■信州の街なみ・・・長野県各地の街なみを紹介しています
■新着情報紹介
2018・3・23 南信 飯田市大平 を追加しました
栄村天代(さかえむら・あましろ)
豪雪地域の山間にある集落の一つで、古い屋根型をとどめた家も見られる
栄村大久保(さかえむら・おおくぼ)
雪対策のために金属板で屋根を覆っている家が多いが、茅葺の家も見られる 写真左は県宝阿部家
木島平村栄町(きじまだいらむら・さかえまち)
豪雪地域ゆえに古い建物を維持することは難しいが、土蔵を活用している事例も見られる 写真はカフェ集
野沢温泉村虫生(のざわおんせんむら・むしう)
山の傾斜面にある小さな集落で、かつては茅葺屋根だった家々が点在している
野沢温泉村平林(のざわおんせんむら・ひらばやし)
国道からは見えないが、茅葺屋根だった集落が残っており、日本の原風景のような景色が見られる
野沢温泉村豊郷(のざわおんせんむら・とよさと)
大湯は建替えられたもの 土蔵の屋根も鉄板で、雪止めが付けられている場合もある 写真左は大湯
山ノ内町渋(やまのうちまち・しぶ)
木造の温泉旅館がいくつも現役で使われており、古くからの温泉場らしい風情を感じさせる 写真左は白銀屋旅館、右はつばた屋旅館
山ノ内町湯田中(やまのうちまち・ゆだなか)
木造の旅館建物がいくつも残っている 写真左は見崎屋旅館
飯山市瑞穂豊北原~柏尾(いいやまし・みずほとよ・きたはら~かしお)
北部にある集落で、金属板で覆われているものの茅葺屋根の形状を残している家が多い
飯山市愛宕町(いいやまし・あたごちょう)
仏壇通りと呼ばれるこの通りにはかつて木造の雁木があったが、今は鉄を木で囲ったつくりに変えられている 写真右は山室仏壇店
中野市中町(なかのし・なかまち)
中町通りは拡幅整備されて古い建物は減ったが、路地部分には白壁の建物が見られる 写真左は小田切家、右は歴史の小径
小布施町中町(おぶせまち・なかまち)
まちづくりで有名になったが、周辺には古い建物も残っている 写真左は撮影後に除却された 右は池田家
須坂市中町(すざかし・なかまち)
土蔵つくりではあるが、屋根周りに意匠を凝らした商家が並んでいる 写真左は綿幸呉服店、右は酢屋信商店と山下薬局
須坂市新町(すざかし・しんまち)
高山村方面に向かう道筋にも古い街なみが残っている 写真左は塩屋、右は上原家
須坂市横町(すざかし・よこまち)
養蚕で栄えた名残が残されている 写真左は牧家(製糸家の家)、右は須坂クラシック美術館(旧牧伸新七家、市指定有形文化財)
須坂市福島(すざかし・ふくしま)
北国街道の脇道であった松代道の宿場町 千曲川沿いの直線道路の沿線に土蔵壁や長屋門が連なっている
信濃町柏原(しなのまち・かしわばら)
北国街道の宿場であったが、豪雪地で古い建物はほとんどなくなった 写真は木造の旅館ふじのや
飯綱町牟礼(いいづなまち・むれ)
北国街道の宿場町であったが、古い建物は雪による傷みのせいか多くが建替えられている
長野市戸隠(ながのし・とがくし) 重要伝統的建造物群保存地区:2017年
長野市浅野(ながのし・あさの)
旧豊野町の小宿場町であった 間口の広い家なみが残っている
長野市長沼(ながのし・ながぬま)
北国街道の脇道である松代道の上の集落であった 土壁の農業倉庫などが点々と残っている
長野市元善町(ながのし・もとよしちょう)
善光寺正面参道の背面に並ぶ寺院群は独特の風情をかもしだしている
長野市大門町上(ながのし・だいもんちょうかみ)
善光寺門前町を象徴する部分で石畳化や電線地中化などの景観整備が進められた 写真左はインフィオラータ、右は冬の華
長野市大門町南(ながのし・だいもんちょうみなみ)
