポーザルにおいて安藤氏は、コンクリート打放しの箱を内包したガラスの箱を海に向けて基壇上に三棟並べた建築を提案した。同じ時期に勝ちとったアメリカのフォートワース現代美術館のコンペもほぼ同じアイディアであった。
 確かに巨大な美術館である。仰々しいエントランスがないのは安藤氏の建築の常套手法になっているが、この美術館でも1階を貫通する通路からアクセス可能なプランになっている。海沿いには同じく安藤氏の設計になる神戸市水際広場からつながるハーバーウォークという遊歩道があるが、そこと2階レベルのテラスがサントリーミュージアムや近つ飛鳥博物館等でも見られた大階段によって結ばれている。基壇上には、大きくオーバーハングしたキャノピーをのせたガラス張りのギャラリー棟と二つの展示棟が海に向かって平行に並んでいる。海側から見たダイナミックな外観がこの建築の特徴になっている。
 展示棟間には「風の道」、展示棟・ギャラリー棟間には「山のデッキ(屋外展示スペース)」がある。山のデッキは横と縦の動きが交差する軸で、大勢の人が往来している。海に向かう大キャノピーの下は「緑のテラス」と呼ばれている。テラスに面したレストランはおしゃれな雰囲気が漂う。基壇の外装は割肌石であるが、この壁面はかなり威圧感がある。模型を拡大したかのような印象で、スケールもテクスチャーもヒューマンな感じではない。
 エントランスホールは大空間である。だが、壁面に埋めこまれたチケットカウンターはあまりにも小さく、長蛇の列ができている。全ての来館者が前売チケット等を持参するわけでもあるまい。女性スタッフがチケット購入をスムーズにするために、順番を待つ人に常設展鑑賞か企画展鑑賞かの区別を尋ねまわっているような光景には興醒めしてしまう。
 エントランスホールから展示室に至るには、コンクリートの箱の中に仕掛けられたエッシャーの絵のような階段があるホール(2ヶ所ある)を通過するとよい。1階と2階が常設展で、3階が企画展になっているが、慣れないとちょっとわかりにくいかもしれない。エレベーターが物陰のようなところに設置されているのも安藤氏の手法の一つだが、いつもその窮屈感には閉口する。企画展は「美術館の夢」で、日本における美術館の歴史をたどる内容になっている。松方・大原・山村コレクションに混じって高橋由一による幻の美術館プロジェクト等の展示もあって楽しいが、表層的でどこか物足りなさが残る。今後この巨大な器をどう運営していくのか、他人事ながら気になったりする。展示室の空間は標準スタイルで、それをつなぐ空間にデザインのウェイトが置かれている。企画展の動線が展示棟から外のデッキに出て、ギャラリー棟に渡るようになっていたりするのもそうした発想の一環であるのかもしれない。コンクリートの箱を囲むガラスの空間は回廊のようだが、果たして安藤氏が意図した通りの空間になっているのだろうか。もっと言えば、完成した実在の美術館と安藤氏のオリジナルイメージとの距離はどのくらいあるのだろうか。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2002年5月17日掲載

司馬遼太郎記念館を見て


 国民的な作家の司馬遼太郎氏が72歳で逝って5年余。今秋オープンした故人の記念館は東大阪市の庶民的な雰囲気の住宅地である八戸ノ里という所にある。完成した記念館は司馬旧宅に隣接して建てられている。安藤忠雄氏による建築は四分の一ドーナツリングのプランで、コンクリート造の外側をガラスの被膜で被ったような外観になっている。
 やはり訪れる人は多い。この作家の人気を再認識する。私も学生時代に「竜馬がゆく」を手始めに「国盗り物語」他の長篇小説をかなり読んだ。歴史が好きだったということもあるが、学校で習う年表のような味気ない歴史と違って、綿密な調査に裏付けられた生き生きとした人間ドラマに魅了され、読書の苦手だった私も司馬作品の大ファンになった。
 司馬氏が自身の著作のために収集した様々な資料文献は4万冊ほどあるらしい。氏が愛用していた本は動かさないようにしてあるが、一部を移動して新しい記念館ができた。
 居宅の門が記念館のエントランスである。正面に居宅の玄関を見ながら、左の庭の方に進むと氏の書斎がのぞきこめるようになっている。写真などでよく見る部屋である。
 その奥に安藤氏の設計になるコンクリート打放しの記念館がある。リング端部の立面は大きなコンクリートのフレームにガラスが嵌められているが、ここでは珍しく内側にステンドグラスが入れられている。その脇に弓状の外壁面に沿ったガラス回廊があるので進むと、庭の雑木を見ながら誘導されていく。最奥が記念館のエントランスとなっている。
 エントランスホールに入ると、上下に広がる大空間が目に飛び込んでくる。正面のステンドグラスから柔らかい光が注ぎこむ空間は地下1階から地上2階までの3層吹抜。高さ11mもある左右の湾曲した壁面は床から天井まで全面書架になっており、2万冊の本が収められているという。住宅街にこじんまり納まった小規模な記念館といった外観の印象からは想像しがたいが、この迫力の大書架空間は作家の書庫のイメージで、この記念館の中心的な空間であり目的でもある。上部棚はギャラリーやブリッジで本にたどりつく。かつてピラネージが描いた牢獄の空間を連想させる。一般的に文学資料館と言えば、年代記や関連資料などを陳列して見せるケースが多いが、安藤氏はここで膨大な書庫のイメージを見せることによって司馬氏の創作のソースを視覚的に表現したかったに違いない。安藤氏の建築の魅力はモダニズム建築の合理主義を超えた強い空間表現にある。そういった観点から、せんだいメディアテークのようなコンセプチュアルな建築と対極をなしている。
 階段を降りて地下のフロアに着くと書架を見上げる人たちの群がある。一部に肉筆原稿や遺品である万年筆、眼鏡、バンダナなどを展示したコーナーもあって楽しめる。
 記念館としてのもう一つの柱は映像ホールである。約150席と小規模であるが、故人の映像を編集したものを見ることができる。ここは木の空間。細いリブ状の木で被われた壁面は好評のようだ。今回の安藤氏は木の暖かい雰囲気を強調しているように感じる。
 ここに来れば単純に司馬遼太郎の偉大な業績や人間性を勉強できるといった教育的な記念館ではない。しかし、この屹立する書架の谷間に立つと無言の司馬遼太郎に出会えたような気がしてくる。そんな雰囲気の記念館であった。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2002年1月11日掲載

平等院鳳翔館を見て


 国宝でもあり世界遺産でもある平等院鳳凰堂がある宇治市は京都駅からそれほど遠い距離ではない。しかし交通の便はあまり良いとは言えない。若林廣幸氏設計の京阪宇治駅に到着し、源氏物語に「夢の浮舟」と描かれた宇治橋を渡る時、宇治川ののどかな風景に感動する。ここから狭い参道を通り抜けて平等院に向かう。宇治茶を扱う店が並んでいる。
 平等院は修学旅行の時に訪ねて以来かもしれない。アメリカ同時多発テロ事件以来急増している京都への修学旅行学生を見ているとなんだか昔日のことが思い出されてくる。
 シンメトリーの鳳凰堂を正面から撮影した左右に広がりのあるパノラマ写真の印象が強いが、手前の阿宇池脇に立つと思いのほか可愛らしい。私も正面の写真を撮りたいと思い、池の周りを巡っていくとどの角度から見ても美しく見える。紅葉も良い時期であった。
 鳳翔館は今年3月にオープンした宝物館で、鳳凰堂の棟にのっている鳳凰一対や堂内壁面に掲げられた雲中供養菩薩像などを展示するための施設である。プロポーザルで栗生明氏の提案が採用されたのであるが、鳳凰堂のすぐ脇に伝統的意匠を全く感じさせないモダンデザインの建築が建っている。その対比的な感じを是非見てみたいと思っていた。
 鳳翔館のエントランスは阿宇池を回りこんだ鳳凰堂の左翼先にある。しかしそこがエントランスであることはサインがなければまず気付かないだろう。庭園の植栽を割ってトンネルに入るようにひそやかにアプローチがつくられている。建築の姿はない。
 足元だけを間接照明で照らされたかなり暗いアプローチは恐らく仏の世界への入り口のようにデザインされているのだろう。上から光の差しこむ吹抜部にきたところで右の展示室に入る。全館が明るさをかなり押えた暗い闇のような空間になっている。すぐに映像展示室があり鳳凰堂の紹介をしているが、映し出されるCG画像がなかなか精緻で美しい。
 企画展示室には鳳凰像他の彫刻がガラスケースに入って並べられている。雲中の間に入ると木彫の供養菩薩像の壁面展示もあって目をひく。それから階段を登っていくとようやく光に満ちたガラス張りのミュージアムショップに出てくる。展示室は全て地下であったということが理解される。ショップの外はちょっとしたプラザのようになっていて脇にステージのようなレストスペースがある。軒と柱のラインでフレームをつくって苔庭の紅葉を印象的に見せている。ここは出口専用なので、南門広場に到着した人はいきなりこの建築の姿を目にするが、周囲をぐるりと回って先ほどのエントランスまで行くことになる。
 敷地のレベル差をうまく利用して建築の実在感は希薄にされている。地上に出ている部分はほぼ平屋にしか見えない。外壁はガラスで威圧的なボリュームは感じられない。プラザ回りの半戸外の空間も透明感があり、その屋根庇もリブを縦にして並べたようなデザインで軽快な感じを出している。栗生氏のデザインは早稲田大学時代から群を抜いていたと記憶しているが、槙文彦氏のスタッフ時代を経て大胆な空間構成と洗練されたデザインを展開している。槇氏や谷口吉生氏などと共通するデザイン傾向にあり、洗練された大人しいデザインは必ずしも設計者の個性表現にはなりにくいが、立地をわきまえて程よく抑制された上品なモダニズムは見事に伝統環境にマッチするということも感じた。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2001年12月28日掲載

せんだいメディアテークを見て


 せんだいメディアテークのコンペは熱い注目を浴びた。メディアテークという聞き慣れない言葉に込められた新しい建築概念を正確に表現するのは難しいが、あえて言うとすれば多様化するメディアを通して情報を利用したり楽しんだりできる現代版図書館というほどの意味であろうか。それは既往の建築タイプに納まらない新しい発想であるため曖昧模糊としており、コンペは魅力にも困難にも思えるものであったと記憶している。
 最終的に主催者である仙台市が期待していた新しいイメージに応えたのが伊東豊雄氏の案ということであった。氏の案は求められた概念設定に対して魅力的に回答するものであったが、それをこえてその言葉から想起される新しいコンセプトのイメージ化つまりプロトタイプとなり得るものでもあった。そこにはいわゆる建築家好みの空間はなく、情報活動にとって必要と考えられる場がつくられているだけであった。それは日々更新されつつあるメディア環境の変化にフレキシブルに対応できるという意味において正解であり、去る2月に開催されたJIA長野県クラブ主催の文化講演会で伊東氏の講演を総括する際に私が「建築というより情況をつくるための装置に見える」と述べた時に伊東氏から「最高の賛辞です」と言っていただいた根拠になっていたところである。またビジュアルイメージとしての斬新さを強烈に印象づけているのは、場としての床を支えるための揺れ動く海草のような柱「的」なイメージである。それは荷重を支えるための堅牢なスケルトンという常識を完璧に打破しており、柔らかく支えて力の存在のイメージを消去しているということにおいてかつてないアイディアだった。私たちが建築をいかに固定的に考えていることか。汎用性があるかどうかはともかくとして、ル・コルビュジェのドミノシステムに変わる現代版ドミノシステムとも評された。当然のように建設の過程は注目の的であった。また完成後の公共施設運営においても大胆にオープンな方式を取り入れている。
 この建築に対面する機会は秋になってやってきた。
 大きなけやき並木で有名な定禅寺通りに面して建つファサードは全面ガラスでサッシュレス。想像以上に巨大である。ガラス越しにあの傾斜した海草が見える。エントランスにインフォメーションカウンターがあるものの、公共建築にありがちな管理的な雰囲気は微塵もなく商業建築に入っていくようなさりげない感覚で自由にどこまでも入館できる。館内は階層ごとにライブラリー、ギャラリー、スタジオなどの機能となっているが、ワンフロアになっているのであくまでも場であることを実感させられる。フロアで見る海草は、実際にはそれほど繊細ではない。場の中にあちこち置かれたオブジェのような印象である。柱でない証拠に中にエレベーターや階段が組みこまれている。概念の上ではこの建築には柱がないということになるのだろう。この困難な構造を実現したエンジニアリングパートナーは佐々木睦朗氏。コンペの審査に当った磯崎新氏の判断も鋭いと言える。
 この建築から機能を取り除いても存在は成立する。近代建築は機能をモチーフとした構築の論理性を拠所にしてきたわけであるが、時代をこえて生き続ける建築は機能を超越している。いくつもの意味でこの建築が発しているメッセージは刺激にあふれている。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2001年12月7日掲載

慶長使節船ミュージアムを見て


 宮城県石巻市。仙台から高速道路で約1時間の海辺に、かつて仙台藩主伊達政宗が命じて建造させた木造南蛮式帆船サン・ファン・バウティスタ号が停泊している。といっても慶長オリジナル船ではなく平成になって復元されたものである。船首から船尾まで55mほどあって、実際に航海ができるそうである。イスパニアへの使節180人余が乗っていたとしたらかなり窮屈だったろうと思うが、帆船の勇姿はなんともロマンを誘う。
 かつての使節の悲運の偉業を学ぶためにつくられたミュージアム。設計は石井和紘氏である。海岸の高台に等高線に沿った展望庭園がある。太平洋を望む素晴らしい眺望に感動する。断崖下のドックに留められた船を見下ろすと早く近づいてみたくなる。展望庭園下のガラス張りのエントランスホールに階段を降りていく。展望棟ということであるが、展示室やシアターなどもあって使節支倉常長(はせくらつねなが)の航海の様子などを見ることができる。船のあるドック棟に行くには斜面を東北地方で最も長いエスカレーターで下っていく。途中で海の方へ向きを変えて更に下っていくと、正面に船の姿が飛びこんでくる。そして展示室は入江のドックを囲むように左右に繋がっている。どちらの棟も等高線に沿っているということを実感できる。この展示室のドック側は全てガラス面になっており、屋根の一部も船を見上げることができるようにガラスになっている。どこからでも船を目前に見ることができる。あくまでも船が主役であって、船がなければこの建築の意味も成立しない。海風に当りながら乗船することもできるので、船中での使節たちの生活ぶりや太平洋横断の歓喜も想像することができる。なかなか楽しめる演出になっている。
 石井氏の建築を体験するのは瀬戸内海の直島に行った時以来である。氏は初期においてはアメリカ(というよりチャールズ・ムーア)仕込のポップな建築手法を展開していたと記憶しているが、日本文化への関心から和洋折衷のポストモダニズムに移行していった。直島町役場などはそうした時期の代表作と位置付けられるのだろうが、このミュージアムを見るとだいぶ趣が変わっている。ポストモダンの特徴であった歴史からの引用や借用などのデザインモチーフは皆無で、ほとんどの空間がガラス張りになっている。北九州市国際村交流センターやくにたち郷土文化館などのガラスウォール建築の系譜に含められると思う。また同時にテクニカルな木構造にも関心を高めているようで、この建築ではガラスと木構造のミックスを試みている。ガラスの館内は実際には相当な温度差によって維持管理は大変なのだろうと思うものの、自然の地形を損なわないように等高線に沿って造形するといったコンセプトも相乗して、素直で清々しい建築といった印象である。
 こうしたデザインの変節は他の建築家にも見られる傾向である。表面的にはポストモダンからの逃避のデザインと見ることもできるかもしれないが、新しいパラダイムへの前向きなメタモルフォーゼととらえておきたいと思う。今の建築の表現におけるモチベーションは近代建築のテーゼのような建築内部の秩序ではなく、環境や景観などの外部からのロジックに規定されることが多いと考えるからである。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2001年11月2日掲載

上田市農林漁業体験実習館選評


 上田市郊外の起伏に富む山裾の田園風景に同化し、斜面を這い上がるようにして建てられている。「室賀温泉ささらの湯」という通称が示す通り、主要用途は公衆温泉施設となっており、地域住民の日常生活に溶け込んでいる。
 まず目に映るのは周囲の山並みのうねりをそのまま引用したように複雑に折り曲げられた屋根である。屋根は入り組んだ平面の輪郭を曖昧にしながら全体を覆い尽くしているので圧倒的な存在感を放っている。そもそも屋根という建築部位は日本の農村文化のなかで最も重要な心象風景になっていると考えられる。そうしたイメージとの連鎖によってこの特異な形態表現が地域の中で遊離してしまうことを抑制しているように受け止められる。
 平面と断面は地形や起伏に従って立体的に構成されている。平面はレイヤー状に重ねられており、そのことは枝状に組まれた鉄パイプで構成された屋根架構、木で立ち上げられた柱や壁、石を置いたような足元回りと明快に使い分けられているところに示されている。
 木材、石、塗装、左官などの仕上げや納まりは意識的に手仕事の痕跡を随所に見せて、粗野な感性を強調したものになっている。地域の人々が培ってきた土臭くほのぼのとした感性を巧みにデザイン化していて好感が持てる。
 地域性や場所からヒントを得たと思われる土着的な手法を積極的に取り込むことで、わかりやすく楽しい建築になっていると言える。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集2001」2001年3月18日掲載

ミュゼふくおかカメラ館を見て


 富山県福岡町へ行くには能越自動車道福岡ICから入る。町なかを貫く旧国道8号は既に中心的道路ではないが、古い町屋が軒を並べていてちょっとした発見気分。安藤忠雄氏が設計した「ミュゼふくおかカメラ館」はそうした町並みのすぐ近くの川のほとりにある。
 まだ完成オープンしたばかりで一般にはあまり知られていないらしく人影は皆無。正面の道路から深いアプローチがとられている。オープンな感じがとてもさわやかだが、隣家の生活が剥き出しになっているのは気になる。道路から見ると建築の断面がわかるフォルムになっている。ちょうどかまぼこを縦に切って半分だけ残したようなイメージで、アプローチからは曲面屋根だけが見える。その屋根は鉄板葺になっていて地面に接するところまで葺きおろされている。その屋根からエントランスのコンクリートの壁が突き出している。
 エントランスホールの壁に掲げられたプランから全体を把握する。アプローチの屋根の内側にリニアな展示空間がある。裏側に箱ボリュームが平行に置かれており、V字平面の壁が二つのボリュームにまたがるようにして突き刺さっている。その片方は突き出したスロープになっていて2階に上る。内部は屋根裏の曲面も含めてコンクリート打ち放し。展示室の庭側は柱梁で格子を組まれ、全面開口部になっている。その庭はまだ整っていないが、古い木立も残しているようなのでいずれ良い庭になるだろう。
 ここはカメラの博物館。今はオープニングで荒木経惟(通称アラーキー)の写真展も開催している。富山の女性たち101人の顔を撮影したものが掛けられている。
 既に安藤氏が最近手がけた大型建築をいくつも見ているので、このカメラ館はどうしてもマイナーな印象になってしまうが、いつものように楽しめる「空間体験」は健在。氏にとっては小粒の建築であるが、私たちが取り組む建築と同じような規模であるだけに、氏にとってこうした規模の建築というのは自身の中でどんなふうに位置付けられるのだろうという思いも浮かぶ。創作意欲と建築規模は相関関係にあるわけではないが、小さいものの方がいとおしいと思うこともある。新しさやテーマ性の追求もさることながら、手のひらの上で転がすように規模に似合うディメンションやディテールを温めていきたい。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年11月10日掲載