大正時代に道路拡幅が行われたが、土蔵つくりの建物が残っており、近年ぱてぃお大門という商業スペースに再生された
長野市丹波島(ながのし・たんばじま)
北国街道の宿場町で犀川の渡し口であった 名残が少しだが残っている
長野市川田(ながのし・かわだ)
北国街道脇道の松代道の宿場であった 直線の道の両側に古い建物が残されている 写真右は北村家
長野市松代町(ながのし・まつしろまち)
真田氏の城下町として栄えた地で、落ち着いた雰囲気がただよっている 写真左は歴史的道筋として整備された遊歩道、右は復元された山寺常山邸
長野市中条(ながのし・なかじょう)
一部の土蔵 が健在であるが、古い建物は減ってしまっている
長野市信州新町本町(ながのし・しんしゅうしんまち・ほんまち)
旧街道筋に商家や旅館などが残っているのが見られる 写真左はたけや旅館、右は森家
小川村高府(おがわむら・たかふ)
鬼無里や戸隠に通じる街道の集落である 道沿いに残っている建物は少なく、土蔵が少しだけ残っている
千曲市屋代(ちくまし・やしろ)
JR屋代駅近くの街道に北国西脇往還・北国街道合流宿としてにぎわった名残が残っているのが見られるが、大半は改装されている 写真は藤屋旅館
千曲市稲荷山(ちくまし・いなりやま) 重要伝統的建造物群保存地区:2014年
北国西脇往還の交通の要所として栄えた 表通りのみならず蔵つくりの建物がたくさん残されている 写真左は旧山丹呉服店、右は土壁の路
千曲市桑原(ちくまし・くわばら)
北国西脇往還の間の宿で、難所猿ヶ番場峠を控えていた 越屋根のついた民家が残っているが、かつてはもっと多かったと記憶している 写真右は伴月楼
千曲市八幡(ちくまし・やわた)
武水別神社の参道に当たる通りに古い名残が残っているが、多くは改装されてしまっている 写真は松屋旅館
千曲市戸倉(ちくまし・とぐら)
北国街道の宿場として栄えた 古い民家も見られるが、茅葺屋根の坂井酒造が存在感を示している 写真左が坂井酒造、右はそば処萱(かや)
千曲市力石(ちくまし・ちからいし)
坂城に通じる集落にも古い農家が残っている 写真右は中曽根家脇路地
坂城町坂木(さかきまち・さかき)
北国街道の宿場町で、街道沿いに街なみが残っている 写真左は山浦家、右は名主坂田家
坂城町鼠(さかきまち・ねずみ)
国道18号に面した北国街道の間の宿で、古い建物が少し残っている 写真左は溜屋、右は明治天皇小休所
上田市上塩尻(うえだし・かみしおじり)
国道18号から外れた場所に古くからの集落が残っており、保存も進められている 写真左は山崎宅、右は馬場小路
上田市柳町(うえだし・やなぎまち)
北国街道の両側に商家が並んでいる 写真左は亀齢醸造元岡崎酒造、右は紬茶房おお西
上田市房山(うえだし・ふさやま)
そう多くはないが古い商家や旅館等が点々と並んでいるのがみられる 写真左は酒富醸造、右は鴇沢商事
上田市鍛治町(うえだし・かじまち)
南北に走る通りに面して僅かだが古い家が残っている 写真右は仏蘭西亭(現在はこぶたや)
上田市常田(うえだし・ときだ)
北国街道に面して古い建物が並んでいる 改装されていることろも多い 写真左は小嶋合資会社、右は滝澤宅
上田市踏入(うえだし・ふみいり)
北国街道に面して僅かだが古い家が残っている
上田市国分(うえだし・こくぶ)
北国街道に面して土蔵や民家などが残っている 写真左は山辺糀店、右は山辺邸
上田市大屋(うえだし・おおや)
海野宿に至る道筋に少しだが古い建物が残っている 写真は綿屋
上田市仁古田(うえだし・にこだ)
農家集落だが、ひっそりとかつての様子をとどめている 写真左は屋敷の一部を公開しているカフェギャラリー月のテーブル