hhstyle.comを見て


 東京原宿の表参道はいつもにぎやかだ。昔はメイン通りだけがそうだったと記憶しているが、今では脇の道路まで店舗が増殖していっている。キディランドの角を曲がったキャットストリートもそんな雰囲気の道路である。住宅街といった趣がそこここに残ってはいるものの小さな店舗が軒を連ねて建ち並ぶ景色に変貌している。
 訪ねるところはそのうちの一つ。hhstyle.com。インターネットのURLかメールアドレスを思わせる奇妙な名前のついた店舗は浜野安宏プロデュース、妹島和世設計によるインテリアショップ。9月半ばにオープンした。計画案は雑誌などにも登場していた。
 いつものような全面ガラス張りの外観はこの通りの中ではけっこうボリュームのある方だ。3階建ての高さはサッシュをつけないガラス面で、少し前に氏が設計した銀座の店舗「オパーク」や飯田市の「小笠原資料館」の印象に近い。ガラスは内側に細い横ストライプをマッピングしており、1階はシングル、2~3階はダブル(ペアガラスではない)になっている。1階は店の中が見える透過度があるが、2~3階はもう少し見えにくい。二ヶ所ある小庇と凹みが入口を示しているが、どちらもガラスウォールと同じものを使っているので一目だけではちょっとわかりにくい。外観から床が傾斜しているのもわかる。
 中に入るとモダンデザインの椅子や机などがレイアウトされている。インテリアショップということなので、商品と建築は妙に融け合って見える。建築の部分を見ると床が木になっている。壁の印象はない。つまり細いパイプのような鉄柱が十数本立っているだけで、天井もデッキプレートに塗装をしただけである。こう書くといかにもプアーでなんの変哲もないが、床が部分的に傾斜しているあたりから、ただものではないと思わせ始める。各階はスロープのようなゆるい勾配の階段でつながっていて、この部分は上の床から吊っているようだ。最も感嘆するのは地震に耐えようとする常識的な構造のイメージを打ち砕くスリムな構造。梁のような形状の部材は見えないし、ブレースもないこの細い柱だけで全体を支えている。またしても佐々木睦朗氏とのコラボレーションというわけだが、この空間はこの構造でなければ魅力をなさないということがここに立つとよく感じられる。被膜と構造に神経を集中させていく限界デザインは多く見られるが、妹島氏の建築はそうしたなかでも先鋭的な印象が強い。六ツ川地域ケアプラザの場合にも共通するが、妹島氏の追求する先は構造の不可視化か?いつか宙に浮いた床や屋根が登場するかもしれない。
 当たり前につくればそれはそれで終わる。しかし、そうしないところに創造がある。無気力なデザインの溢れる現代の建築界で私たちが自戒して忘れてはならないことである。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年11月3日掲載

聖イグナチオ教会を見て


 東京に行ってもめったに四谷に立ち寄ることはないが、久々に用事があってJR四谷駅に降り立つ。駅を出ると交差点の向うにベージュ色のタイルを貼った丸い壁面が見える。高く聳える鐘楼も同時に目に入ってくる。聖イグナチオ教会だとすぐに気づく。
この教会は有名なので古い礼拝堂を知っている人も多いと思う。新しい礼拝堂ができたのは1年ほど前だっただろうか。坂倉建築研究所が数年前にコンペで設計を担当することになったものだ。古いものとはまったく違う現代的建築になっている。建替えにあたってはいろいろな意見があったものと思われる。あまり予備知識もないまま近づいてみる。
 ゲートは自由に入ることができる。ゲート脇のシャープな鐘楼の足元を通ると、中庭を囲んで左手に主聖堂、正面奥に信徒会館、右手にマリア聖堂が並んでいる。主聖堂ではミサが行われており、見学者も含めて自由にしかし静かに出入りしている。そのエントランスホールはタイル壁面と対比的にガラスの箱になっている。翼断面のキャノピーがガラスの箱から浮かぶようについている。この部分はコンテンポラリーなデザインボキャブラリーからできている。聖堂に入ると外観そのままの楕円形の空間が広がる。屋根のハイサイドライトから光が注がれ、花のような曲線デザインの梁が宙に浮かんで,外観のモダンな印象とはかなり趣の違う華麗な空間だ。カトリック教会はプロテスタント教会の素っ気ないほどの空間とはやや違う宗教性を感じさせる空間を求めているのだろうかと思う。祈りの人たちの邪魔をしないように静かに目だけを動かしながら空間を体感する。
 退室して信徒会館の方に少し歩いていくと、ザビエル聖堂という小さなサインが目に止まる。なんとなく気になって近づいてみる。小さなエントランスホールから偏心軸の重い木のドアを体で押して聖堂に入ると、誰もいない。照明の消えたさほど大きくない空間の奥に唯一の開口である小さな地窓があって、水面に反射した光が簾を通して入りこんでいる。洞窟の中にいるような気がする。目が慣れてくると壁も天井も珪藻土の塗壁になっているのがわかる。光を受けてきらめいているのはワラスサが塗りこまれているらしい。なんと!これは日本の茶室ではないか。講壇や椅子が置かれていなければ正面すらわからないかもしれないほどの抽象的な空間。そっと照明をつけてみても壁際がほんのり明るくなるだけでうす暗さはかわらない。主聖堂とは打って変わってストイックな空間。カトリックだろうとプロテスタントだろうと仏教だろうとなんでもかまわないというような、宗教や宗派を超越した祈りのための空間。日本人の精神性にフィットした宗教空間とでもいうべきだろうか。思いがけず機能を超えた絶対的空間に出会ったようで、強い緊張感を覚えた。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年9月15日掲載

さいたま新都心を訪ねて


 東京に行くたびに新幹線窓から眺めていた大宮操車場跡地の「さいたま新都心」が完成した。華々しく「街開き」したのは去る5月5日。見学会の機会があったので出かけてみた。
 アクセスはJR。新しくオープンしたさいたま新都心駅は解きかけたロールテープのような屋根形で明るく爽やかな印象。街のエントランスにふさわしい。鈴木エドワード氏の設計。
 真っすぐに進むと(この軸はにぎわい軸と呼ばれている)工事中のNTTドコモと明治生命ビルの間を抜けて、人工地盤上のけやき広場に入りこむ。脇にある交番は道案内で忙しい。この広場はピーター・ウォーカーの設計。いつものストライプとグリッドのパターンで人工的なデザインだが茂ったけやきは十分にうるおいを感じさせてくれる。220本のけやきは1mの深さの土に植えられている。地盤下ではレストランが9月オープンに向け工事中。
 右手奥があのさいたまスーパーアリーナである。空を飛ぶスーパーマンのマントのような大きな屋根が特徴。正直なところこんな大きな施設をつくって何につかうのかという気になるが、9月にオープンしてから半年程のスケジュールは詰まっているらしい。最大約37,000人を収容できる。バスケットコートが小さく見える。アリーナの客席約9200席分(総重量15,000トン、高さ41.5m)がムービングブロックと呼ばれ、70m水平移動して客席構成を変貌させるという説明に一同度肝を抜かれる。客席の設計に当たってはアメリカのエラビー・ベケット事務所の協力を得たという。10月9日から、施設内に世界初のジョン・レノン・ミュージアムがオープンする予定。
 それからさきほどの軸に交差するふれあい軸(歩行者デッキ)をたどっていくと、3棟並んだ合同庁舎(31階・26階・7階)の前を通る。ここには東京23区内にあった国の行政機関の一部(10省庁17機関)が移転してきた。新都心計画の中心課題になっている。
 ブリッジをこえていくと、簡易保険健康増進施設・郵便局・郵政庁舎が並んでいる。内井昭蔵氏によるデザイン調整がなされたようだが、ゆるやかな統一という方針だそうで、郵政施設のデザインがかなり異質なものになっている。こうしてまで装飾的なデザインにする必然性があるのだろうか。とってつけたような屋上の健康施設などはほとんど無意味としか言いようがない。
 歩き回って思うこと。ここはまさに行政アイランド。地上に浮いた官庁街。周辺の既往の町とは縁もゆかりもない。いくらデザインが工夫されていても町の人たちがここを訪ねてくる姿を思い描くことは難しい。埼玉県起死回生の都市機能更新事業だが、今となっては遅れてきたバブル。後続の生活関連民間施設誘致が暗礁に乗り上げている状況をどう乗り越えるか。
 あの疑惑に満ちたコンペのことは、どこにも触れられていない。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年7月7日掲載