東御市本海野(とうみし・もとうんの) 重要伝統的建造物群保存地区:1987年
北国街道の間の宿であった 水路のある道路の両側に卯立をあげた家が並んでいる様は堂々としている 日本の道百選等に指定されている 写真左は福島屋
東御市田中(とうみし・たなか)
北国街道の宿場であった歴史があるが、いまでは道路拡幅が行なわれたため風情はほとんどなくなった
東御市滋野(とうみし・しげの)
北国街道の道筋に古い家なみが残っている 写真左は土屋家
小諸市滋野甲(こもろし・しげのこう)
北国街道の沿線に古い建物や塀が残っている 写真左は小林家
小諸市市町(こもろし・いちまち)
北国街道の宿場であった 旧本陣をはじめとして古い建物が残っている 写真左は国指定重要文化財の旧本陣、右は脇本陣
小諸市本町(こもろし・ほんまち)
北国街道の両側には蔵つくりの建物が残っており、景観整備が進められている 写真左はかつて銀行だった萬屋骨董店、右は大塚味噌醤油店
小諸市荒町(こもろし・あらまち)
北国街道に面して古い家なみが残っている 写真左は商人(あきんど)館
御代田町間瀬口(みよたまち・ませぐち)
国道脇の狭い道に古い屋敷や蔵が残っている 写真右は明治天皇が小休止したという高山家
御代田町小田井(みよたまち・おたい)
中山道21次 水路のある道筋に問屋跡などが残っている 写真左は旧大黒屋旅館、右は旧本陣跡
軽井沢町追分(まるいざわまち・おいわけ)
中山道20次で北国街道との分岐地点だった 国道18号から逸れる道筋に名残が残っている 写真左は枡形茶屋つがる屋、右は骨董時幻(じげん)
軽井沢町借宿(かるいざわまち・かりやど)
追分宿の少し東の旧道(姫街道)沿いにほんの少し旧家が残っている 写真左は遠山家、右は土屋家
青木村田沢(あおきむら・たざわ)
温泉地である田沢には歴史ある旅館がいくつか残っており営業を続けている 写真左はたまりや旅館、右は島崎藤村ゆかりの宿で登録有形文化財のますや旅館
長和町長久保(ながわまち・ながくぼ)
中山道27次 装飾された出桁つくりの建物が残っている 写真左は釜鳴屋(町指定文化財)、右は竹重家
長和町和田(ながわまち・わだ)
中山道28次 本陣はじめ街道筋には出桁つくりの建物がかなり残っていて往時をしのばせる 写真左は山きや、右はかわちや(歴史の道資料館)
立科町芦田(たてしなまち・あした)
中山道26次 出桁つくりの建物がいくつか残っている 写真左は酢屋茂商店、右は200年以上と言われる金丸土屋旅館
佐久市茂田井(さくし・もたい)
望月宿と芦田宿の間の宿だが、細い坂道に面して白壁の建物が続いている様は現代とは思えない 写真左は大沢酒造、右は武重本家酒造(国要録有形文化財)
佐久市望月(さくし・もちづき)
中山道25次 沿道に旅籠などの面影が残されている 写真左は両沢家、右は木造3階建の井出野屋旅館
佐久市八幡(さくし・やわた)
中山道24次 今は本陣跡のほかわずかに民家が残る道になっている 写真右は本陣跡の門
佐久市塩名田(さくし・しおなだ)
中山道23次 県道に面して質素な古い建物が並んでいる 写真左は本陣跡、右はえび屋豆腐店
佐久市平賀(さくし・ひらが)
富岡街道に面した集落に、門塀と土蔵のある家々が見られる
佐久市下越(さくし・しもごえ)
JR小海線臼田駅の近くに残る古い街なみ 写真右は佐久乃花酒造
佐久市入澤三条(さくし・いりさわ・さんじょう)
立派な門のある家々が並んだ小集落で、古い趣を感じさせてくれる
佐久市入澤十日町(さくし・いりさわ・とおかまち)
佐久から甲州への旧道に面して農村の門塀、土蔵が連なっている
佐久穂町海瀬四ツ谷(さくほまち・かいぜ・よつや)
佐久から甲州への旧道にある商店等が連なる街なみ 写真右は3階建の相馬酒店