淡路夢舞台を訪ねて


 淡路花博(ジャパンフローラ2000)のオープンが近づいてマスコミの紹介記事が目につくようになると、あの「夢舞台」のことが気になり始め、4月初旬に出かけてみた。その場所はそもそも関西空港建設のために土砂をとった場所で、広大な荒地と化してした。安藤忠雄氏による提案を基に国際的コンベンション会場へと変貌していったのだった。
 明石大橋から淡路ICを出ると間もなく花博会場に到着。大型バスが溢れているが、広大な会場のせいか人の流れは悪くない。しかし夢舞台ゾーンまでの距離は遠い(夢舞台ゾーンと呼ばれている部分は大温室を除くと花博会場の外になる)。安藤氏構想の部分は建築としては並外れたスケールになっていて、通常一人の建築家が手掛けられる規模をはるかにこえている。当然多くの設計者との協同作業によっていると思われるが、空間の骨格構成やデザインモチーフはこれまでの安藤氏のボキャブラリーのアッセンブリになっている。夢舞台ゾーンは、大温室・野外劇場・回廊・百段苑・貝の浜・ホテル・国際会議場・茶室などに分かれている。大温室は花博の最も人気のある施設になっている。エスカレーターで3階に上がりブリッジから様々な花の咲き乱れる温室内を見下ろしながら下ってくるという立体的な温室となっている。回廊ゾーンは円や楕円のシリンダーを内包しながら壁や歩廊が交差・貫入する安藤建築では見慣れた手法のラビリンス的空間で明確な用途や機能はないが、恐らく最もエネルギーをかけた部分だろう。迷路のような歩き回れる空間があり、空間体験自体が目的になっている。常識的な建築経済行為の中で成立するものではなさそうである。氏の言う心に残る建築か?レストランやショップが入っているが、目指すその場所にたどり着くだけでも苦労する。回廊を抜け出し、エレベーターに乗ると展望ブリッジに出る。ここからは会場全体が一望できるので人が集中する。ブリッジを渡り百段苑と呼ばれている段々畑形式の花壇に至る。迷路のような階段はオランダの画家エッシャーの絵のようだ。下ると貝の浜にでる。帆立貝100万枚を敷き詰めた水面とカスケードは海のパノラマの中に消えていく。水面の鐘楼の下には海の教会(ホテル施設)がある。さらにウェスティンホテルと兵庫県立国際会議場が隣接している。これらの施設の内装は安藤氏の手を離れている。
 とにかく膨大な建築である。場所のスケールに合わせた氏の構想か?小さな町屋から始めた氏の建築に対する野望か?建築と環境の融合がテーマなのだろうと思うが、氏は難しい言葉で建築を語らない。一般の人たちと視線を共有している。難解な意味を付加されていない空間は、一般の人たちが建築の空間の魅力を体感しながら建築との距離を埋めていくために極めて有効だと思う。だが口で言うほどたやすいことではないことも事実である。

㈱新建新聞社:「新建新聞」2000年4月7日掲載

長野今井ニュータウンG街区選評


 長野オリンピック選手村として長野市郊外の田園風景の中に忽然と姿をあらわした今井ニュータウンは、最近しばしば見かける複数設計者による工区分割設計方式による集合住宅団地であるが、評価はなかなかよいと聞く。ゆるいデザインガイドによる画一でも無秩序でもない「ルーズな全体性」を心地よく感じ取っているのは私だけではないだろう。
 デザインコミッショナーとプロポーザルで選ばれた建築設計者たち(7工区)の間で行われたデザイン調整によって、デザインコードに沿っているものの工区ごとに個性を感じさせる住棟が建ち並ぶことになったが、なかでも遠藤剛生氏によるG工区のデザインは異彩を放っている。もっとも自由奔放な印象が強い。画一的なイメージの強い従前の公営集合住宅に対する氏の一貫した挑戦として位置付けられるのだろうと思うが、G工区の設計に対する氏の姿勢や努力もまた高く評価されるものだろう。それは決して表面的な形態操作のよるものではなく、平面計画における住戸の組み合わせやインフラとなっているパブリックスペースに関わる提案によって成立しているものである。特に最上階においては中路地のような通路に住戸が面しており独創的である。これらの工夫は集合住宅における住まい方として新しくも懐かしさを感じさせる提案であるが、計画論と生活感の両面からさらに工夫が加えられ続けていくことを期待したい。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集2000」2000年3月18日掲載

東京国立博物館「法隆寺宝物館」を訪ねて


 師走にしてはほどほどに暖かい陽射しの中、JR上野駅から東京文化会館と国立西洋美術館の間を抜けて一目散に東京国立博物館に向かう。目指すはこの博物館の広い敷地の片隅に今夏オープンした法隆寺宝物館。設計は谷口吉生氏。現場を見学したいと思ったが、氏の建築は現場見学不可ということで、オープンしたら是非訪ねてみたいと思っていたのだった。
 谷口氏の作品と言えば長野市の善光寺近くにある信濃美術館東山魁夷館が思い浮かぶ。これまでに資生堂アートハウス、金沢市立図書館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、東京都葛西臨海水族館、葛西臨海公園展望広場レストハウス、豊田市美術館を見る機会があった。 氏の建築の美しさは誰の目にもわかりやすい。20世紀が築いてきたモダニズムの極致のような凛然たる存在感と心地よいプロポーションによるものだと思う。そこには構想からディテールに至るまで終始一貫して緊張感とこだわりのあるものづくりとしての鋭い姿勢がみえる。選びぬかれた素材によるシンプルな構成と寡黙な表現は、そのために費やされたであろう膨大なエネルギーを微塵も感じさせず洗練の限界を極めており、そこに佇む者の背筋を硬直させる。
 東京国立博物館には他に本館(設計/渡辺仁・前川國男がモダニズム案でコンペ応募し落選したのは有名)、表慶館(設計/片山東熊)、東洋館(設計/谷口吉郎)などがある。法隆寺宝物館は以前からあったが保存を主目的(公開は週一日)にしており、その貴重な資料(正倉院宝物より古いものもある)を保存し且つ公開することを目的に建て替えられた。
 法隆寺宝物館の計画案についてはすでに雑誌で知ることができた。そのデザインは丸亀やつくばカピオなどのように正面に大きなプロセニアム形式のキャノピーがある点で共通している。ここでは大きな額縁の中に縦繁格子のガラスの箱をはめこんだようなデザインになっている。このキャノピーは建築と前面の外部空間を一体的に接続する役割を果たしており、この場合は手前に広い静かな水盤がある。キャノピーを支える柱はいつものように細い。縦繁格子とそれを支えるマリオンは葛西のレストハウスと同様に無垢のスチールのようだ。
 エントランスホールに入ると縦繁格子が外から見たよりも和風の印象で父谷口吉郎氏のデザインを彷彿とさせる。展示室は宝物を保存するため外光を入れていない。暗い展示室の中に仏像や彫刻などが浮かび上がるように展示されている。どうしてもディテールに目がいってしまう。コンクリート打放しの柱にPコンの跡がない。枠や格子などの納まりもシンプルに見せるために、役物という発想はないように見える。そのアイディアと執念に改めて脱帽した。
 同氏によるニューヨーク近代美術館の増築プロジェクトも楽しみなものの一つである。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1999年12月24日掲載

新潟市民芸術文化会館を見て


 98年10月3日(土)朝。天気良し。集まった11人は一路新潟へ。目指すは完成したばかりの新潟市民芸術文化会館。長谷川逸子氏が5年程前に公開コンペで最優秀に選ばれて設計した。数人のグループで見学を申し入れたところそれが元になって東京まで含めた100人超規模の見学会になったらしい。知っている人たちも出向いてきていた。この建築は信濃川昭和大橋の脇の新潟県民会館と新潟市音楽文化会館、それに信濃川と白山公園に囲まれた場所に建っており、市の文化核となっている。コンペ時の模型写真は透明なタマゴのようでスケール感があまり感じられず何となく可愛らしい印象だった。
 実物は巨大!である。タマゴ平面のシリンダーの外壁は全面ガラス。半分はDPG工法の二重ガラス。ガラスの間にアルミパンチングメタルのロールスクリーンのようなものが入っていてセンサーで自動的に上下したりパンチングホールの大きさを加減したりして日照調整する。ジャン・ヌーベルのアラブ文化研究所のメカニズムよりも効果的で長谷川氏ご自慢の技術らしい。この部分だけ見学に来る人も多いそうな。しかしコストも相当かかるようで、あとの半分は一般的なカーテンウォールでガラスの間に白い断熱材が入っている。メンテナンスにも相当なコストがかかるかもしれませんね。外観では、屋上が雑草のはえた庭になっているのも大きな特徴。また隣接建築や駐車場の屋上などを利用した空中庭園に対してくねくねと曲がったブリッジが伸びていて、文化スポーツパークとしてのゾーン全体に新しい秩序をつくりだしている。
 内部の主要な機能は2000人収容のコンサートホール(パイプオルガン設置)、900人収容の劇場、400人弱の能楽堂である。それらをヒエラルキカルな秩序で並べず、巨大なタマゴ型の空間フレームの中に入れ子的にして納めているところが設計上の最大のポイントになっている。通常ロビーとかホワイエと呼ばれている空間がヴォイド化されて生き生きとしている。ガラスを通して周辺環境と視覚的に繋がっているのも気持ちが良い。
 コンサートホールは圧巻だ。ハンス・シャロウンのベルリンフィルホールや東京のサントリーホールのようなアリーナ型になっているが音響的な工夫について説明があった。長谷川氏渾身の力作と言ってよさそうである。
 長谷川氏はこうした専門度の高い公共建築を設計するに際して運営に当たる専門家たちの声を企画・設計段階から採用することを大切にしているようだ。そうしたプロセスを紹介するドキュメントを出版しており、参加者に一冊づつ渡された。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1999年2月26日掲載