佐久穂町穂積(さくほまち・ほづみ)
JR小海線八千穂駅付近の集落は古い姿を良く留めている 写真左は喜劇駅前食堂(食堂ではない)、右は黒澤酒造軒下から望む家なみ
佐久穂町大日向本郷~宿戸(さくほまち・おびなた・ほんごう~しゅくど)
十国峠を越えて群馬県に抜ける武州街道に沿った集落で、門塀と土蔵の連なる家なみが見られる
小海町馬流(こうみまち・まながし)
佐久から甲州へ南下する旧道にある小さな集落(JR小海線馬流駅付近)の一つである 写真左は秩父事件本陣跡
南牧村海尻(みなみまきむら・うみじり)
集落の中の住宅はほとんど新しくなっているが、蔵が随所に残っている
北相木村栃原(きたあいきむら・とちはら)
山あいの村の谷川に沿って点々と集落があるが、古い建物は少ない 土蔵、校倉、養蚕農家跡等が少し見られる
南相木村日向(みなみあいきむら・ひなた)
山の傾斜面に養蚕をしていたと思われる住居が残っているが、道に面して並んでいる白壁土蔵が印象的
南相木村和田(みなみあいきむら・わだ)
狭い旧道の坂道に面して落ち着いた雰囲気が感じられる 写真左は茅葺屋根の旧役場庁舎(現民族資料館)、右は坂道途中の猿谷家の蔵
川上村大深山(かわかみむら・おおみやま)
町役場近くの集落に土蔵や古い家が残っている
川上村御所平(かわかみむら・ごしょだいら)
幹線道路に面して土蔵が点々と並んでいる 中に板蔵が見られる
小谷村下里瀬(おたりむら・くだりせ)
一直線の道路の沿線に古い名残の建物が少しだけ残っている
小谷村千国(おたりむら・ちくに)
豪雪地の中に茅葺屋根の集落が残っている かつての千国宿番所は千国の庄資料館として公開されている
小谷村牛方(おたりむら・うしかた)
塩の道千国街道の宿場で、往時の姿が復元されている 人と牛がひとつ屋根の下に泊った
白馬村青鬼(はくばむら・あおに) 重要伝統的建造物群保存地区:2000年
かつては善光寺や戸隠への道が通っていて外部交流があった 大型の茅葺屋根の家が14棟残っている 写真左は整備されたお善鬼の館
白馬村森上(はくばむら・もりうえ)
大町市大町(おおまちし・おおまち)
千国街道の宿場にあたり、町家や土蔵などが残る 写真左は市野屋商店の土蔵、右は塩の道博物館
松川町緑町(まつかわまち・みどりちょう)
古い建物はほとんど見られないが、土蔵などが散見される
池田町池田(いけだまち・いけだ)
千国街道の宿場町であったことを思わせるような建物が残っている 写真左は市川家、右は矢崎新聞店
生坂村生坂(いくさかむら・いくさか)
山間の農家集落といった風情の土蔵や門塀などが残っている 写真左は平林家
安曇野市穂高(あずみのし・ほたか)
千国街道の宿場で、なまこ壁の土蔵つくりが多く見られる 写真左はあじ彩、右は古川家
安曇野市等々力(あずみのし・とどろき)
写真左は市文化財の本陣等々力家
麻績村麻績(おみむら・おみ)
北国西脇往還の宿場で、当時をしのばせる建物が点在している 写真左は上町の臼井家(旧本陣跡)、右は修景された本町の舟窪家
筑北村楡窪(ちくほくむら・にれくぼ)
農家や土蔵などが少しであるが残っている
筑北村青柳(ちくほくむら・あおやぎ)
北国西脇往還の青柳宿は、いまや過疎化が進み荒廃が進んできている 写真左は旧本陣
筑北村長田(ちくほくむら・おさだ)
北国西脇往還の街道筋の集落で、土蔵つくりの建物などが散見される 写真左は山崎酒造店
筑北村西条(ちくほくむら・にしじょう)
青柳宿と会田宿の中間の集落で大きな民家が残っている 写真左はつた屋
松本市会田(まつもとし・あいだ)
北国西脇往還の宿場で、なまこ壁の家なみが残っていて栄えた当時をうかがえる 一部で電線地中化工事も実施されている 写真左は大阪屋