「近つ飛鳥博物館」を見て


 11月14日。建築士会全国大会奈良大会も情報ネットワーク分科会をもって全て終了。来年の長野大会に備えて連合会情報小委員会のメンバーと簡単なミーティングを済ませると私は一人大阪に向かった。奈良から難波まで、近鉄特急電車の車窓に流れる景色は懐かしくもあったが、同時に約18年という時間の経過を感じさせるものでもあった。
 その夜は大阪の村野、森建築事務所時代の懐かしい面々と語り合った。村野藤吾亡き後その事務所も変わり果てた。早晩消滅することになるのだろう。
 さて、翌日は安藤忠雄氏設計の「近つ飛鳥博物館」を訪ねた。あらかじめ見た案内図によるととんでもなく辺鄙な所にあるようだ。天王寺から近鉄電車に乗り、貴志で下車。バスに乗る。日曜日のせいか博物館のある「近つ飛鳥風土記の丘」を訪ねる人けっこうたくさんいた。途中で第一工房設計の大阪芸術大学キャンパス脇を通過するが、今日は欲張りな気持ちをぐっと押さえて目的を一つに絞る。
 「近つ飛鳥」という聞き慣れない表現は大阪難波から見て近い方の飛鳥ということであり、有名な奈良県の飛鳥地方は遠い方の飛鳥ということで、「遠つ飛鳥」と呼ばれていたそうだ。「風土記の丘」は一須賀古墳群を保存した29万㎡の広大な史跡公園で、博物館は公園入口から左手最奥にある。ただしこれはバスで訪れた人のアクセスであって、マイカーなどで訪れた人は全く違ったアクセスになるということを後で知る。とは言え、どちらから近づいても最初に視界に入ってくる姿には興奮させられる。安藤氏の多くの建築は徐々に期待を高めておいて一挙に視界を直撃する演出がなされていて心憎い。
 遠くからは黄泉の塔と呼ばれている四角いタワーが良く見える。そしてその足元にあの印象的な石の大階段が見える。家族連れからボランティアグループまでたくさんの人がピクニックを兼ねてここに集まって来て座る。ここは移動のための階段でもあるが、展望や休憩のための座席でもあり、演じるためのステージでもある。その場に立ってみて機能のための階段ではないことを実感する。古墳博物館であることを表現するために古墳のイメージをアレンジしたのか?階段の表現を借りた行動誘発装置をつくることが狙いだったのか?階段やスロープは安藤氏の建築において空間のラビリンス性を創出するための重要で必須なモチーフとしてよく登場するが、ここの階段は開放的で横綱級だ。
 大階段を上り詰めると屋上になっていて階段は終わる。側面も分断した階段になっている。大きな丘をイメージさせる大階段の印象がとても強いので、斜面建築のように思ってしまいがちであるが実際にはそうではない。恐らく設計者のオリジナルなイメージは、建築は完全に埋没して大階段だけが地表に顔を出した姿だったのだろうとなどと勝手なことを考えながら、周囲をぐるりと回ってみる。
 メインエントランスは車のアクセスの人には分かりにくい。パーキングから大階段部分を横切り掘割のような通路を通ってようやくエントランスに辿り着く。一般的な言い方をすれば裏口のようだ。茶室の路地のように回りこむと言えばよいのか?強引に大階段を実感させるための方法なのか?むしろバスから公園内を歩いてきた人は直接エントランス前にアプローチすることができる。階段部分にエントランスをつくってしまったらつまらなくなる、恐らくそんな感じで位置が決められたのかもしれない。
 エントランスホールは明るく大きな空間になっている。外光を十分に感じながらチケットを求めて展示室に入ると大階段下部の暗い空間に切り替わる。展示室は大きく言って、往時の国際交流展示と古代古墳展示のコーナーにわかれている。建築的には仁徳陵古墳のジオラマ展示の吹抜空間と鹿谷寺石塔の吹抜空間が見せ場になっている。黄泉の塔を中から見上げるとガランドウだ。館内を歩き回ってからエントランスに戻ってくる。エレベーターに乗ると大階段の最上部に出ることができる。回りの緑が眩しく感じられる。黄泉の塔の上に上ってはいけません。大階段を下ってくる。建築に関心のある人たちにとって、通常建築は回りから眺めて見るものだが、ここでは建築の上に乗って歩く。意識してしまうと妙に不思議な気分になってくる。でもそれがなんか楽しいのだ。

(社)長野県建築士会長野支部:「つちおと」1999年1月25日掲載

ほたるいかミュージアムを見て


 8月上旬、北陸方面に出かける機会があった。長野からは一部区間の高速道路が未開通とはいうものの、ずいぶん早く行けるようになった。
 ほたるいかミュージアムは富山県滑川市の海縁に建っている。まだオープンして間もない比較的新しい建築である。設計はイギリス人のトム・ヘネガン氏。同氏がかつて設計して日本建築学会賞を受賞した熊本県草地畜産研究所は緑の阿蘇高原に黒い牛が点々と寝そべっているようなイメージの建築群でなかなか印象的だった。堅実だがユーモアも心得ているところが良い。
 隣の魚津市からここにかけての海は蜃気楼、埋没樹林、ほたるいかなどで有名である。ほたるいかというのは私たちの食卓にも登場する小さないかのことであるが、毎年春になるとここ富山湾にはそのほたるいかがたくさん集まってきて、海面に青白い光を発して珍しい光景を見せる。その様子は天然記念物になっていて夜明け前の漁は観光名物になっているが、時期や船の数にも限りがあるので見ることができる人はごく限られてしまうらしい。
 この海や自然に親しむ目的でほたるいかミュージアムはできた。夕暮れの国道8号を海の方へ折れると間もなく突き当たりにミュージアムが見える。ここはいわゆる道の駅になっており、旅行途中の人たちも気軽に立ち寄れるように考えられているようだ。雨が降りそうなどんよりした空模様で人影はほとんどない。そんなせいもあってか建築が想像よりも大きく見えた。
 ミュージアムは楕円平面のシリンダーで外壁には木の板が張り巡らされて柔らかい印象である。足元につくられた静かな水面には外壁が反転して映りこんでいる。エントランスは水面の向うに見えるが、そこに至るには水面とその背後にあるショップとの間の細い通路を回りこんでやっと辿りつく。室内は白一色の世界になっている。全体がアトリウムになっていて部分的に二階がある。チケットは二階で求める。展示の構成はほたるいかの不思議な生態を紹介するディスプレイと二つの映像シアターとからなっている。シアターの外形やそのスクリーンの輪郭がなんとなくいかのイメージでヘネガン氏らしい。巨大な建築のわりには展示内容は単調であまり楽しいとは言えない。
 海側のデッキから富山湾を望めるようにしてあるが、そこに隣接したショップはミュージアムとはデザインが異質でバランス感に欠ける。また、そのショップに接続して深層水(ほたるいかのいる深海の冷たい水)の体験館を建設中であったが、その配置は道の駅ゾーンを分断していて理解に苦しむ。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1998年12月25日掲載

箱根プリンスホテルを見て

 7月の連休、箱根一帯は濃い霧に包まれていた。
 箱根プリンスホテルは芦ノ湖畔に建っている。私が村野、森建築事務所に勤務していた頃に油土で大きな模型を作ったり先輩の図面を手伝ったりしていたもので、とても懐かしい思い出のある建築である。本館の左手に全室ファミリールームの新館が建てられたのが最近の大きな変化だが、本館自体は開業当時のままである。今年ちょうど開業20周年ということであった。
 このホテルは国立公園内での自然環境保護の立場からリング状平面の二つの客室棟とエントランス棟・ロビー棟が、既存の樹木を一本も伐採しないように渡り廊下で結ばれた配置になっている。高さも13m以下として回りの樹木より低く押さえているので本当に森の中に埋もれたように見える。
 メインエントランスはフランク・ロイド・ライトの建築を思わせるような長く低く伸びた深い軒が優しい印象になっていて、いきなり村野藤吾らしさを見せつける。だが圧巻は何と言ってもフロントから一直線に客室棟に向かう細長いロビーのインテリアである。天井は一気に高くなり割石塗込めの重なる壁柱の間に、横から差し込む淡い緑色の光と格子模様の赤い絨毯の空間がドラマチックで誰しも歩を止める。壁柱の間に置かれたスワンと呼ばれる村野デザインの足の短い椅子が愛らしい。横を向いたり、上を見たり、ダンスを踊るように振り返ったりしながら通り過ぎると、階段で下に降りて客室棟に向かうようになっている。最近忘れていた優しく懐かしい建築。
 外に出て湖畔から振り返ると木々の向こうに丸い客室棟が並んでいる。足元のレストランがほのぼのと温かい。民芸の馬の形の照明器具が浮かんでいるのも見える。上階の客室は曲面のバルコニーがついていて複雑な立面になっているが、この部分の模型を何度も作り直して検討したものだった。そうそう、レストランのパースも言われて描いたことがあったが大失敗だった。一生懸命に形を整えたペンシルパースは村野の一瞬のスケッチで消滅し、目の前で感動的な舞い上がるような空間の絵に変わった。ショックと感激の時だった。
 曲面や曲線を使った建築は珍しくもない。しかしそれらの多くが鈍重でやぼったい印象であるのに村野のデザインは軽快で女性的な優しさを感じさせる。当時の私はそうした部分に強く魅かれていたのだった。今更ながら改めて自分の師の偉大さを再認識させられている。おまえは何をしているのか?そんな声が背後からしてきそうな気がしてならない。今日も反省の日々。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1998年10月2日掲載

建学会98‐1 オリンピック選手村と大田区民休養村とうぶ


 建学会を実施したのは6月27日(土)。計画してから実施までの時間は少なくためらったが、建学会はいつも現場の都合で決まる。今回はどちらも工事中というよりは完成状態を見る見学内容になった。北信と東信を半日づつ移動して実施。
 長野市今井(川中島と篠ノ井の中間)のオリンピック選手村は会期中世界各国の選手たちで大変な賑わいだった。今その巨大な建築群はそれが遠い過去のことだったかのように静まっている。現在はオリンピックのための住戸内仮設部分をニュータウンとしての内容に改修(間仕切り壁やシャワーユニットの撤去など)したり、立体駐車場を整備している最中。今年の10月には今井ニュータウンとして本格的な生命を吹き込まれる。
 このニュータウンは全1032戸を7つの設計工区に分割してそれぞれ独自に設計しながら画一でも無秩序でもないルーズな全体性というフレームの中で集合住宅団地をつくろうという試みによって出来上がった。プロポーザルによって選ばれた東京と大阪をベースにして活躍する建築家と長野市内設計事務所3社で構成された計7つのチームがそれぞれの工区を担当し、全体を統括するコミッショナーと都市デザインチームとの間で全体調整をはかりながら設計されていった。
 緩やかな全体的調和を成立させるにはデザインの拘束度と自由度のバランスが大切になる。狭いエリアの中で7人の建築家によるデザインの饗宴を調整するのは大変であったが、決められたインフラストラクチャーや住棟デザインコードを尊重しながら設計された。ニュータウンとして福祉をテーマにしていることもあって住戸形式については一定の枠を出ないが、外観や外部のデザインに対しては比較的自由度が高く変化に富んだ全体景観を実現している。訪れた人はなによりも楽しそうな団地生活をイメージすることができるだろうと思う。
 東部町の山中に建つ「大田区民休養村とうぶ」は昨年も建学会として工事中に見学した伊東豊雄氏の設計による最新作である。昨年の見学時にはまだ鉄骨の建方の最中で空間やスケールに関する印象は薄く全体構成を把握するにとどまった。山の斜面に這いつくばるように大きくクレセント形状を描きながら折版屋根で一気におおわれた(前回説明したように折版は現場で扇型に加工されほとんど手づくり状態で苦労して張り上げた)平面は300m以上に及ぶが、完成した姿は高さが低いせいか威圧感を感じさせるものではなかった。アクセス道路からはほとんど見えないし、近づいても地盤と建築の高さの関係が一定のままである。建築の全景を把握するためには背後の山に登って見下ろす(もちろん空中からでもかまわないが・・・)かクレセント形の内側の庭に立って右から左まで180度ほど首を振って見るしかない。
 内部は大田区民のための休養と学生の林間学校の二つの用途から構成されているがつながって一棟になっている。傾斜面のレベルに合わせて配置された諸室間の移動はすべてスロープ。空間は開放感や透明感が意識されたデザイン。構造は佐々木睦朗氏の担当で極めて細い柱とラチス梁はこの建築の軽快な印象にとって重要な要素である。
 私たちがかつて建築を学んだ時は機能を文節化して形に表現することが中心的手法であった。しかし現代の建築はそうした手法から離れている。今は機能という概念そのものが曖昧になっており機能を表現することの意味自体が希薄になってきている。建築が場を介して行為を仕掛ける装置のようにとらえられていることが多い。この建築もそうした考え方に基づいているようだ。

(社)長野県建築士会:「建築士ながの」1998年8月1日掲載

Y-HOUSEを見て


 千葉県勝浦市。太平洋に面した静かで小さなまち。私にとって普段は意識されない場所であるが、そこに妹島和世さんの設計になるY-HOUSEなる住宅があることを知って外房総方面へのツアーの折に訪ねてみた。
 JR勝浦駅裏に出てから歩いて数分の住宅地の中にあることを事前に聞いていったのでそれほど探したわけでもないが、木造2階建てが並ぶ家並みに完全に埋もれていてやはり少し周辺を歩き回った。そしてY-HOUSEは忽然と目の前にあらわれた。出会いの時はいつも心の踊る瞬間でもある。
 前面道路は狭く雑誌に出ていた正面正対の写真はどうやって撮影したのだろうと思うほどだったが、東側の外階段とドアが一枚あるだけのサイレントな蛇紋岩の壁(薄い石を張ってある)は素っ気ないが強い主張の感じられるものであった。現地に立つと南側は和風の住宅、北側は空地に接しているがいずれすっかり囲まれてしまうだろうということがわかる。四角い敷地を三つのレイヤーに分割し、南側と北側の隣地側に離隔をとって中央部に2階建てのシースルーの箱があるといったシンプルな構成になっている。そして箱から庭に台形平面のバルコニーや黒い化粧室ユニットが飛び出して今では見慣れた妹島さんらしい造形ができている。分割された機能の有機的結合による生活の構築といった手法ではなく、無機的な箱の中に生活をサポートする機能を立体的に組み込む手法によって設計されている。一般的に都市型住宅といえば生活プライバシーをいかにガードするかといった方法に倣っていたが、ここでは隣地からの距離をとっているものの生活は都市空間の中に剥きだしに投げ出されており、現代住宅における生活とか空間といったもののあり方についての問題提起になっている。言い換えれば安らぎのある生活というよりも緊張感のある生活の提案。個人的にはけっこう辛いのかナとも思うけれど・・。
 もう一つ現地に行ってわかることは完成してから4年ほど経ち、施主の手で改造がなされていること。施主は駅前にあるY工務店の代表であるので比較的簡単に改造できる立場にあるのかもしれない。北側の寝室前に温室を出し、庭にはポリカーボネイトの手製屋根が全面的に設けられた。スタイリッシュな空間に地方都市郊外らしい生々しい道具や生活が溢れていて緊張感はなく微笑ましいミスマッチ。建築家のデザインを乱さずに暮らすべきだと思ってしまいがちだが現実の生活はそんなきれいごとじゃなかったのだ。住宅あるいは生活をデザインすることそしてそれを使いこなすことの難しさについていつも考えさせられる。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1998年7月17日掲載

「軽食堂みたに」を見て


 誰にも秘密!誰にも教えず自分だけでひそかに楽しんでいたい建築。そんな建築がいつの間にかできていた。場所は松本市北松本駅の近くで、私が設計して昨年完成したサニウェイ松本営業所からも遠くない「軽食堂みたに」のことである。女鳥羽川近くからここに移転してきたパスタ料理のお店だ。周辺は繁華街ではなくしかも道路からかなり奥まっていて、はなから“知る人ぞ知る”の構えとなっている。ちょっと通りすがりでは気がつかないかもしれない。私だって設計者である中村好文氏が同行していなければ探すのにだいぶ苦労したに違いない。
 このいかにも居心地の良さそうな建築はまったく食堂には見えない。スケールも空間も素材もほとんどすべてが住宅そのものだ。ファミリーレストランのようにはしたくないという三谷さんと中村氏の思いが見事に一致している。まずその控えめなアプローチが良い。ここからしてもう中村氏のさりげない世界が始まっている。無造作に並べられた鉄道の古い枕木を踏みしめて歩を進める。錆びてうねった分厚い鉄板を人間一人だけが通れる程度にくりぬいたゲートがある(くりぬいた板はそのまま道路側入口にサインとして置かれている)。ゲートの奥には枕木のテラスと自然な感じの程良い植込みがあって、そこから目を左に移すとエントランスがある。木造の平屋一部二階建てで軒の高さは抑えている。壁の塗材がそのまま地面につき刺さっている。エントランスも同じ床高さのまま入っていて自然体。偏芯軸の格子戸とガラス戸を開けて中に入る。コーとを脱いでコート掛けに掛けると気配りのヒーターが足元にある。食堂は3mをこえる天井高さで外壁と同じ素材が室内にまで入りこんできている。フィリップ・ジョンソンのガラスハウスのように大きな鉄製のシリンダーが陣取っていて暖炉とピザ釜が仕込まれている。ダウンライトだけの簡素な食堂の席につくと、先程のアプローチを見返すようになっている。もちろん家具も中村氏の設計になる。椅子の背の無垢材の弾力やカウンター下のハンドバッグ用のフックなどの配慮が心憎い。三谷さんのパスタもシンプルで美味。料理と建築の精神が一致している。やさしく人を包む空間にいる快感とパスタを食する快感が交錯して時の経つのを忘れる。
 中村氏の作品は気取っていない。初めての食堂の設計も住宅と何ら変わらない。いつもの通りの心温まる居心地のよい空間がそっと静かにしつらえてある。私は初めて接した氏の建築から去りがたい思いであった。あ~あ、ついにみんなに話してしまった。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年11月21日掲載