松本市刈谷原(まつもとし・かりやはら)
北国西脇往還の難所の一つであった刈谷原峠を控えた宿場であったが、いまはひっそりとした山間の集落となっている 写真左は中澤家
松本市岡田町(まつもとし・おかだまち)
北国西脇往還の宿場であった地で古い建物も少し残っている 写真は所家
松本市塩屋小路(まつもとし・しおやこうじ)
東町の北寄りにも土蔵つくりが残っているのが見られる 写真右が塩屋小路
松本市東町(まつもとし・ひがしまち)
女鳥羽川近くの東町通りにも少しであるが古い家なみが残っている 写真左はひかりや、右は裏町通りのはしご横丁
松本市中町(まつもとし・なかまち)
中町通りや路地には古い建物が多く残っており、保存や景観整備が続けられている 写真左は秤博物館、右は松本民芸家具の中央民芸
松本市本町(まつもとし・ほんまち)
本町周辺は区画整理などでだいぶ様変わりしてしまったが、裏通りや路地には蔵つくりの佇まいが残っているところもある 写真左は古書店、右はうらしま
松本市村井(まつもとし・むらい)
北国西脇往還の宿場で、ところどころに古い建物が残っている 写真左は山村医院、右は上島歯科医院
松本市島立(まつもとし・しまだち)
上高地へ向かう途中の小集落で、古い家が静かに建っている 写真右は亀田屋酒造酒遊館
松本市和田(まつもとし・わだ)
郊外の小集落に、僅かであるがしっくい+なまこ壁の土蔵が残っているのが見られる 写真右は窪田空穂生家
松本市安曇島々(まつもとし・あずみ・しましま)
上高地に向かう途中の小集落で徳本峠下の宿場でもあった 土蔵がたくさん残っていて落ち着いた雰囲気が漂う
波田町上波田(はたまち・かみはた)
石畳化した坂道の沿道に広い敷地の屋敷があり、本棟つくりの民家がたくさん残っているのが見える 写真左は百瀬家、右は川澄家
山形村小坂・中大池(やまがたむら・こさか・なかおおいけ)
農家集落のなかに本棟つくりや下屋付土蔵などが残っているのが見られる 写真右はそば処唐松
塩尻市郷原(しおじりし・ごうはら)
北国西脇往還の郷原宿には本棟つくりを含めてたくさんの民家が残っている 屋号表示も行われている 写真左は川上屋、右は下問屋
塩尻市塩尻(しおじりし・しおじり)
中山道30次の宿場は幹線道路となっているため古い建物は少ないが名残をとどめている 写真左は国指定重要文化財小野家、右は脇本陣跡で笑亀酒造
塩尻市洗馬(しおじりし・せば)
中山道31次で北国西街道との分岐点にあたる要衝であったが、今は道路拡幅のため、残っている古い家などはきわめて僅かとなっている
塩尻市本山(しおじりし・もとやま)
中山道32次の宿場で、国道19号からそれたところとなっているため、家なみが残っている 写真左は俵屋、右は川口屋
塩尻市贄川(しおじりし・にえかわ)
中山道33次の宿場となっており、関所跡も残っている 写真左はまるはち漆店、右は贄川関所跡
塩尻市平沢(しおじりし・ひらさわ) 重要伝統的建造物群保存地区:2006年
漆器の町として有名である 狭い道路の両側に深い庇の民家が並んでいる 写真左はちきりや漆店、右は改修された松野屋
塩尻市奈良井(しおじりし・ならい) 重要伝統的建造物群保存地区:1978年
中山道34次であり、漆器等の産業でも栄えた 約1kmに渡り古い家が保存されている 写真左は杉の森酒造、右は市指定有形文化財の中村家
木祖村薮原(きそむら・やぶはら)
中山道35次の宿場で、お六櫛などの木製品の生産で栄えた 写真左は旅籠米屋、右は宮川漆器店史料館
木曽町宮ノ越(きそまち・みやのこし)
中山道36次 規模は大きくなく、直線道に面して古い家が少し残っている 写真左は田中家、右は隣屋
木曽町福島本町上の段(きそまち・ふくしま・ほんまちうえのだん)
中山道37次の宿場には関所があった 高台に古い街なみが保持されている 写真左は上の段通り、右はうるしの館
上松町本町通り(あげまつまち・ほんまちどおり)
中山道38次の宿場であるが、今に残る古い街なみは僅かになっている 写真左は丸山家蔵、松上家
大桑村須原(おおくわむら・すはら)
中山道39次の宿場には道の両側に間口のある民家が残っている 道路わきに置かれた水舟が有名 写真右はかしわや旅館
大桑村野尻(おおくわむら・のじり)
中山道40次の宿場で、七曲りと呼ばれる狭く曲がった道の両側に古い民家が残っている 写真左は旅館庭田屋
南木曽町三留野(なぎそまち・みどの)
中山道41次の宿場は高いところを通っている 写真左は柏屋
南木曽町妻籠(なぎそまち・つまご) 重要伝統的建造物群保存地区:1976年
中山道42次 早くから住民による保存運動が起こり、「売らない・貸さない・壊さない」のルールのもとで、江戸時代そのままのような街なみが残されている
南木曽町大妻籠(なぎそまち・おおつまご)
妻籠宿と馬籠宿の合の宿であるが、覆いかぶさるような深い庇の家なみが忽然とあらわれる 写真左は丸屋(手前)とつたむらや、右は近江屋
下諏訪町下諏訪(しもすわまち・しもすわ)
中山道29次で甲州街道終宿でもある 下諏訪温泉には旅館等の古い建物や迷路のような路地があって楽しい 写真左は旧脇本陣御宿まるや、右は下諏訪町歴史民族資料館裏路地
諏訪市高島(すわし・たかしま)
高島城の近くに残っている白壁 写真左は丸高味噌茶屋、右は宮坂醸造丸高工場
諏訪市元町(すわし・もとまち)
甲州街道31次であるが、都市化が進み古い家なみはあまりない つくり酒屋などに面影が見られる 写真は真澄醸造元宮坂醸造
諏訪市諏訪(すわし・すわ)
幹線道路の背面には町家などが少し残っている 写真左は長野地方興信所、右は大津屋
茅野市金沢(ちのし・かなざわ)
甲州街道30次であるが、交通量の多い国道20号に面しているので、安全・防音対策等で改装が進んでいるところも多い 写真は小林家
富士見町蔦木(ふじみまち・つたき)
甲州街道29次は長野県に入って最初の宿であった 屋号表示を進めているが、建物は改装が進んでいるところもある 写真は中扇屋
辰野町小野(たつのまち・おの)
飯田街道の宿場 国道153号を通過する際に忽然と姿をあらわす本棟つくりの家なみには驚かされる 写真左は問屋(町文化財)、右は酒屋
辰野町平出(たつのまち・ひらいで)
諏訪から伊那谷に抜ける街道の宿場として栄えた 今では古い家が痕跡的に残っている 写真左は中谷家、右は新村家
伊那市東春近(いなし・ひがしはるちか)
田園風景に点在して残る小集落の中に、蔵が大切そうに囲われて建っている
伊那市高遠町西高遠霜町~仲町~本町(いなし・たかとおまち・にしたかとお・しもまち~なかまち~ほんまち)
高遠城址の付近の拡幅された道路の沿道に新しくなった建物に混じって古い建物が少し残っている 写真右は黒松仙醸
宮田村仲町(みやだむら・なかまち)
旧三州街道沿道に少しだが歴史を感じさせるつくりの建物が見られる 写真右は正藤正木屋酒店
飯島町飯島(いいじままち・いいじま)
旧三州街道にかつて県庁であった飯島陣屋が残る程度になっている 写真は飯島陣屋
飯田市知久町~通り町~松尾町(いいだし・ちくまち~とおりまち~まつおまち)
市街地の建物裏に裏界線(りかいせん)と呼ばれる防火用の公衆通路がつくられている ところどころに蔵が見られる
飯田市大平(いいだし・おおだいら)
かつては大平街道の宿場だったが、今は集団移住し無人となっている 写真左は紙屋、右は大蔵屋