京都駅ビルを見て


 最近は大きく評価のわかれる建築が多い。建築ジャーナリズムが取り上げる問題作は過去にも有楽町そごうをはじめ、東京海上火災ビル、中野サンプラザほかの巨大ビル、住吉の長屋、つくばセンタービル等々があって論争自体はことさら目新しい現象ではないが、最近完成した東京国際フォーラムや京都駅ビルはその中でも代表格の観がある。
 建築士会全国大会が長崎で開催され、担当のパソコン通信フォーラムに参加した帰り道、新幹線のぞみは京都駅に滑り込んだ。観光シーズンの土曜日とあって人の動きは目まぐるしい。旅行者にとって京都駅との出会いは内側から始まる。中央コンコースのアトリウム空間は圧倒的!雑誌の写真では理解できなかったスケールが目前にある。左右にステップアップしている空間は大階段と広場に開放されていて完全にインテリア化されておらず巨大なシェルターといった感じである。立体トラスの下に掛け渡されたアクロバティックなブリッジは人の心を誘う。確かにこんな駅空間は他のどこにもなかった。外に出て振り返るとミラーガラスに包まれた全景が見えるが超巨大建築を前に像と盲人の例え話を思い出してしまう。問題はこの外観表現とスケール感に集約されている。
 この超巨大建築構想の背景には京都自体の自己主張と四条河原町を中心とした北(阪急電車)に対する南(JR)の対抗という二重の経済図式があったのは歴然としている。この建築はそこから導き出された過大なプログラムをもってコンペになったが、最も高さが低かった原広司案が選ばれたものの京都ホテルに続く景観(高さと京都らしさ)論争になった。東京国際フォーラムにしてもその巨大さの理由をプログラムのせいにするのは容易であるが、そのための回答としてあの超巨大なアトリウム空間が必要だったのかという疑問は拭いがたい。内部空間としての迫力は十分理解できるが、全体のボリュームを膨張させずにあえてもっとコンパクトにして都市のスケールや景観に馴染ませる方法はいくらでもあったのではないか。先のJIA設立10周年記念大会の分科会において井尻千男拓殖大学日本文化研究所長が「過去の様式建築は装飾過剰と言われたが現代建築は空間過剰だ」と言われたことを思い出した。このプロジェクトが景観論争を押し切って進められた背景には政治経済的な力が強く働いていたとしても、設計者自身にはそうした社会性の強い問題に対する発言を回避してほしくはなかった。
 最後に一言。それにしても長野駅はもう少しなんとかならなかったのかねえ~。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年11月7日掲載

建学会97‐1 大田区民休養村及び校外施設新築工事現場見学会


 まずまずの天気に恵まれた去る9月27日(土)の午後、長野県建築士会教育委員会主催の「建学会」が実施された。今年度2回予定しているうちの一回目で、小県郡東部町の山ふところに昨年11月から建設が進められている伊東豊雄氏設計の「大田区民休養村及び校外施設」という長い名前の現場の見学会を行った。現場状況は鉄骨フレームの建方中の段階で伊東建築の見せ場が徐々に姿を現わしてきたところである。県内各地から約100人ほどが集まった。
 施設の基本的なプログラムは区民の休養所と子供たちの林間学校となっている。コンペによって決定されたプランはかなりユニークなもので、大きな半円形カーブを描きながら山の斜面を這い上がるという全長330m以上高低差21mに及ぶリニア建築である。カーブに囲まれて傾斜した大きな中庭が高い評価を得たらしい。地面に接する宿泊等の部分はコンクリート構造になっており、レベル差はすべてスロープで処理されている。その上に体育館やレストラン等を取りこみながら鉄骨の門型フレームが54列、少しづつ向きとスパンを変えながら並んでいく。フレームを細く見せたいというデザイン上の理由により柱は組合せ部材になっており、梁はトラスになっている。いわゆるアトリウム的な巨大空間ではないので施工に当たっての特殊工法はとられていないようであった。しかし幾何学的形態ではなく通り芯やスパンがすべて異なるという複雑さは息を飲むほどで、設計においても施工においてもコンピューターがなければ不可能という状態であった。外壁は全面ガラスカーテンウォールで、屋根は折版であるがその屋根はわずかづつながらも扇状になっているため現場合せ的な寸法調整が必要となり、気の遠くなりそうな作業となるらしい。時代がどんなに進もうとも手の力を借りなければできない部分が残されている。現場担当者にとっては気の抜けない地道な作業がこれから佳境に入る。我々にとっては完成が楽しみな建築で有意義な見学となった。完成は来年の6月末となっている。

(社)長野県建築士会:「建築士ながの」1997年11月1日掲載

NHK新長野放送会館を見て


 梅雨のような雨もあがり真夏日和の7月19日(土)の午後。1998オリンピックアイスホッケー会場となるビッグハット(長野市若里)に向かい合うようにして建ち上がった「みかんぐみ」設計のNHK新長野放送会館の見学会には突然の開催にもかかわらず約30名の仲間が集まった。すでに工事は完了し今秋からオリンピック時の関連放送(競技放送はIBCから行う)のための機材を搬入し始め、終了後に移転オープンする予定とのこと。これまで通勤等の際にその工事進捗や外観を横目で見ていたのだが、高さ55mの塔まで一体に水平ルーバーで覆い尽くした正面外観が何となく手招きするのを感じていた。
 かつて実施された公開コンペでは、要求された面積の大半を地下に埋めてしまうというアイディアが大きな評価を得たと記憶している。そのためもあって会館の総床面積が約6000㎡もあるにもかかわらず、地上に出現したスケールは意外にこじんまりしている。外観はとてもシンプルで、若い設計者らしい現代的な感覚を活かして浮遊感や透明感を大切にしている。内部の室構成はNHKサイドの専門的な使い勝手を検討して大幅に修正されたそうだ。地上部は事務諸室、地下部は製作関係諸室と分けられており、建築的な空間構成にかかわる特徴は1階エントランス回りのガラスホールと地下製作室に面した光庭回りに集約されている。正面事務棟のピロティをさらに奥まで丸く大きくえぐったアプローチ(車寄)とエントランスホールはガラスで分けられているものの一体の空間となっており開かれた放送局としての印象を強調している。ホール内は中央部から両側に曲面で上がっていく天井と青で統一された壁、信州産鉄平石が敷き詰められた床で構成されており、軽快であっさりした空間となっている。地下の広い製作室に下りると誰しもがぽっかりと浮かび上がる中庭に自然に目がいくようだ。丸い中庭はやまもみじ、やまぼうし、苔と砂利による和風庭園のおもむきで、唐突だがなかなか良い雰囲気をつくりだしている。
 放送局といっても基本は事務所であること、先に見た安藤氏の美術館や北川原氏の温泉施設に比べると機能性や技術にかかわる要求がかなりタイトなことなどを考えれば空間の変化や特徴より堅実さを求められて当然であろう。新人らしいフレッシュな気負いや時代に敏感な感性が巨大技術的な放送通信施設の建設に際してどこかぎこちなく十分な力を発揮し得たのかはわからないが、コンペによってこうしたユニークな建築が実現されていくのは設計者としての立場からもさることながら、まちにとってもロマンあふれることである。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年8月1日掲載

上田市農林漁業体験実習館を見て

 キャリフールこうみ美術館の見学から二週間経った6月14日(土)の午後。上田市の山中に完成した北川原温氏の真新しい建築の見学会を実施した。補助金の関係であろうか農林漁業体験実習館という名称がつけられており、その名から建築の内容を想像するのは難しい。実態は最近各地にたくさんできている温泉(法規上用途は公衆浴場)施設であり、室賀温泉「ささらの湯」の名で6月20日(金)からオープンの予定という。2年前にコンペで選ばれたと聞いたが、氏としては珍しい木造の大規模な建築(平屋一部二階)で一年強かかって完成した。
 施設は山間の斜面を這い上がるようにして建てられており、中段の位置にメインのエントランスがある。上の段が温泉浴室で下の段が飲食集会等諸室となっており、エントランスの上を大きな木造トラスのブリッジ(ギャラリーサロン)が渡っていて変化に富んだ構成である。機能性、社会的秩序、地勢条件による連続性とヒエラルキー、伝統と現代の対比と融合をメタフォリカルに表現したと言われても凡人にはよく理解できないのだが、農村文化を象徴したとされている複雑にうねる大屋根はこの建築の最も印象的な形態表現となっている。先に見た安藤氏の建築が「壁」の建築であるのに比してこちらは「屋根」の建築と言ってよい。ミーハー的な感覚では作家の個性の相違と見るのも当を得た解釈だが、自然との対比手法によって幾何学的美学を強調した建築と農耕地との心象的同化手法による有機的な建築として並べてみるのも一興である。屋根は鉄パイプによる構成となっているが施工面での苦労がうかがえる。また屋根と対をなしていると思われる地面との関わりも農村的な手法を取り入れていろいろな工夫を施してあり楽しめる。
 鉄の骨を鉄板で包んだ屋根に対して、壁・床は木の骨に木の仕上げとなっており明快に使い分けられている。木の扱いは繊細な部分もあるが基本的にはかなりワイルドさを強調したものとなっており、そうした感覚は塗装や左官仕上げにも共通している。そうした常識を超えた創意には心から敬意を表したい。個人的に気に入ったのはアンディ・ウォーホールの銀色の風船のように全館内を雲のように宙を漂う照明器具であった。
 私は氏の建築をみるのは初めての経験であったが、上田市生まれのこの特異な建築家の感性は想像以上に刺激的で印象深いものであった。同じ氏の手によって最近長野市内に完成した住宅も興味深い。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年6月20日掲載

キャリフールこうみ美術館を見て


 松原湖近くに完成間もない姿をあらわしたキャリフールこうみ美術館。設計は安藤忠雄氏。昨年夏の着工ニュースを聞いて以来どうなっているのかと気にはしていたのだが、完成間近の情報に急遽見学会を企画。天気に恵まれた5月31日(土)の午後、駆けつけた仲間はいつしか70~80人。雑誌で見慣れた氏のコンクリート打放し建築を長野県内の比較的身近な場所で見ることができるようになった。湖に続く傾斜した地面に対してのびやかな水平線を強調したエレベーション。単純そうで実は変化に富んだ内部空間。打放しの壁。すべてが我々の期待を裏切らない。現時点で詳しく説明するのは控えたいので詳細はオープン(7月末)をお待ちいただきたい。
 安藤建築はこれまでにも水の教会、風の教会、タイムス、直島コンテンポラリーアートミュージアム、サントリーミュージアム、大山崎山荘美術館等いくつか見ているが、いつも見る者の「目」を楽しませてくれる。建築の用途や機能がいつしか消え去り、視角の快楽を求めてマジックボックスの中をさまよっている自分に気づくに違いない。安藤氏によって巧みに複雑に計算され仕組まれた視線のラビリンスに委ねてハマることによって見る者の視神経は安堵し満足してしまう。設計者ならいつか実現したいと温めていたイメージを安藤氏の建築の中に発見して、ちょっと悔しいけれどやっぱりすごいと納得する。唐突だが、音楽のポール・マッカートニーと安藤氏の共通性などと考えてみることに興味はありませんか?目と耳の違いはあっても我々を心地よく楽しませてくれることに関して共通しているのではないか。ポールの声・メロディ・リズムと安藤氏のコンクリート打放し・流れる空間・シーンの断続を対比させてみても単なる遊戯にすぎないか?
 それにしても安藤建築はカッコイイ。かくも多くの人を、しかも専門家でない人までをも含めて魅了するのはなぜか。大胆且つユニークな空間アイディア。柱や壁があって窓があるという常識的な用の建築美を超越したオブジェ的な建築。コンクリート打放しの現代的テイストの壁。新しさと既視感。いろいろなことが原因として考えられる。だが、そうしたセンセーショナルな部分のもっと根底にはコンクリート打放しに置き換えられた強烈なシンプルさと天性のプロポーション感覚といった堅実な部分が潜んでいることを見逃してはならないと思っている。それにしても900×1800は何と不思議なディメンジョンであろう。途中から試論になってしまいました。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1997年6月6日掲載

東京国際フォーラムを見て


 7年前に行われた国際コンペによって東京国際フォーラムが有楽町の旧東京都庁舎跡に完成した。国際会議やイベントのための施設で正式なオープンは年をこえてからになるそうであるが、先に見学会が催されたので参加してきた。
 ラファエル・ヴィニオリ氏によるコンペ当選案は最も魅力的なものであった。分節化されたボックスの造形はモダニズムの哲学そのもので分かりやすかったし、何よりもJR線路沿いに配した紡錘形平面の巨大なガラスのアトリウムは印象に残るものだった。
 いざ完成してみると企画の必然性や運営等について様々な批判も出ているが、「建築」としてみるとその充実ぶりは素晴らしい。巨大なガラスホールの中には重い鉄骨が船のように浮かんでいるのが見える。その中に入ると直ぐに地下1階レベルに導かれるが、ここから見上げるアトリウムは高さ約60mあり、爽やかな迫力を感じさせる。ガラス屋根を支えるユニークな竜骨の構造計画はコンペ当選案にはなかったものであるが、アーキテクトとエンジニアのコラボレーションの成果を見せつける。洗練された設計者の感性が随所にちりばめられており、派手ではないが建築家の仕事の精度を堪能させてくれる。四つ並んだホールのインテリアやそごう側の広場にある地下鉄入口のガラスでできたキャノピーも見逃せない。
 リーダーとなった一人のアーキテクトの一貫した感性とそのために注がれた想像を絶するエネルギーに感服した。複雑な問題をシンプルに解いてみせることは並大抵ではないし、ましてその質をこれほどに高めることは人間技を超えている。現代という時代が為させたことには違いないが、時代や流行に左右されない芯の強さ。これからの建築を予感させるというよりはモダニズムの総決算的な印象。遅れてきたヒーローが何をしていくのか期待させる。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1996年10月4日掲載

「いわさきちひろ美術館」現場を見て


 好天に恵まれた4月22日、安曇野松川村の山麓に建設中の「いわさきちひろ美術館」の見学会(長野県建築士会主催「建学会」)が行われた。かねてより展覧会や雑誌でその計画案を見ながら期待していた建築であった。設計者が私の大学時代の友人の内藤廣氏であったことから実現した企画であったが、当日は本人もわざわざ現場に出向いて案内役を引き受けてくれた。
 建築としては切り立った山並みとの調和を意識しながら平行軸の四連切妻屋根をのせて高さを低く押さえたRC造平屋建の中規模の美術館である。屋根はグレーの鉄板葺、内外壁はベージュの珪藻土塗でシンプルに統一され、設計者の持ち味が十分に感じられるものであったが、何といっても大きな特徴は、彼の建築をいつも強く印象づけているリズム感のある木架構の屋根構造であろう。今回はRC造壁の上に直接ボルトでアンカーされた山型の無垢材の梁の頂部をアーチ形の集成材でつないだものとなっている。当初はすべて集成材で設計されていたようであるが、現場で木材加工者と協議をして無垢材に変更したらしい。氏の言によれば、この木屋根の下を中庭を見ながら縫うようにして歩きまわれるようにしたところが設計のねらいということであった。
 建築は比較的小さな空間を連ねていることもあってかなりヒューマンスケールを感じることができ、居心地の良い美術館というのが私なりの印象である。無性格で閉鎖的な箱形状の一般的な美術館と比べれば型破りではあるが、それらよりずっと親しみやすいと感じたのは私だけではなかったと思う。設計者のそうした空間づくりに対する哲学、素材・テクスチャー等に対する気配りやこだわり、環境に対して控えめな建築の在り方等について設計者自身から直接話を聞けたのは私を含めて参加した60名にとって大きな刺激になったと思う。
 間もなく完成はするが、オープンは約1年先ということである。いわさきちひろのあのみずみずしい水彩画のファンならずとも是非訪れてみたくなる建築になるのは間違いないだろう。そのときを期待して待つことにしたい。

㈱新建新聞社:「新建新聞」1996年5月10日掲載

やまびこドーム選評


 かつては人類の夢であったような巨大空間がコンピューターによる構造解析や高精度の施工技術などの発達により実現可能になってきた。そうした建設技術の進歩と近年のスポーツのインドア化動向などが呼応してドーム建築に対する挑戦が続いている。ドームは空間を覆うという意味において人間がイメージする最も原初的な空間の一つではないかと思うが、球面を構築することは決して容易ではない。かつて歴史上では分割された小さなピースを積み上げていく組積造によって実現していた形であったが、現代の技術においては多面体に置き換えられて線材と面材によって構築されるようになった。
 やまびこドームは信州博覧会の中心施設として計画されたこともあって、地元信州産の唐松集成材を大量に使用した木造ドームであることが最大の特徴である。屋根にステンレス板を使用しているため内部空間は必然的に暗いが、屋根頂部から光のおちる空間はローマのパンテオンを連想させる。木とグラスウールボードを組み合わせた野地パネルのせいで暖かさを感じさせるドームとなっている。
 ドームというのは意外にも平面や高さのディメンジョンを強く意識させないものである。屹立する日本アルプスの連山に溶けこみ、博覧会終了後に整備された広大な公園の中で堂々としかもひっそりと建っていた。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集1995」1995年3月10日掲載

窪田空穂記念館選評


 この記念館は日本アルプスを背景にした松本市郊外ののどかでありふれた農村集落の中に埋もれるようにして、全面の道路を挟んで空穂生家と向かい合って建っている。場所と敷地の持つ特性がこの記念館の骨格となっていてコの字型平面、軸線、切妻屋根、木造などの基本的構成を自然に導き出したとも言える。しかしさり気なく自然体に見えるこの構成も作者による考えぬかれた計算があってこそ成立しているといってよい。
 これだけであれば周辺環境と調和した平凡な記念館にしかなっていなかったと思われるが、構造・空間・素材・ディテールなどにおいてこの建築の魅力は遺憾なく発揮されている。露出されたダイアゴナルな木造の軸組はこの建築の最大の特徴といってもよく、構造のみならず意匠的にも重要なデザインモチーフになっていて開口や光の演出にも活かされているのが分かる。石、土、木などの自然素材も肌合いを活かしてより自然感を感じさせるアイディア豊かな使い方をされており、各部のディテールも豊富な経験に裏付けられていて手堅く見ごたえのあるものとなっている。
 個人の記念館というシンプルなプログラムから成り立っている小品であるが、それゆえに全体から部分まで一貫して非常に密度の高い建築で、随所に創意工夫が見られる。物理的スケールこそ小さいがそこから発しているものは大きい。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集1995」1995年3月10日掲載

脇田美術館選評


 既存棟のある敷地での設計というのは物心両面で制約を伴うものとなる。その既存棟が名建築であった場合にはなおさらである。新旧の建築が互いに緊張関係を保って並存できるケースは決して多くはないと思われる。
 この美術館も吉村順三氏設計の既存の脇田画伯アトリエに対してどのように敬意を表すかが大きなテーマになっていたことと思われる。そのことが配置計画の中ではっきりと読み取れる。一般的な美術館としての評価でみると理想的な計画とは言いがたいかもしれないが、この配置をとったことの成果は大きい。また造形やテクスチャーについては環境や既存棟に対する安易な迎合表現を避けており、これも緊張関係をつくりだしている。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集1993」1993年3月10日掲載

秀光ゲストハウス選評


 自然に深く包まれた別荘地の一角にある小品である。敷地はかなり急勾配で、道路は敷地の高い側に位置している。設計にあたってはこの状況をどう生かすかがテーマであったことが推測される。眺望のよい上階にパブリックスペースをとり、下階にプライベートスペースをとるというアイディアは特に珍しい手法ではないが、この敷地の利用方法としては適切な判断であるといってよいと思われる。
 道路のレベルにほぼ合わせた玄関はゲストハウスの上階にあるので、道路から見たときの正面の壁のボリュームはかなり和らげられている。
 各部のデザインもきめ細かく検討されておりスチールワークも効果的に使われている。

(社)日本建築学会:「建築雑誌増刊作品選集1993」1993年3月10日掲載